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KOJIKI<響13>

別嬪さんの 天照大神が、弟、須佐之男命の狼藉に耐えかねて、
ぷっつん!となって磐戸に隠れてしまいました・・・。

こちらの写真は、天岩戸神社から500メートル上にある場所です。こちらで神様がたが天照大神が隠れてしまったので
「どうーしたもんじゃ」とご相談をされた場所と言われています。ここは石を積んで、願うと叶うと言われている場所ですね。
誰もが簡単に行ける場所ではないので、
その時の神々が勾玉となって現代もいらっしゃいます。

さて、神々が、どうしたものかと嘆いたいたところ、
その中で思慮深い思金神という
知恵の神様がいらっしゃいました。
皆、口々に意見を述べ合うのですが、
どうもうまくまとまらず
どうしたものかと、思い、思金神さまが 
提案をされます。

「そうだ、祭りをしたらどうかな~。
 磐戸の前で、心をこめて、い
 のりをこめて、私たちが踊り
 日の神 天照大神御神を呼び戻そう!」
相談はまとまり、神々達はそれぞれの役割分担を決め
懸命に働きました。

伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)は八咫の鏡をつくり
玉祖命は八尺の勾玉をつくり
天の香具山から採ってきた根のついた大榊に
紙垂(しで)を取り付け鏡を飾り 玉を飾って 依代(よりしろ)とし
天の岩屋戸の洞窟の前に飾りました。

中臣氏藤原氏の祖先(おや)の神である天児屋命(あめのこやねのみこと)が
朗々と心を込めて 麗しい言葉で飾った祝詞を奏上し
神々の全ての思いを代表して心からのお祈りの表しました。
ところで、神様が集まり、ご相談をされた場所はどんな場所なのか。
このあと、天照大神が磐戸をでてきた場所はどんなところだったのか
そんなイメージを持っていただけると
堅苦しい古事記の世界も少しは身近になると思います。

下記、日向國 天岩戸神社のHPです。
http://amanoiwato-jinja.jp/

賑々しい状況をみて
神々は思わず咲い(笑いの意味)、
つまり、どんちゃん騒ぎしています。
喜びを口にしました。
「あはれ、あなたのし。あな さやけ」

これは、
天が晴れて
光が射してきます。その光が、私たちの面にもおりてきて
体もこころも浮き立って みんなわいわいと 踊りだします。
笹葉も草木もみんないっしょになって
楽しんで歌って踊ります。
と訳します。
光があるということの喜びを表してるのです。

こちらは草場一壽先生の銅版画のポストカードです。洞窟の前で、天宇受売命は手に小竹葉をもち舞台の上で力一杯踊りました。彼女のお話は次の回に譲りましょう。

その賑々しく 本当に楽しく、朗らかに
柔らかな神遊びのようなそんな華やぎが
天の岩戸のなかにも響き渡って、染み通ってきました。
わいわい 
ワッショイヽ(´∀`)メ(´∀`)メ(´∀`)ノワッショイ

洞窟の中で一人寂しく隠っていた天照大神は
「私がいないにもかかわらず
どうして皆はこのように楽しげに
面白げに笑い、賑々しくしているのかしら・・・。」
っと。ちょっと、どーゆーこと?って感じ。 
 シ━━(^(^(^(^(^(^ω^;lll)━━ン
だって、私以外に、えー私以外に??
まるで、デヴィ夫人か
メディアでの露出が少なくなった
有名女優にも似た心境でしょうか。
(・´ω`・)困ッタナァ…
「おかしいなぁ。ちょっとのぞいてみよー」って、
岩戸を少しあけてのぞいいちゃました。

そうすると、
岩戸の前に陣取っていた、
天手力男神が、みなの力と気を集めて、
おおきな岩戸の扉を思いきってあけました。
(c=(c=(c=(c=(゚ロ゚;c=アチャチャチャチャチャ-!!
ほんと、別嬪さんのご機嫌を直すのは大変ですね。
これは現代にも通じますね。

こうして天の岩戸から出来てきた天照大神の光によって
この世界は再び輝きに満ち足りた光が溢れました。
その柔かで、そしてあたたかな光の中で神々が喜び
天照大神を口々にたたえました。
一昔前の「アイドル」の親衛隊を
思っていただけるといいのかも。「アマテラスチャーン」
という感じでしょうか・・・。
「もう二度と岩屋にはお隠れにならないでください。」
(ノ_・。)ノ□ヾ(・ω・ ) ナミダヲオフキ


皆、神々は天照大神が出てきて感激をしたのです。
そして、しめ縄をそこの張り巡らして
もう天照大神の二度と入れぬようにしました。
このようにして 暗黒の世から
光溢れる世界が再びやってきたのでした。

こちらは、草場一壽先生の銅版画、佐賀美術館に飾ってある、作品(解説書)からです。天照大神様がお出ましになった時の「日いづる」状態を作品にされています。

つまり、ケンカした後に奥様方が 
「むー」必殺☆パンチ(*ノ`Д)=○)~□~))アウ
とされていたのが、
「にっこり」。o.゜。(●´・ω・)してくださった後に
「ホット」安堵する・・・そんな状況を想いだしていただけると理解をしやすいかと・・・と

そして、天照大神はお出まし以降は天岩戸神社の西本宮から
東本宮(写真)にお住まいになったと言われています。
また、日本書紀では御隠れになる前を大日霎尊(おおひるめのみこと) 【天照皇大神の別称】、お出まし後を天照皇大神と表記しています。

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