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地下鉄構想

昨年4月に大阪市から民営化となった大阪メトロ。

 大阪メトロは2018年12月20日、御堂筋線などの15駅の大改装計画を発表しました。。そのリニューアル後のデザインをめぐって、署名サイト「chenge.org」上で、「歴史ある大阪の地下鉄を未来に残してください!」というタイトルの署名運動が始まったのです。

これは淀屋橋の駅・・・どよよーっん。
詳細はこちらで確認をなさってください。https://www.asahi.com/articles/ASLDW5SF9LDWPLFA00G.html

うーん、おちつかない駅の構内。署名活動をする気持ちも良くわかります。

 さて、物議を醸し出しているこの地下鉄ですが、大阪市長の關一が行った都市計画の大きな事業の一つが今の大阪市営地下鉄御堂筋線の建設です。大大阪時代を象徴する一つです。

 当初、市内交通とは短距離の輸送を目的とし路面電車で間になっていましたが、「大大阪」となり、市内の面積が当初の三倍になり、住居も分散されると長距離輸送が必要になってきます。そのためには高速度の鉄道が必要だと關は考えました。それ、が御堂筋を始めとする大阪市内の中心部に、従来の市電(路面電車)に代わる高速鉄道として市営地下鉄の建設を考えたのでした。

 大阪市では市電が開業した1903年以来、市内の交通に関しては。「大阪市において将来敷設すべき市街鉄道はすべて大阪市に直接これを経営するものとする」という市営主義を一貫してとり、地下鉄に関してもこれを踏襲しました。今も御堂筋線を始め地下鉄は大阪市の経営です。これは、最初の地下鉄(上野⇄浅草)が東京市の経営ではなく、東京地下鉄同株式会社が経営した東京との大きな違いです。
 それでは、なぜ關市長は高架の方がよほど建設費は安むにも関わらず地下を考えたのでしょう。

 關は戦争による爆撃の危険が避けられると考え、地下論を進めたのでした。結果として、今のような郊外(周辺、御堂筋線で言えば、淀川を超えた北摂地域方面、江坂近辺の駅)は高架、市内では地下の建設が進められました。
 このとき、今の大阪市営地下鉄御堂筋線(江坂~我孫子)をふくめ4本の高速鉄道が計画され政府にも認可されています。

 これらの高速鉄道は大阪中心部を貫く交通機関となるばかりではなく、郊外を中心部を直結する公営鉄道として「私鉄王国」を補完する役割も担う事が大きく期待されていました。
 しかし、実際に着工されたのは昭和に入った1930年からであり、その区間も当面は今の御堂筋線の地下部分にあたる梅田⇄難波間だけでした。

 このように、地下論を優先させる關市長の考え方は、阪急文化圏を作り上げた小林翁の考えとは対照的です。小林翁は「私は日本が地震のない外国の真似をして地下をやっているのは根本において間違っていると思います。これは私の最初からの持論で、阪急も頑として高架にしたのです。」といって高架論をとっていたのです。
 小林翁は地下鉄をかなり冷ややかに見ていたようで、「昭和時代の歴史的遺物」と言い切っています。今日から見れば時代錯誤のそしりを受けかねませんが、阪急電鉄を「高架」にした根拠に「地震大国、日本」を認識していたところは「さすが」と言わざるを得ないと思います。

 さて、ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、地下鉄御堂筋線の梅田駅はよく、映画の撮影でも使われている場所です。東京や福岡の地下鉄に比べてよくいえば、「ノスタルジック」、悪く言えば「古―い」感じの構内です。
 一方、阪急の梅田駅は今百貨店の改築中ですが、以前には開業当時の阪急電車の駅があったステンドグラスのコンコースが大変きれいで、歴史と「大大阪」時代の「私鉄王国」を彷彿させるものでした。

 私が、残念に思うのは大阪市内にある「大大阪」時代を彷彿させる、現代にも十分に通用する建築物などなどがうまく保存されていないという点です。
 石碑が残ってる・・・と言う方もいるかもしれませんが、それでは・・・ねぇ・・・。
  今回は古い画像をダウンロードさせていただきました。
   これが、開業当時の御堂筋線「淀屋橋駅」だそうです。驚く事に、この雰囲気、今も健在です!!

そして、今はなくなってしまった、阪急のコンコース。
 阪急百貨店の改築の時に、まさかなくなってしまうとは思ってはいませんでた。

こちらも同じく。このコンコースがなくなってしまう事を小林翁はどのような想いで今見ていらっしゃるのでしょう。


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