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【掌握】 存在の消滅

「実はさ、ヨシオの彼女と一緒に働いてるんだよ」

ふうん、と答えた。
知らない女(遠目だったから、知ってるか知らないかもわからなかった)と歩いているのを見かけた、そのあとの出来事だった。

「いままで黙ってたんだけど」と言われて、それも「ふうん」と答えた。
黙るもなにも、べつに知りたい話ではなかった。
もちろん「ヨシオの彼女がさァ」と話されたら「そうなんだ」と頷いたと思う。天気の話と、同じくらい、またはそれよりも冷たい興味として。
だって天気は大事だ。でも、ヨシオの彼女は大事じゃない。

わたしは、ヨシオの彼女を知らない。
ヨシオには彼女なのか、セフレなのか、女友達と言い張るのか、なんだか知らないけれど周りにたくさんの女がいる時期があった、と聞いている。
聞いている、というのは、そのときわたしはヨシオの友達ではなかったからだ。
いや、友達だったのかも知れないが、めっきりと連絡がこなくなった。たぶん、忙しかったのだと思う。特に気にもしていなかったし、わたしはわたしで、気にする元気もなかった。

そんなことよりも、
「実はさ」なんて切り出されたことに腹が立つ。
それはつまり「話したら機嫌を損ねる話題」と判断されたという意味で、そんなことで腹を立てるつまらない女だと思われた、ということだ。
もう何度も言っているけれど、君がどこでどんなと女と話して、手紙をもらって、何時に帰ってこようとも、あまり興味はない。
わたしだって、好きな時間に出掛けて帰り、友達と食事くらいはする。それは、男だったり女だったりする。

それをどこかで寂しく思っていて、もしかしたら見栄かもしれない。
でももし、見栄だとしても。
見栄とプライドよりも、大切なものはない。
平気だ、といえる女でいたかった。
それは愛されている自身ではなくて、ひとりでも生きてゆけるという、毅然とした強さだった。

「だって、ヨシオの話をすると、気分が悪いって言ってただろ?」と言われて、ああそういえばと思い出す。
ヨシオに、腹を立てていた。
女が何人いようと、ヨシオの暮らしからわたしが消えようと、それは関係のないことだけれど
ヨシオが、わたしの友達を裏切った、と聞いて腹を立てていた。

しばらくして、友達はヨシオを許しーーー許したというか、また一緒に過ごすようになったらしい。
ヨシオにも、友達にも、もう会ってないから知らないし、興味もないけれど。

ただ、友達はヨシオを許したのに、わたしは許せずにいる。
当事者じゃないって、そういうことだ。
自分が殴られたのならば、痛みが風化したときに、次に抱きしめられたときに許せるかもしれない。
でも、大切な人が殴られたとき、その怒りをどう消せばいいのだろう。
大切なその人自身が「許すよ」と言ったときに、もしかしたら許せるかもしれない。
でも、痛みは消えない。
覆水盆に返っても、どれほど濃さを失っても、忘れても、事実は事実なのだ。
それは幸福でもあり、残酷でもあり、どこまでも平等だった。

わたしの中で、ヨシオは「友達を裏切ったやつ」というレッテルだけが残った。
「ごめん」と、ヨシオは一度だけ電話をかけてきた。
でも、わたしに謝られても困る。

ああ、わたしだけがヨシオを許せない。
日に何度もその事実がめぐり、夢にも出た。
もう、ヨシオに腹を立てていたのか、許せない自分に腹を立てていたのかわからない。
ただ、ヨシオの話をするたび、心臓がぐしゃりと醜くひしゃげた。

「わたしは、ヨシオを許さなくてもいいと思っているよ」
いまは、そんなふうに思っている。
もう、ヨシオのいない日々を、寂しいとも感じなければ、会いたいとも思わなかった。
まるで最初から、いなかったみたいに。

そのときの君の顔を、思い出せない。
君とヨシオは、まだ友人同士だから、そんなふうに言われて悲しかったのかもしれない。
わたしの気持ちはもっともだ、と思ったのかもしれない。

そんな君の表情にまで、もう興味がなかった。
ぜんぶ、どうでもよかった。

怒るも何も、もうヨシオには興味がない。
怒りはあまりにも放置をすると、興味を失い、そしてなかったことへと帰着するのだと知った。身を以て、知ってしまった。
そしてそれは、いちばん残酷で、美しい結末だった。
怒りも悲しも沸かない。
もう、意味不明な刃で、自分も他人も傷つけることはないのだ。

そのことに安堵する反面、絶望する。
ああ、わたしはこんなにも他人に興味がない。どこまでも、冷たい人間なのだ。

ヨシオにも、君にも、その友達にも興味がない。
ただ、元気にしてくれていればいい、とは思う。
わたしから「元気?」とか「調子はどう?」と尋ねることはなかった。
ただ、同じように尋ねられることもなかった。

愛とは育むものだ。
毎日顔を見ていれば、好きになれる可能性はぐんと増える。人間とは単純だ。接触回数で、愛情までもコントロールできてしまう瞬間がある。
そして、会わないものへの愛情は減る。わたしはその速度が尋常ではないのかもしれない。

最後の思い出が美しければ、永劫の宝物になったはずだった。
いまでも、思い出せば心を灯すような記憶や友達は存在する。数は少なくないと思う。
わたしは、薄情かもしれない。きっとそうだ。
でもわたしは、わたしなりに友達を愛している。愛している友達がいる。

でも、ヨシオはそうじゃなかった。
これはただ、それだけの話だった。




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