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お仕事すごろく。

フリーの商品デザイナーとして20年余り活動する中で、最近、特筆すべき出来事がありました。ひっそり仕事をしているので、金メダル級というよりは、例えば、チョコボールで金のエンゼルが出た気分のような感じでしょうか...

その話の主役となるのは、ヘッダー画像の「すいばさん」。その経緯を自分の仕事の変遷ごと、すごろく風に振り返ってみます。お時間が許せばお付き合い下さいませ。

【ふりだし】

大学在学中に父の代理で海外展示会に参加して、作品が売れたことから図案(デザイン)の仕事を初める。数年間はカーテンや布団カバー、毛布などを中心に繊維関係のメーカーや商社から単発の仕事を受け、生地ブランドを立ち上げるなど充実感もあったが、徐々に不況とデジタル化の波が押し寄せる...

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【4マス進む】

あるとき雑貨を扱う会社からタウンページ経由、さらにデザイナーの先輩を経由して話が回ってくる。設立間もないその会社からの最初の依頼は「輸入竹フレーム」の中紙のデザイン(イラスト)だった。

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繊維業界では大幅にデザイナーへの外注を削減していたこともあり、この会社との出会いを機に雑貨の仕事に徐々にシフトする。同時に、繊維関係でも雑貨でも、受注仕事は参考イメージ(海外デザインや国内で売れている柄)を元に「似過ぎない程度に似せたデザインを」という依頼が多かったので、自発的な創作をしたくて絵本や小説のワークショップに参加して指導を受けたり、雑誌にマンガ・イラスト・小説等を応募したり編集者に見てもらううちに縁や運が重なり、突如、文学の素養もないのに小説を商業出版する運びに...

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いろんな方のご指導や協力のおかげでミステリー小説など2冊刊行となり、本自体は装幀も素晴らしく出来上がったのだけれど、読者からの酷評や、何より自分で作品に自信を持てず、次が書けずフェードアウト...

そのとき自分で思い知ったのは、自分には「思想」がないな、と。小説に限らずイラスト制作やデザインの仕事でも、私はずっと、自分では何も考えずに指示を受けたものを「こんな感じでどうでしょう」てな気持ちで納品することに慣れてしまっていたと痛感。

もう一回サイコロを振る

頭を切り替え、商品デザインの仕事に本腰を入れようと関東で1から新規開拓に挑むことに。心の支えになったのは、本を出した時に都内の書店へ挨拶回りをした際、名刺代わりに配るために手作りした新聞が書店員さんに好評だったという、唯一の手応え。作品に体温があれば下手でも何か伝わるのだと新聞作りで気づけた。創刊号で生まれた4コマ漫画のペンギン「はにほさん」は今もnoteやツイッターでプロフィール画像に使っている。

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【2マス進む】

その後ブログで、はにほさんを主役に4コマ日記の掲載を始める。アクセスや反響は少ないものの、毎日更新(当時の4コマ作品はnoteでも時おり掲載しており、こちらも)。やがて関東で新たな取引先と出会い少しずつ順調になってきた頃、先述の竹フレーム以来のお付き合いの取引先からこんな依頼が来る。

「ブログの〈はにほさん〉みたいなタッチで、家計簿の中に添えるイラストを描いてもらえませんか。なんか主婦が家計をやりくりするような感じで」

それで出来たのがこちら。

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受注仕事と違って「はにほさん」だけは気ままに描いていたのと、はにほさんが生まれたのは小説を出して書店周りをしたことがきっかけなので、小説は結果としてダメになったけれど、その時のオマケみたいなもので依頼を受けたことは自分にとって特別で、この家計簿は宝物になった。

一回休み】【1マス進む】【3マス戻るなど色々

その後、雑貨デザインの仕事の他、4コマ漫画(その中のひとつ。日経Teck-On!会社マンガ。→『なにせ田中なもので』)の仕事を得るようになり、他に趣味としてオーブン陶土で立体ものを作ってイベントで売るようになった。

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しかし手作りなので、どうしても可愛く(バランスよく)出来た作品ばかりが売れて、ずっと売れ残る「はにほさん」たちが気の毒になり、作るのが億劫になって徐々にフェードアウト...(当時のブログも閉鎖)。

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6マス進む

テキスタイルから雑貨の仕事へ移行するきっかけとなり、先述の竹フレームや家計簿イラストを発注してくださった会社の企画室の方は、いつしか部長さんに。ある日、彼女が担当する新事業、飲食店のキャラクターに、かつての家計簿のイラストを使いたいとの知らせを受ける。

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それから数年。お店はいくつかの形態を経て、立ち飲みダイニングバーとして地元で評判になった。もっと洒落たデザインを手がける優秀な方は社内にたくさんいるはずだけれど、お店の人気が出てからも上のイラストをそのまま使ってくださった。やがて新たに描き起こしたイラストも含め、看板やスタッフのユニフォームなどにも使われるようになった。

その後、私が親の介護のために地元に戻ってきてからも、お店の盛況は続き、今年一月半ば、はじめて「座れる5店舗目」がオープン。

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招き猫風の立体置物も依頼があり、オーブン陶土制作にはまっていた時の延長で制作した。使用したのは乾燥だけで硬化する石粉粘土。右手をあげるとお金を、左手だと人を招くそうなので、左の手羽先をあげてみた。

納品したのがこちら(自分で写真撮り忘れたので画像をお借りしました)。

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以上、すごろく話でした。

雑貨デザインの仕事はここ5〜6年、関東の別の会社とメインでやり取りしていて、その会社が結果的に競合他社になってしまい、本来なら地元で先にお世話になっていた会社からは見限られたり疎遠になってもおかしくないのに、ブログがきっかけで、家計簿用に自分の素の持ち味を生かしたイラストの仕事をいただき(普段はリアル系花柄とか、和風柄などの注文が多かった)、それを何年も後になってお店のキャラクターにも使ってもらえて、とうとう趣味の立体製作まで担当させてもらえて、感慨深いです。

年々、商品のターゲット層や企画室の担当者との年齢が離れてくるにつけ、時代のニーズに自分がついて行けなく(良さが理解できないor表現できない)なれば注文は激減するだろうなとか、それ以前に自分のモチベーションが保てないのでは..と、今は技術的なことよりそちらの緊張感があります。

でも、未来への危機感はいつも次へのステップになり、過去の後悔は今を生きる原動力になるはず...これまでの、寄り道したりふりだしに戻ったりの足跡を振り返り、そんな風に思います。

最後に、イラスト使用、告知など快く許してくださった立ち飲み&旬菜ダイニングすいば」さんと関係者の皆さまに感謝します。

京都にお住まいか、お立ち寄りの際はぜひ。「すいばさん」が待っています。

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以上は過去に書いたものですが、うまくいかないことがあり、その時の暇つぶしや苦肉の策のような行動が、知らぬ間に別の道を見つけ出すきっかけになり、どうにか仕事を続けてこられているのは今も同じです。捨てる神あれば拾う神あり。たびたび絶壁から爪先がはみ出すようなピンチ(経済的にも精神的にも)が訪れますが、本業と趣味とのボーダーラインは年々曖昧になって、趣味が自分を(これまた経済的にも精神的にも)助けてくれます。お金は食べていけるだけあればいいと割り切り、大切にしたいのは、くよくよせず人生を楽しむということです。そして協調性のない私ですが、できる範囲で他者に優しく誠実でありたい。そんなわけで最後のまとめ。休止期間も設けつつ、このところ続けていることは、1.はにほさんの4コマ漫画制作、2.雑貨の仕事、3.おみくじに関する何かの作業、4.年に一度は新しい何かの調べ物や創作に挑戦(ZINE制作も含め)5.傘の持ち方のイラストと注意喚起、などです。今後は数年かけて占いの勉強をしたいと思っています。(2022.6追記)