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3月10〜11日、福島県へ。

先日、一泊二日の旅をしてきました。思いがけない出来事があるという点で、旅は人生に似ていると実感したので、忘れぬように振り返ってみます。

1.出発まで

福島県を初めて訪れたのは2016年。会津若松への旅だった。
2010年の終わりごろから、旅の本「ことりっぷ会津・磐梯」を買って旅を計画していたところ震災が起こり、泊まりたいと思っていた東山温泉の旅館が営業を休止して福島第一原発の付近から避難した方々を受け入れられることになり、おかみさんが日々発信されるブログを見に行くようになって。
子どもたちのためにロビーで縁日を開いたり、ラジオ体操をしたり、何ヶ月かして滞在していた方がそれぞれ行き先を決めて宿を離れていく時のお見送りの様子などを見続けて「いつかきっと泊まりに行こう」と旅が実現する日を待っていて、ただその後数年は自分も引越しや親の介護などで旅行をできる状況ではなく、会津行きが実現したのは母が他界した数ヶ月後だった。

2度目の訪問は、2020年。
福島県相馬市で地元のお土産品や雑貨などを作っている「工房もくもく」さんから図案制作のお話があり、ネットや送ってもらう資料だけでは雰囲気が分からないと思って、相馬や原ノ町を訪れた。その後もお仕事で声をかけていただき、「もくもく」さんは私にとって大切なクライアント様ではあるけれど、同時に相馬という土地も含め、知れば知るほど応援せずにはいられない「推し」のような存在でもあります。

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画像の左が相馬の魅力をつめ込んだ「相馬名所柄」。写真は初めて旅をした時に撮影したもの。


3度目の福島県訪問は2023年。工房もくもくの所長・佐藤さんが代表を務めるNPO「みんなのしあわせプロジェクト」主催の「みんなのしあわせ音楽会」が、震災以降の相馬の人や相馬に心を寄せる人にとって大切な催しで5回も続けられていて、ただコロナで数年は見合わせ…と聞いていたので、久しぶりに第6回を開催すると知り、ぜひ一度足を運んでみようと仙台経由で訪れたのだった。

もともと、2015年に開催された「第2回みんなのしあわせ音楽会」にご出演の浜田真理子さんを観に行った連れ合いが、イベント翌日に主催者の佐藤さんに、初対面なのに車で相馬を案内していただいたそうで、その時「こんなに親切な人がいるのか。面白い活動をしているなぁ」と惹かれて以来ネットで活動を見守り続け、その後工房もくもくのグッズを通販で買うようになったそうで、私も「そのかわいい絵のバッグどこの?」と聞いたりして工房もくもくさんの存在を知り、2019年に自分でお店を開くことになって缶バッジ制作をお願いしたのがご縁で、逆にイラストのお仕事をいただくことになったように思う。
出会いは日々たくさんあるけれど、すれ違い離れていく方が普通だから、そんな風に思いがけない展開をする出会いは人生の宝だなぁ。


2. 4度目の福島県へ

今回、連れと青春18切符でのんびり二泊三日で行く予定をたてていた(青春18切符は一枚で5回分、または5日分なので一人では期間内に使いきれないが二人なら大丈夫だろうと)ところ、前日の夜になって体調不良で行けないと連絡があり、急きょ一泊二日の一人旅に変更することになった。

ところで私は今の住まいに越してきて2年になるのに、関東の路線は「何が何やら」で、今利用している沿線さえあまり把握せずに暮らしていることに、今回改めて気づいた。

というのも、3月10日午前7時頃、最寄駅のホームにやってきた列車に乗って、途中急行や特急に乗り換えたりはしたけれど一度も改札を出ることなく、目的地「相馬」まで、びっくりする程楽にたどり着けたのだった。

最寄駅のホームに来た列車は小田急線で、だけどそれは新宿へは向かわず途中から地下鉄千代田線になり、その後JR常磐線(じょうばんせん)直通運転になるのだった。常磐線は、目的地の相馬(の先の仙台まで)に繋がる路線だ。

福島県の地図と路線図(正確さには欠けるかもしれません)

初めて相馬へ行った時は奈良に住んでいたので今と状況が違い、仙台経由だった昨年は東京駅から新幹線に乗ったので、自分の住まいから線路が一気に東北まで続いているという実感はなかった。
鉄道会社が相互乗り入れしている関係で、うちからほぼ一本で相馬に行けるなんて…びっくり。

そんなわけであっさり(とはいえ5時間かけて)相馬に着いたのは正午前だった。花粉はとても多いけれど、良いお天気で何より。

常磐線特急ひたちの車窓から。

3.相馬にて

会場は駅から徒歩15分ほどのところにあり、震災後は一時期避難所になっていたという。開演時間は14時(開場は13時半)なので1時間半近くあるから、親戚にお菓子を送る用事があったのでお菓子屋さんへ寄って、その後お昼ご飯を食べて、時間があったら本屋さんで何か買ってから会場へ向かおうと考えた。
やっぱり相馬は散歩に向いている街だなぁ、などと思いながらお目当ての船橋屋さんへ。

馬のモチーフが素敵な街頭と、その色にマッチした色使いの建物。ベストスモーキーミント賞を差し上げたい!
創業明治20年、地元の方に愛される船橋屋さん。上生菓子、ケーキ、おせんべい、焼き菓子の他、工房もくもくの相馬土産なども販売中。左は併設の古民家カフェ。

買い物をすませて、調子に乗って相馬中村神社まで歩こうかなと思ったけれど、そろそろ時間的に心配かもと途中で引き返し、クロスロード田町(という通り)へ。
全国に通販もしておられるCDショップ(レコード屋さん)モリタミュージックさんのはす向かいの「エンドレス」さんでランチをすることに。

左:モリタミュージックさん。音楽会の運営を支えておられる森田さんのお店。
右:エンドレスさん。メニューが豊富で天井が高くて居心地の良い喫茶店。音楽会にもご出演の「ねいろ」さんのライブが前日にこちらで開催された。

店内は大勢のご家族づれや友人づれなどで賑やかで、食後にパフェを頼む方がいたりしてメニューが多いからお店の方は大変そうだなぁ、とのんびり眺めていたら、時間がじりじり過ぎて、開場時間が近づいてきてしまった。
スマホで調べたらお店から会場までは徒歩19分と表示され、逆算するとランチを10分で食べたとしても開演ギリギリだから、今目の前にお料理が来ていなければアウトだな…と焦ってしまい、忙しそうなお店の方に「あのぉ、このあと音楽会へ行くのですが、お料理はもうそろそろでしょうか。時間が迫っているのでタクシーを呼んでいただけたらとも…」と伝えると、すぐに「ああ大丈夫、車で送っていくから安心してください〜」との返事が。
私の頼んだハンバーグ&カレーが届いて美味しくいただいている間も「間に合うのでゆっくり食べてください」と声をかけてくださって。
そしてどこの誰とも知らぬまま、会場まで送ってくださった。車中では楽しい会話で和ませていただいて、開演前に間に合った。
これが相馬なのだ。工房もくもくの佐藤さんやモリタミュージックの森田さんがかつて色々よくしてくださったように、今回またランチタイムで忙しい最中のエンドレスさんが時間配分に間抜けな客を助けてくださった。これが相馬という土地なのだ、きっと。

4.音楽会

昨年は3月11日の開催で黙祷の時間もあり、壇上の方々のご挨拶や披露される曲の歌詞からも、震災直後の大変だった時のこと、大切なものを失ったり誰かとの別れがあったり、何か重いものをその場のみんなで分かち合いながら祈りに変えるようなひと時で、その場に居合わせた私は思わず号泣してしまったのだけれど、今年の音楽会は、なごやかで明るくてちょっととぼけたムードもあり自由で、私は笑ったり体を揺らしながらゆったり楽しんでいた。昨年は昨年の良さがあり、今年はまた今年の良さがあった。
印象的だったのは、相馬で被災したからこそ、今、能登の方を案じ、何か少しでも力になりたいと願う気持ちの大きさ、強さだった。

もくもくのメンバーやスタッフの皆さんはそれぞれのペースで歌ったり演奏したりリズムをとったりしておられて、笑顔の人、身振り手振りが華やかな人、下を向いたままだけど丁寧に歌う人、自らも歌いながらマイクをそれぞれに近づける人など、個性豊かでありつつハーモニーがとてもきれいだった。
同じものは一つもないし、思いがけない色の組み合わせが魅力になる。工房もくもく自体が素敵な織物のようだなぁ。
会場からの手拍子もあたたかで、大いに盛り上がっていた。
来賓として挨拶された協賛のフレスコキクチの代理人の方が、ちょっと思いがけない明るさの金髪で、「えっと今なぜこんな金髪のヤツがでここにいるのか、場違いだと驚かれていると思いますが」的な話をされる様子がとても面白くて素敵で。日々、国会の答弁などをみていると、こんな風に素朴で正直な話を聞けるって嬉しいことだなぁと思う。

昨年生で歌声を聴いて涙した堀下さゆりさんが今年は吉池千秋さんと「ねいろ」として出演されて、「ポラリス」など宇宙旅行を想像するような曲で奥行きのある世界を表現してくださったり、お誕生日の歌があったり、ぐずったり声を上げるお子さんにもふんわり反応して、途中で会場を出て行く人もいるけど自由にどうぞ、という空気を作ってくださっていて、やわらかな時間だった。堀下さんが作詞作曲された「もくもくのうた」がまた素敵で。なんだか「もくもく」というキャラクターを作って着ぐるみの中に私入って一緒に踊りたいような気分。

そして、後半会場を幸せに包んでくださったのは、工房もくもくさんや相馬の多くの方の心の支えになっている名曲『soma』を作られた、くるりの岸田繁さんのステージだった。
岸田さんはまるで銭湯帰りのようなラフなお姿で、ふらっと舞台上の椅子に座って、どうも京都から来ました岸田と申します〜というような具合で、「NHKのど自慢」の参加者のような挨拶をしてから、おもむろに演奏をされた。
途中でお話しされたところによると、岸田さんはリハーサルの後、会場の前の温泉施設に寄ってこられたそうで、あとは「今もなんか小学生みたいな感じですけど」みたいな、私も普段考えているようなことを口にされていた。
とても楽しみにしてた『soma』もよかったし、もくもくのメンバーと一緒に歌った「言葉はさんかく こころは四角」がずっと残って、何日たっても口ずさんでしまっているし「ロックンロール」もよかった。音楽は振動で、舞台の上の岸田さんのところから自分の席にまで空気が震えて届いているんだなぁ、と実感できる場面が何度もあった。リモートでいろんなことができる時代だけれど、やはり生でその場で感じられるっていうのはいいなぁ。
よい時間を過ごせて、出演者の皆様、そして関係者の皆様に感謝でいっぱいです。間に合うように送ってくださったエンドレスさんにも深々とお辞儀です。

5.福島餃子の夜

音楽会の後、思ったより時間が過ぎていたので慌てて駅に戻った私は「福島」へ向かった。

福島県は会津地方(会津若松市、喜多方市など)、中通り(県庁所在地の福島市、郡山市など)、浜通り(相馬市、南相馬市、いわき市など)の、それぞれ気候風土や歴史、文化も異なる3つのエリアに(本当はもっと細かいけれど)分かれていて、私はそのうち会津地方と浜通りは体験して、中通りだけは立ち寄ったことがなかったので、今回はぜひ中通りで一泊したいと考えて、当初は相馬の前に福島駅から飯坂線で20分ほどの飯坂温泉で前泊する予定だったのだけれど、事情が変わって取りやめたので、相馬から福島まで行って安い旅館(キャンセル料を他で払ったので節約のため)に泊まり、翌朝に飯坂温泉へ出かけて日帰り入浴しようと考えたのだった。

相馬から福島までは、一旦仙台行きの常磐線下りに乗り、岩沼で東北本線に乗り換えた。

福島駅は会津若松とも相馬とも違って、強いて言えば商業ビルが建ち並んでいるという点で、いわきに近かった。到着が遅かったので、飲食街以外は暗闇で見えなかったけれど、旅館でもらったパンフレットを見ていると、温泉+こけし+フルーツ+お酒、そして何より山が素晴らしいし、天文台もあるようで、ぜひあらためて花粉の時期以外に来たいと思った。

福島観光ノート。かわいい。

その夜は念願の福島餃子を食べた。梅酒ソーダともずく酢でお会計は1,056円也。カリッとしていて野菜多め。大正解!

右:焼きギョーザの勝二郎さん。

6.夜と朝

一泊4千円台のお宿だったけれど室内は改装されて美しく、漫画『黄昏流星群』やら怖い話などのコンビニコミックなどが置いてあるのもよくて、ただ、シャワーを浴びようと思ったらいつまで経ってもぬるま湯しか出なくて、眠くて仕方なかったのでお風呂は諦めた。翌朝、飯坂温泉駅まで足を伸ばして温泉に入るから大丈夫。
そう思って眠りについて数時間後、携帯が鳴った。見知らぬ番号からだったので迷っていると一度は切れ、間を開けずに再び着信した。
電話に出てすぐ、夜中の電話の意味を理解した。相手は病院の医師だった。
病人が身近にいると、こんな場合は瞬時に背筋が伸びるものだ。
1時間半後にもう一度電話があって、問題は特になさそうだったけれど「数日間入院してもらい、検査する必要がある」と説明された。
「では明日、病院に伺います」と鼻声で答え、その後数時間、朝が来るまで仮眠した。

そんなわけで飯坂温泉には行けず、朝早く福島駅から新幹線で帰ってきた。新幹線はやはり早かった。車窓から美しい山並みが見えて、ああ、写真…と思ったけれど睡魔が襲ってきて、大宮駅で下車して乗り換えるはずが、寝過ごして上野で降りることに(路線はつながっているのであまり問題はなかった)。
3月は繁忙期で、ちょうど締め切りが迫る細かい作業の仕事があり、旅行の前は休みを取るために必死だったので、それから徹夜などもしたりして、数日後に連れ合いが無事に退院して元気そうな様子を見届けて安心して自分の部屋に戻ってきて、どうにかデータを送信して一息ついた金曜の夜、本当に久しぶりにぐっすり眠った。

親の介護を終えてから忘れていたのだけれど、ここ数年感染症の蔓延で、前日や当日になって予定をキャンセルしたりされたりすることが増えたり、直前に参加予定のイベントや公演が中止になったりもして、「そうだった、人生はままならないし、思いがけないことが起こってしまうのだ」と思い出したものだった。
私に限らず誰もが様々な事情を抱えていて、介護や病気や障がいがあって思うように過ごせない、好きなように行動できないとか働けないとか、一人暮らしできないとか、中には命まで脅かされるような状態に置かれている人もいるだろうし、精神的に死ぬより辛い人もいるかもしれないし、思いがけないことがいつも「なんで今」という時に起こってしまうんだなぁと痛感した。あの会場にいた方々は被災経験も含め、私など想像もつかないような様々な事情を抱えておられたことだろう。

出かけてよかった。
感情や思い出がふわふわと広がる綿菓子のような感じで、そんな数日分のふわふわを棒で掻き寄せるような気持ちで書いてみました。

当日会場であまり買い物できなかったのですが、相馬の思い出を演出してみました。

過去の相馬への旅もよかったら。