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運命の部屋。

小学生の頃、こたつでテレビを見ていると、目の前をねずみが横切り、ふすま 沿いに走ってゆくのをよく目撃した。
夜の飲食街の裏手で目にするドブネズミとは違い、彼らは小さくて白くて顔はシルバニアファミリー風だけど、その可愛さが却ってこわい。
家族が寝静まった夜間に何かを(食品に限らず電気コードなども)ちょっとずつかじっていく、その痕跡を朝見つけるのがまたこわい。
母は当時、彼らの話をするときは盗聴器でも警戒するように「ネー子ちゃんが」と声をひそめた。とくに駆除剤については本人(人ではないが)たちに気づかれぬよう「のアレを明日から置くから」と口を手で覆った。
中学に上がる頃にはすっかり姿を消したはずだが、やがて私や他のきょうだいが独立して実家を離れ、両親が車で30分ほど離れた別の地域のマンションへ引っ越した先でも再び「ネ」が現れて、ちょっとした騒ぎになった。

「前の家から荷物と一緒に連れてきたのかな」
母は泣き笑いのような顔で超音波の撃退機や忌避剤を次々に導入したが効果はなかなか現れず、私も帰省して泊まった夜に洗面所で石鹸をかじっている可愛い「ネ」に遭遇しては「ぎゃっ」と叫んだりしたものだった。
とはいえ、前の時と同じようにいつの間にか姿が見えなくなり、以降15年ほどは平穏だったのに、両親とも他界して姉の代になった実家に、最近また「ネ」が現れたという。実家を相続したとはいえ、そんなものまでついてこなくてよいのに。
ベランダによく来る野良猫たちに、一度室内をパトロールしてもらえないものか。

実家のベランダに来る猫(2023.3)

そういえば知り合いの米店のご夫妻が、近ごろ猫を飼いはじめた(正確には地域猫を夜だけ店内の一角に泊めている)のも、「へぇー猫お好きなんですね」くらいに聞いていたが、もしかすると「ネー子ちゃん」対策かもしれない。
どんなお宅にも、それぞれいろんな事情があるものだな。

そんなわけで、今日は私の部屋の事情を聞いてやってください。

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私は今、穏やかでちょっと賑わいもある商店街近くに建つ築50年の木造アパートに住んでいる。
敷地内の母屋には大家さんが独りでお住まいで、入居の際に壁紙やガスコンロ 、モニター付きインターフォン、センサー付きライトなどを新調してくださった。住人は私を含めて二人(それで満室)の、秘密基地のような建物だ。

「こんなにいい部屋に出会うことができるなんて夢のよう!」
そう思ったのもつかの間、入居直後から「ん?」と首を傾げる出来事が起こりはじめた。

1.私の部屋(建物)がない?

引越し前から、予兆はあった。
インターネット(光回線)の引越し手続きをしようとNTTに連絡すると、「工事に向けて回線状況をお調べしようとしたのですが、新住所に該当する建物が確認できなくて…」と返事があり、西日本から東日本へ転居することもあって色々段取りが面倒な気がして、光回線をやめて置き型のWifiルーター(工事不要)を選んだ私。

その後、新居で暮らし始めて間もなく、届くはずの仕事関係の荷物が待てども来ないのでネット検索したら、「お届けしましたがご不在でしたので持ち帰りました」との表示。郵便受けに不在票は入っていない。
え、ずーっと部屋にいたのに、何で。
どうにかドライバーに問い合わせて事情を話すと、「ああ、近くのメロディアスの(奥のマンション)201号室に不在票を入れました」と言われ、すぐに再配達してもらい、奥のマンションの不在票も回収してもらった。

その後も似たようなことが続き、あるときは友人が送ってくれたギフトが私の元に届かず本人のもとに返送されたこともあったらしい。
おそらくそれも奥のマンションの201(住人は集合ポストに名前を表示していないと思われる)に不在票を入れて、何日経っても反応がなかったためだろうか。
以前住んでいた奈良の住所宛に荷物を送る方もいて、より複雑になっていた。

やがてクロネコさんと佐川さんの担当者さん達は私の部屋を覚えてくれて、番地を間違っていたり、アパート名がない送り状の分まで届けてくれるようになったが、郵便局は配達員さんがよく変わるらしく、その後も「あれ?」ということが続いた。
ある日大家さんが郵便物の束を手に訪問され、「実はうちの二階の方が退去されて郵便受けの名前を外してから、あなた様宛の郵便物が投函されるようになって。こんなに届いていたのですよ。どうしたことでしょう」と恐縮しながら渡してくださった。
誤配先は奥のマンション(同住所?表札なし)と、隣の大家さん宅の二階の空室(同住所・表札なし)の二箇所だったようだ。

大家さんは空室の201の郵便受けにテープで封をして、うち宛の手紙は隣の建物だと示す紙を貼り、さらにうちのアパートの建物の壁にホームセンターで買ってきたシルバープレートに油性マジックで「宝来アパート」(仮名)と手書きして掲示してくださった(むしろ、今までこの状態で不便はなかったのか不思議だが)。
なんだかんだ数ヶ月かかったものの、誤配や遅配はほぼなくなったので無事解決。

2.郵便物びしょ濡れ問題

誤配に地味に悩んでいた頃、雨風の強い日が続いたことがあった。
晴れてから郵便受けを開けると、中の郵便物が濡れて乾いてシワシワになったり、薄いチラシが底にはりついてしまっていた。雨のたびに、郵便物が濡れて「うわー」となることが重なった。
もともと郵便受けの底にシールの剥がし跡のようなものがこびりついていたので、長年この状況だったのだろう。

下の住人さんはどうなのだろう、と思って見るとうちの郵便受けだけ投函口の上の隙間が大きくより雨が侵入しやすいようで、いっぽう大家さんの玄関前の郵便受けは雨風には強そうな形状をしていた。もっといえば、うちの郵便受けだけ「のぞき窓」がレンズなし眼鏡状態(アクリル板などの仕切りがない)なのだ。
「うちだけ雨の被害が大きいんだな…」
と思うものの、大家さんは入居時にあれもこれも新調してくださったし、誤配の件では心配をかけたので、これしきのことで文句は言えない。
そこでネットで「郵便物 濡れる 対策」で検索して自分で何とかして(雨が大量に入っても郵便物が水没しないよう人工芝を敷いた)、完璧ではないが解決した。
そもそも、最近投函されるのは請求書以外はほとんどチラシや水のトラブルのマグネット広告くらいで、濡れても大して気にならなくなったのもあるかも。

3.シロアリ参上!

誤配や郵便物が濡れるのと並行して、入居当初からトイレの小窓や洗面所の水回りに小さなアリの姿をチラホラ見つけることはあった。
ただ、今のアパートの前は築百年ほどの古民家に住んでいて、裏に草が伸び放題の空き地があったせいか年中とにかく様々な虫が入ってきたので、「ああ、アリがいるな」という程度だった。
ところがある日、明らかに羽のついたシロアリファミリーが大量に出現したのでギョッとして、すぐに写真を撮って標本をとって、大家さん宅へ知らせに行って、現場まで来ていただいた時にはもう、シロアリたちは「危険」を察知して穴から逃げ帰っていて数匹しか残っていなかった。
「本当にシロアリかどうか、一度業者さんを呼んで調べてもらいましょうか…」とおっとり仰る大家さんに「いえこれで、確認してもらってください!」と標本を渡すと、翌日にはシロアリ認定されて数日後には一階の庭や建物周辺に専用の薬が置かれて解決した。柱そのものにはまだ大きな被害はなさそうだったようで、一安心。

ここまで3種類の出来事のストレス度合いは、1>2>3の順となる。

4.その後の、いくつかの不具合

ここからは文字だけでざっとご紹介。

・ある日、ゴミ集積所(大家さんの敷地専用の場所)に、前日の昼間から出されていたらしきゴミ袋がカラスによって破られ、燃やすゴミの日ではない朝に中身が散乱していたのを私が見つけた。
その頃、感染症にかかる人が多いというニュースがさかんな時期だったため、使い捨て手袋をしてゴミを拾い新しいゴミ袋に入れて口を結び、ゴミの日まで一旦敷地内の物陰に置くことにして、大家さんに経緯を伝えに行くと、インターフォン越しに「私も見て、ああ、すぐ片付けなければと思っていたのですが体調が悪くて動けなくて…申し訳ありません」と力ない声が返ってきた。

以前から大家さんは大病を患い、治療中であることは聞いていたが、その頃ずいぶん調子がお悪いようだった。
ただ責任感が強く気遣いの方なので、大家さんはその日のうちに自治体?に連絡してゴミ用の緑のネットを取り寄せ、次回のゴミの日からカラスの被害はなくなった。

・またある日、ギー、ウー、ギギィー、という非常に大きな音が長いこと聞こえるので外で工事でもしているのかなと思ったら、うちの浴室の換気扇だった。
換気扇の不具合は一時的なもので、静かに運転してくれることもまだあったので、様子を見ながら、摩擦音が大きくなりはじめたらすぐ止めて、持ち運べる除湿機で代用するなど、騙しだまし使い続けた。
とうとうある日、スイッチを押しても動かなくなり、それでも体調不良の大家さんを煩わせてはいけないと、換気扇を使わず100%除湿機でしのいだ。

しかし表でバッタリ会って、大家さんから「最近お部屋で何か不具合はないですか?」と聞かれた時、つい言ってしまった。
「実はお風呂場の換気扇が壊れたみたいで…」
その数日後には取り替え工事の方が来られて解決した。

・そして真冬のある日、大家さんから電話がかかってきた。
「今、お水出ますか?お部屋大丈夫ですか?」
大家さんが大慌てなのは、アパートの壁に設置された私の部屋の水道管が破裂して水が激しい勢いで飛び出していたからだった。
それは正確には給湯器からお湯を出す管だったらしく、昼間でお湯を使っていなかったため気づかなかった。部屋に水の被害が出たわけでもなく、修繕工事もすぐしてもらえたので無事に解決した。

以上の3つについては、私の側のストレスはほぼゼロだが、大家さんの心労は大きなものだっただろう。
というのも何かあるたび「色々とご迷惑をおかけして本当に申し訳ございません」とお手紙をつけてお菓子や紅茶、果物などを差し入れてくださるので、却って申し訳なくて。

そう思う一方で、私にはまだ大家さんに伝えられずにいる部屋の不具合があった。

5.熱湯か水か。

実は入居当初から、シャワーの温度が変だな、と思うことはあった。
シャワーとお風呂の温度設定ができるはずなのに、どう考えても「その温度ではない」お湯がでた。あるいはお湯を出しているのに水になってしまったり。
途中であまりに熱くなりすぎるので、最終的にはシャワーを35℃で使っていた。それでも一年目は何とかなったものの、2年目の春以降にかなり不安定になった。

姉が泊まりに来ても、銭湯や日帰り温泉に案内するしかなかった。
やがて自分が入浴するのも徐々に怖くなり、一瞬で汗だけ流して終わるようにしたり、二日に一度、三日に一度、というふうに回数を減らすようになった。
ちなみに、先ほど水道管破裂の話を書いたが、その際大家さんが「かなり水が吹き出ていたので水道代請求があまりに高額な場合は教えてくださいね」と心配するほどの額にならなかったのは、おそらくその頃からすでに入浴の回数(水を使う量)が減っていたからだろう。

当初は「誤配換気扇とかシロアリとか水道管破裂とか、今まで他に色々あったのに、この上さらに給湯器の取り替えなんて一番お金がかかりそうだし言い出しにくいなぁ…」と遠慮していただけだけれど、2年目に入って夏が終わり秋になって「これはもういよいよ危険なレベル」だと自覚するようになってからも控えたのは、ある時から大家さんが入院(または別の土地で療養)されていたためだった。
携帯の番号は伺っていたけれど、ご本人が大変な時にこんなこと言い出せないし、部屋を借りた時の不動産仲介の会社に相談しても結局は大家さんに連絡が行ってしまうだろうし…
それから数ヶ月。時折親族の方が庭の手入れや部屋に風を通しに?来られていたが、庭の花は枯れ、雨戸が閉まったままの日が続いた。
不安な気持ちと連動するように給湯器の具合も悪くなり、我慢は限界を迎えつつあった。
もうこの部屋にこのまま住むのは難しいかもしれない…

そして、引越しをまず考え、その次に転職も考えた。
そうだ、また移住するのもありかも、という気持ちになり、普段ならそんな勇気もないはずなのに、縁もゆかりもない土地の魅力的な会社の求人情報を見つけてその時は「えいっ」とエントリーしてみた。
まずは住所や年齢、簡単なコメントや希望を書き込むだけで、その先に実技試験や面接が待っているようだった。

次の指示や返事が来るまでは約2週間。
もうすっかり、その土地もその部屋ともお別れするつもりでソワソワ、浮き立つような気分で過ごしていたある日、夕方買い物に出かけようと表に出ると、庭に大家さんの姿を見つけた。
久しぶりに退院して戻ってこられたのが嬉しくて、駆け寄り声をかけた。
よかった。また会えて、ご無事で本当によかった。
体調のことなど伺ってその場を離れようとした時、大家さんから「どうですか、その後お部屋で何か不具合はないですか?」といつもの調子で聞かれ、私はつい口にしてしまった。
「あのぉ、お風呂がちょっと。シャワーが途中から熱湯か水になってしまって…5回のうち2回くらいは全然大丈夫なんですけど」
「まぁっ、それは大変。危ないから早速ガス屋さんに来てもらいますね」

そんなやり取りで、二日後にはガス屋さんがこられて、さらに翌日に新しい給湯器に交換してもらった。
念願だった「シャワーが安定した温度で出てくる」状態が実現し、お風呂もぬるくなくてポカポカ。こんな幸せなお風呂タイムが訪れるなんて。

しかし、私の胸はざわついていた。
この部屋を離れるつもりで他県の求人にエントリーしてしまったけどどうしよ。
こんなに色々してもらったのに、無事に帰宅されて嬉しいのに、その直後にここを離れて良いのか?そんな不義理なことでよいのか?やはり今からでも辞退しようかしら。

ただ、心配は無用だった。
結局、どれだけ待っても企業からの返事はなく、落ちたとの通知や「残念ですが」のお祈りメールすら来なかった。年齢か、今の仕事を続けたいので副業希望を出したせいか、長年フリーで特に誇れるキャリアがないせいか。その全部か。
慌ててnoteで「求人 返事」というキーワードで他の方の記事を検索したら、年代に関わらず、返事すらこないケースがとても多いことを知って、人材不足とか言ってるけど、世知辛い世の中なのね、と理解できた。他の方の体験記ありがたい。

本来は肩を落とすところだけれど、今回だけは、むしろどこかでホッとした。

もともと私がこの街に越してきたのは、2年ほど前に救急車で運ばれ入院手術した身内(沿線は違うが同じ区に住んでいる)の病気を見守り、何かあった時に駆けつけるためだった。
ただ、身内は健康をひとまず取り戻し平穏な生活を送っているので、私が今ここにいる必然性がいまいちわかりづらくなっていて、その上この部屋で色々不具合ばかり起こるよなと思うようになり、お風呂に入りづらくなって、大家さんも留守になって、本来ピンポイントな部屋の中の不満のはずなのに、どんどん膨れ上がって自分の人生の不満や不安に重なってしまったのかも。

結局、お風呂問題が解決したせいか、大家さんが無事に戻ってこられたせいか、心はすっかり落ち着いた。やっぱこの部屋、最高だねぇ。
来年からは、自分で選んでこの部屋にいることをもっと自覚して過ごしたい。

6.網戸問題

長々とここまで書いてきて、最大の悩み(給湯器)が解決したことでこの部屋での暮らしはもう運命だと思うほどになったわけだけども、未解決の話を最後にもう一つだけ。

この夏は暑すぎて、蚊があまりいなかったのでホッとしていたけれど、9月後半あたりから部屋で蚊が飛び交うようになり、それは11月に入った今も続いている。

なぜ。いったいどこからこんなに蚊が入ってくるの。
と疑問に思わないのは、その理由が最初からわかっているから。
この部屋で一番大きなベランダの窓ガラスと網戸との隙間が大きく開いていて、小さな窓の網戸の方も、もれなく虫が通れるほどの隙間があるのだ。
10月末のある日、夜中に耳元で蚊の音があまりにうるさすぎるので、以前古民家暮らしで使っていたワンタッチ蚊帳(かや)を押入れから取り出し、夜中の3時にセットして寝て以来、ずっと蚊帳で寝ている。
まぁそのうち、網戸の隙間テープを見つけて貼ろうっと。

そんなわけで、部屋の話、おしまい。