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「アパレル店舗を救う」というエゴ

タイトルの通りのことをふと考えた。

セレクトショップのショップスタッフをしていて、コントロールできない来客、期待値の擦り合わない接客の難しさを実際に肌で感じて、なんとかしたい、と考えたのが大学2年生の春。

しかし、ただの大学生だった自分になんとかできるはずもなく、ショップスタッフを辞めてなんとなく過ごしていたが、就職活動の中でその想いが再燃。

自分は表現者にはなれないと思ったから、その表現者(ここでいうとブランド、とかセレクトショップ)をサポートする分野で一番になろうと考えた。

真っ先に浮かんだのはプロモーション領域、つまり肌で実感した来客と来客後の体験をなんとかしようと考えた訳である。

でも、単なるプロモーション屋さんでは誰にでもできてしまう。大手広告代理店の中でコモディティ化されたことをすでに用意された競合優位性の中で実行していては、自分が対面には立てない。そう考えて、コモディティ化していなかったメディア創りを支援する会社に入社した。

そこで学んだことは確かにコモディティ化されていなくて、一つ一つのメディアにそれぞれの創り方と事業可能性があった。

そうして複数のメディアに携わった後に、目標通りファッション業界に転身した。

最近思うのは、情報が不足している(物理的な情報量という意味ではない)消費者の意思決定を救う手助けをしてもらっているということである。

店舗とユーザーを繫ぐサービスなのだが、ずっと"店舗を救う"というエゴに囚われていた気がする。

不思議なもので、冒頭で記載した表現者を救うサービスを運営するとそのサービスで消費者を救いたいと思い、結果的に自らが表現者になって、救うなどと考えていた対象である表現者の方々の力を借りている。(もちろん結果的に店舗にもメリットはある)

今は、表現者のサポートではなく、(昔憧れて敵わないと思っていた)表現者の方々と肩を並べて、消費者がもっと楽に有用な意思決定が出来て、いいモノがいいと伝わる世界を創りたいと思う。

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