デジタル時代における「雑誌編集者」の価値

デジタルメディア(いわゆるWEBメディア)の興隆により、「紙雑誌は死んだ」などと嘆かれ始めて久しい。その流れで、「紙雑誌の編集者」の人々のキャリアも危ないと一部では考えられている。

紙雑誌よりもデジタルメディアの方が閲覧されるのだから、必然的に紙雑誌に関する仕事が減っていく、というのは理解ができる。一方で、「紙雑誌の編集者」の人々の価値自体はまだ正しく認識されているとは言い難い。それは紙雑誌の編集者の人々が(そしてそれ以外の人々も)、自身の価値についての考えがあまりに近視眼的すぎるためだと考えられる。

紙雑誌の編集者の人々の価値は、別にコンテンツを「集めて、編める」ことではない。その「集めて、編む」過程を経験するからこそ成り立つ、「データの先にある定性的仮説」の量と質が高いことである。

メディアに限らず、様々なモノがインターネットに繋がる時代、「定量的事実(データ)」は、いとも簡単に入手することが可能だ。だが、定量的なデータを次の施策に活用する時には、必ず「定性的仮説」が必要になる。そして、この「定性的仮説」は、特にB2Cマーケティングにおいて、抽出が困難、かつ不確実性が高いと言える。

例えば、あなたがアパレル企業でマーケティングに従事していたとしよう。仮にこのアパレル企業のターゲットが25-35才程度の男性だとする。定量的事実として、モテを意識した「コンテンツA」と、モテを意識しない、非常に男臭い「コンテンツB」を比較すると明確に(統計学的優位性が認められるほどに)「コンテンツA」の閲覧回数が多かったとする。(※コンテンツの流通に関する条件はAもBも変わらないと仮定する)

ここであなたがマーケッターなら、「このブランドのターゲットになるユーザーは“モテ”を意識するコンテンツやアイテムが売れるのか」と、(実際はここまで安直でないとしても)結論づけるだろう。

だが、該当ターゲットを読者にもつ紙雑誌の編集者であれば、「なぜモテを意識するコンテンツがヒットするのか」についてさらに多くの仮説を想定することができる。

「コンテンツを閲覧する時は女性とともに見るような視聴環境が多いため、必然的にコンテンツAに閲覧が偏ったのでは」

「SNS上における承認欲求を満たすという観点から、コンテンツAは25-35才くらいの男性が見ていて誇らしいと思えるなにか他の理由があったのではないか」

特にB2Cマーケティングにおいては上記のような「定量的事実」の裏にある「定性的仮説」の量と質が、その後の打ち手の量と質に直結する。

「どうすればターゲットユーザーが行動を起こすか」を考えるだけでなく、特定のターゲットを「もっとも近い距離」で観察してきた編集者キャリアを持つからこそ、データの先にある定性的仮説の量と質をかなり高い水準で担保できるのではないか、と思わずにはいられないのである。

このことを認識し、紙雑誌という表現手法にこだわることがなければ、マーケティング戦略の参謀として活躍できる人材が多く存在するのである。


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HANIOKA

メディアの狭間

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