沢山面倒を見て下さったiさん へ

沢山面倒を見て下さったiさん へ

 こんにちは。お元気ですか?Twitterで、いつもご活躍拝見しております。

 iさんのことを話そうとすると、いつもその関係性に名前が付けられず困ってしまいます。親族でなければ近所のおじさんでもない、ただの他人です。だからと言って友だちでもありませんし…答えは出るのでしょうか。

 でも、関係性に名前なんてなくていいです。それが、iさんが私にとって唯一の存在であることの証明になります。私の人生において、iさんとの出会いは本当に大きなものでした。

 そもそも、出会いも不思議なご縁でした。私が一番尊敬しているキーボーディストの方のイベントの、進行やその他を担当されていたのがiさんでした。後から知ったことですが、iさんはそのイベントが行われている会場の社員さんでしたね。その時点では演者と客。そして、距離の近いそのイベントでは、演者のお二人が出入り口でお見送りをして下さるところまでがイベントでした。

 初めてそのイベントに参加し、そして目の前に笑顔で立っているそのキーボーディストの方を見て、私はその方の目の前でおかしな泣き方をしてしまいました。ずっと尊敬していた方との会話ですから、緊張だったのかも知れません。

 そして、そうなる前の私とお話してくださったのがiさんでした。当時は勿論、キーボーディストの方を見るために来たのですから。でも、その手前にいらっしゃったiさんは、そんな私にも優しく話しかけて下さいました。その温かい人柄が印象に残り、帰宅後、キーボーディストの方だけでなく、iさんにも感想とお礼のメッセージを送りました。

 iさんは、Twitterのリプライで送ったそれに対して、わざわざ私をフォローしてDMでお返事をくださったのです。iさんは誰に対しても、お客さんを大切に思う方でしたから、フォローまでは普通のことでした。DMを下さった理由は、私のメンヘラのような長文のメッセージに圧倒されたからでしょうか。

 ただのメンヘラの長文のようなメッセージに、iさんは、文章力があるね、表現力があるね、などと嬉しい言葉を沢山かけてくださいました。そこから、私のイベントの目的が一人から二人になるのに、そう時間はかかりませんでした。

 それ以降も、イベントに参加する度にメンヘラを発揮する私に、iさんはその都度優しく返事をしてくださいました。段々イベントに参加する方の数も増えていき、全てにお返事するのはたやすいことではなかったと思います。それでも毎回、一人一人の言葉をしっかり受け止めて返事をするiさんは、本当に素敵な心の持ち主なんだなと思っていました。

 私がイベントに通い始めてから一年ほど経った頃でしょうか。イベント開園前にあるトラブルに巻き込まれた私は、直接的な表現を避けながらそのことをツイートしていました。するとイベント終了後、そんな異変に気が付いたiさんはわざわざDMを下さいましたね。そのとき、酷く落ち込んでいた私は、それだけで救われたのです。私のことを気にかけてくれる人がいるんだ、と、そう思えただけで心が楽になりました。

 既に友人に相談していたことで、その友人にiさんからのDMについても実は相談していました。演者にそこまで迷惑をかけてしまう訳にはいかない、と悩んでいた私に友人は、今後も起こるかもしれないことなんだよ、と背中を押してくれ、iさんに相談することに決めました。

 全てを把握したiさんは、直接的な解決策よりも、私の自衛のための方法や精神面でのケアを優先してくださいました。私のことを一番に考えて下さっているiさんには、本当に助けていただきました。あの時iさんに相談していなかったら、きっともやもやしたまま終わっていたと思います。それに、iさんに教えていただいた自衛の方法は、今でも何かあると実践しています。

 初めてお会いしたときは高校一年生だった私も、高校二年生になりました、諸事情で忙しくなっていた私は、キーボーディストの方のレッスンに申し込める状況だったのにそれを断ってしまうほど、そしてイベントにコンスタントに参加できないほどでした。毎月通っていたその場所が、物凄く遠く感じました。当時から生配信も同時に行ってくださっていたため、それだけは必ず見ていました。

 でも、演奏の生感はそこにはありません。目の前で奏でられる音、指の動きを目で追ったり技術を盗もうと凝視するあの必死さ、それらはありません。音楽は、生が一番なのです。その場の音を感じることが、一番なのです。それが出来なくなってしまい、落胆する日々でした。優しく繊細なピアノも、iさんの柔らかいサックスも、記憶の中の物になってしまいました。

 そしてその年の冬、誕生日月に、私はある病気にかかってしまい、入院を余儀なくされました。それは、イベントの開催日も含まれていました。あの時のやるせない気持ちは、一生忘れないと思います。本当に悔しかった。誕生月は特別なことがあるから、一年間楽しみにしていました。それが、なくなってしまったのです。

 私はその月、イベント内のコーナーで読まれるメールを送っていました。誕生月であること、そして入院により参加できないこと、ずっと楽しみにしていたこと。当日、そのメールを知ったiさんは、私にメッセージを下さいました。どうしてそこまで、客を大切に出来るのでしょうか。優しい、という言葉だけでは足りないのです。

 その後半年を待たずに、そのイベントは終わってしまいました。理由は、演者の多忙。キーボーディストの方の活躍の幅が広がったことは、自分尾ことのように嬉しいです。でも、やっぱり寂しかった。もう、あんなに近い距離で演奏を見ることは出来なくなってしまうんだ、と。それに、イベントだけが私とiさんを繋いでくれていたものでした。関係がなくなってしまうような気がして、怖くなっていたんです。

 最終回にも参加できなかった私は、今までの感謝を、今度はリプライではなくDMで届けました。それに対してiさんは、何かあったらいつでも連絡してね、と言ってくださいましたね。本当に嬉しかったです。友達でもない家族でもないおじさんは、博識で視野が広くて、絶対に私が導けない答えを出してくれるかっこいいおじさんでした。

 iさんの誕生日のとき、受験のとき、第一志望校に合格したとき、節目節目で私はiさんに連絡しました。そのたびに、iさんは優しく返事をしてくださいました。本当に、優しく。元気づけられました。

 そしてあるとき、iさんは私に、「二十歳になったら、お酒を飲みながら昔話をしましょう。」と言ってくださいました。その場所はきっと、iさんが当時よくTwitterに投稿していた、8bitの音楽を楽しめるあのバーでしょう。ゲーム音楽の好きなiさん。iさんの好きな場所で一緒にお酒を飲める日、それをずっと楽しみにしていました。昔話をするのも、楽しみでした。

 そして昨年、2020年。私は20歳になりました。まだそれは実現していません。勿論原因はコロナ禍。いつになったら実現するのか、私には分かりません。でも、それでもいいです。昔話の範囲が増えるだけですから。話したいことがどんどん増えていくだけですから。この期間は、昔話を増やすための期間ですからね。

 今だってもう、話したいことは沢山あるのです。本当に沢山。高校時代の話、受験の話、大学の話、家族の話、恋人の話、数えたらきりがありません。でも、今は我慢するしかありません。みんなが安心できる世の中になったら、必ずあの時の約束を果たしてくださいね。

 それまで、iさんが作ったあの曲を聴いて、待っています。夢に向かって勉強も頑張ります。最後にお会いしてから三年以上経っていますから、大人になったね、と言って頂けるように、一回りも二回りも大きくなっておきます。まだお酒はそんなに飲めないけれど、美味しいお酒を教えてくださいね。

 私は、iさんに出会えて幸せです。いつも私を励ましてくださるiさんがいなかったら、活力の一つがなかったのと同じです。沢山助けられました。そんなiさんに、私が出来ることはなんでしょうか。役に立ちたいけれど、私に出来ることが全く分かりません。だから、とにかく元気に健康に、素敵な女性になります。昔からおじさんには、成長した姿を見せて喜んでもらうことが一番の孝行だって決まっているのです。

 また長くなってしまいました。いつまでも、ここばっかりは成長しません。でも、むしろ私のアイデンティティにしてしまおうかな、なんて思ってしまいます。だって、iさんが褒めてくれるから。

 最後まで読んで下さり、ありがとうございます。これからもiさんのご活躍、影ながら応援しています。お身体に気を付けて、頑張ってください。


2021年3月18日 はのと

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