卒業後の方が仲良くなった高校時代のm へ

卒業後の方が仲良くなった高校時代のm へ

 お久しぶり、かな?連絡は超ローペースのコンスタントに取り合ってるから、どこら辺が久しぶりなのかはよく分かりません。

 mと出会ったのは高校一年のとき。入学して二日目かな?私が教室に着いたら、私の周りの席の人たちが盛り上がってて、その中にmがいたのが認識した最初。その中に入れて貰って、連絡先交換して、いわゆるグループが出来たね。

 それで、いつからkら一人減って5人になった。正直、その子は本当に行動が上手かったと思う。まだ仲良くなり切ってないけど、きっと私たちより居場所として居心地がいいグループを見つけて、特に何悶着もなく自然に移った。本当に自然に。私たちも何も思わなかったし、その後も問題になることはなかったよね。ほんと、上手だったな。

 それで5人で行った遠足。そこら辺から、一人の子が様子おかしくて、別の子に嫌がらせというか、ちょっとした面倒なマウントを取るようになった。そいつを守るために、私はいろいろ動いた。面倒ごとに巻き込まないで、みたいな。詳しいことは忘れたけど、そんな感じで4人になった。

 3人になるのも早かったな。このときも最初のときと同じ。私たちよりいい場所に一人が移ってった。このときも、特に問題は起きずに自然に。結局、人数は半分になったけど、トラブルが起こったのは1回だけだったね。高校生になると、こういう人付き合いもみんなうまくなっていくんだなって思った。

 そんなこんなで、その子たちにとって居づらかったこの場所は、私にとってとっても居心地がいい場所になった。別に前から居心地悪いとは思ってなかったけど。残った私と、二人のm。もう一人の方はyにしよう、分かりにくいから。あだ名のね。

 yと私は趣味も同じで、とにかくずっと一緒だった。授業中も何かと騒ぐのは私とyで、後ろからmがそっと見てる感じ。私たち、最初から「たぶん一番怖いのはmだよね~」って言ってたんだよ。ある意味それは正解で、不正解だったね。同じクラスだった一年間では、mのすべては分からなかった。好き嫌いがはっきりしていて脳みそと口が直結しているタイプの私と違って、mはいつも穏やかに笑っていた。そりゃ、怖がられても仕方ないよねmちゃん。

 二年生になった。私をハブって、二人は同じクラスになった。私は、クラスにほぼ知り合いがいなくて絶望だっつーの。お二人さんはいいね、仲良しこよしで同じクラスですもん!とごねていた私を裏目に、二人は別々のグループに属していたね。席が遠かったのがたぶん一番の原因。あと、二人とも、一年のときの友だちに逃げようとしない、強い子だったのも大きいね。

 一人だけ仲間外れにされた、とは言え隣のクラスの私たちは、週に二回の体育の授業で再開していた。あと、全校集会とか学年集会。持病が原因で長時間体育座りが出来ないから列の最後尾にいた私と、出席番号が一番後ろで順当に最後尾のm。体育でも集会でも、くっっちゃべっては先生に見つかっていまして。すいません、私昔から、声通りやすいって言われるんです。

 それから、mは出席番号の関係で、教室の席も廊下側の一番後ろだった。つまり、私のクラスから一番近い席。だから、あんたたちのクラスに行こうとするときは、一旦mにちょっかい出すのが私の日課だった。会う度に軽口を言い合う仲は、私のクラスにはほぼいなかったから。みんな、私のいいところしか知らなくて、悪い部分は知らない。だから、mとの一瞬のやり取りが結構好きだった。

 で、三年生。私とmは同じクラスになった。確か、yは隣のクラスだったっけ。席も近くて、mの前にはyが二年の頃にお世話になった友達もいて、そこら辺で固まるのは自然だった。というか、三年生のクラスは知ってる人ばっかりだったな。スタートが上手く決まって、そのまま平和な三年生を過ごす。

 と思いきや、私に受験という魔王が立ちはだかった。魔王の元へはルーラを使っても行けないから自力で歩かなきゃいけないし、その道すがモンスターと鉢合わせるものだから、HPもMPも減っていくわけ。魔王の城に着く頃にはもうへとへとよ。その上魔王なんてものは、ルカニも効かん。おまけにあいつ、いつぞやのあいつみたいにベホマしてくるらしい。そんなんで、私は心身ともにズタボロ。

 そんなとき、奇跡的に目の前に女神像が。それがmだった。私たちのクラスで、一般受験を最初から決め込んでたのはたぶん3人くらいだったよね。残りはみんな、伝統校にあやかった指定校推薦、AO入試、公募推薦、その他ありとあらゆる手段。それが私たちの学校の当たり前、普通だった。私の方が普通だった。

 一足先に受験を終えたm。でも、mは第一志望校は落ちちゃって、流石に自分のことで手いっぱいだった私も慰めてたわ。受験が終わったmは、今までずっと隠してきた優しさを一気に開放してきた。分かりやすい優しさは見せない。でも、いつも私の様子を観察してくれていた。ちょっとした変化、気分の落ち込みにも気が付いて、その度に軽口を叩いたり、本気の慰めをくれたりしたね。

 本当に嬉しかったのは、精神を病んで学校を休みがちだった頃、担任の先生にいいこと言われて大泣きしていた、大泣きのまま先生の放置された私を見つけて、授業始まる寸前なのに駆け寄ってくれたこと。何も言わずに肩に手を置いて、何も言わずにそのままでいてくれた。何も言わなかったことが、それがmの声だった。

 おかげさまで、夏までD判定だった第一志望校に合格。そのとき、一番喜んでくれたのも、実はmだった。yとは一番仲良かったけど、同じクラスじゃないから私の全ては見ていない訳で、その分、mは本気で喜んでくれた。泣いてくれたのはmだったっけ。ありがとう。

 結局、卒業式まで軽口叩き合って、私はお礼の一つも言えなかった。ありがとう。この簡単な五文字が、出てこなかった。意地っ張りで弱い私でごめん。

 卒業しても、私たちは一か月に多くて2往復の連絡を続けた。1か月に1往復なんてざらにあった。でも、そのペースだからずっと続けられたんだと思う。頻繁に連絡を取っていた人たちは何人かいたけれど、その全部が、今は途切れてしまった。残ってるのはmだけ。不思議だよね。在学中はサシで遊んだこともなかったのに。学校以外といえば生き帰りの電車でしか会わないような、それも稀のような感じだったのに。お互いに一番の準拠集団は別にあったはずなのに。

 卒業して最初のゴールデンウイーク、夏休み、遊んだね。その後は予定が会わなくて春休みの終わりに会う予定を立てた。楽しみにしていて、当日の朝も準備までしたのに、その日の朝のニュースが私たちの足を止めた。志村けんさんの訃報。それまで特に気に留めなったウイルスの、本当の脅威を感じた瞬間だった。

 少し迷ったけど本音で連絡すると、いつもはつかない既読はすぐについた。私もそう思ってた、って。その日の予定はなくなり、私の隠居生活が始まった。あの日が、始まりだった。

 夏休みになって、ようやくZOOMしたね。でも、やっぱり画面の向こうじゃ嫌だよ。機械音痴のmとZOOMなんて、もう一生やらないよ。だから、早く一緒にディズニーでもなんでも行こうね。本当は春休みに行くつもりだったのにね。まさか、緊急事態宣言が出るなんて当時は思ってもみなかった。年末年始の飲みシーズンは放っといたくせに、学生の春休みは正規で潰すんだから。

 早く遊ぼう。それまで連絡は途切れさせないから。早く一緒にお酒も飲みたいよ。折角色々出来る年になったのに、どうして勉強しかやることがないんだろうね。不思議。

 とにかく、元気でやってください。健康に。それだけで十分です。mが21歳になるまでに、会えるといいな。

2021年3月24日 はのと

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