震災のとき隣の席だった名前も思い出せない君 へ

震災のとき隣の席だった名前も思い出せない君 へ

 お久しぶりです。成人式にはいましたか。ただでさえ誰が誰だか分からなかった成人式ですから、私はあなたを認識することが叶いませんでした。探してすらいませんし、今存在を思い出したくらいですが。

 あなたのことを特別思い出せるのは、あのとき隣の席だったからです。普段から無口で、何かと反応が薄かった君。何を考えているかよく分からないし、コミュニケーションが本当に苦手だったんですね。当時の私は極度に積極的でしたから、さぞ怖かったことでしょう。え?迷惑だった?ごめんなさい。

 あれは確か、数学の時間だったと思います。五時間目。内容は、立体の構造的なものだったような。先生が粘土と割り箸を用意して、それを使って代表で私が立体を作りました。それを見ながらの授業でしたね、たぶん。普通小学四年生の頃の授業の一コマなんて、誰が覚えていますか?私はあの時間を、こんなにも明確に覚えているのです。

 そしてそれは突然、訪れたのです。誰かがこう言いました。「地震だ…」

 その言葉をかき消すように、激しい揺れが襲ってきました。今までに体験した地震とは訳が違います。流石に10歳の頭でも、危険を感じました。避難訓練では誰も真剣にやらないのに、このときは誰も躊躇わずに机の下にもぐりました。先生の指示の前に。

 私も例外ではありません。驚いて、気が付くと机の下に身を潜めていました。幸か不幸か身長が極めて低かった私は、成長期を迎える周りよりも簡単に潜り込むことに成功。あの机、もっと高い方が絶対いいと思いますよね。潜れませんもん、普通。

 今まではすぐに収まっていた揺れが、なかなか収まりません。ずっと揺れています。しかも激しく。児童数超過の影響で、追設したプレハブ校舎の二階の教室にいた私たちは、恐らくその小学校の誰よりも激しい揺れに襲われていたともいます。プレハブですから。揺れます。本当にすごく揺れました。

 揺れの最中、怖くて、本当に命の危機を感じました。怖くて怖くて仕方がありませんでした。床が抜けると本気で思いました。だからなんです。隣の席の君に、「こういうの意外と苦手なんだ」と面倒くさい絡み方をしたのは。ごめんなさい。ああでもしないと、私泣きそうでした。

 なんとか揺れが収まると、今度は校庭に避難となりました。避難訓練さながら、というか、あれは本当に役に立つんだ、と実感するような移動でしたね。訓練も馬鹿に出来ません。

 その後のことはよく覚えていませんが、叔母が迎えに来てくれて、私はなんとか家に帰ることが出来ました。あのとき確か、迎えがないと帰れなかったんですよね。子どもだけで帰るのは危ないと。校庭で、1000人近い児童が親の迎えを今か今かと待っていました。

 こういうとき、片親だったり仕事で帰れない親の場合はどうなるのでしょう。教員が送っていくのでしょうか。そういったマニュアルも、きっと今の学校にはより詳細にあるのでしょうね。

 教室から飛び出した後は、君の記憶はありません。あれは名前の順でしたからね。席順ではないですから。という訳で、同じ学校で9年間過ごしましたが、君の記憶はあの数分間だけです。だけど、あの揺れのせいで、年に一回は君のことを思い出すでしょう。顔も分からない、名前も分からない君を。

 私たちの地域も、比較的揺れは酷い方だと思います。だけれど、家に帰ってニュースを見ると、そんなこと言えないような惨状があちこちで起こっていることを知りました。どのチャンネルも、津波を警告。余震を警告。楽しみにしていたテレビは全部見られなくなり、いつまでも恐ろしい情報しか目に入りませんでした。子どもながら、ただ事ではないことを感じたし、現に鮮明に覚えているのです。

 今になって思います。私たちは、もしかしたら震災の記憶が鮮明に残っている最後の世代なのかも知れない。今の子どもたちは震災を知りません。経験すらしていない子も沢山います。そんな私たちだから、最後の世代だから、絶対にこれを風化させてはいけない。

 私は大学を卒業したら、学校の先生になりたいと思っています。なります。小学生の頃からの夢です。学校の先生として、将来の子どもたちと密に関わる身として、この立場を活用しなくてはなりません。伝えていく。語っていく。何度も何度も、同じ話、もう聞いたよと言われても、しつこいくらいに。それくらい、大きな出来事だった。だから、忘れてはいけないし、事実から目を背けてもいけない。私たちは、伝えていかなくてはならない。

 そう考えるのは、私だけではないと思います。君だって、賛成してくれますよね。君が今どんな生活をしていて、どんな道に進もうとしているのか。勿論知りませんし、特に興味もありません。だけど、どんな道に進もうと、私たちに出来ることを忘れてはいけません。

 今日、3月11日。最低でもこの日だけは、国民が一体となって、あの惨事を語りましょう。思い出しましょう。それが、今できること。

 もう君に宛てた手紙とは思えないような内容になってしまいましたね。ごめんなさい。でも、伝わるといいな。私、極度に積極的だったから。今は少し消極的になってしまったけど、今日くらい積極的になろうと思います。

 では、お元気で。また来年、君のことを思い出します。


2021年3月11日 はのと

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