歌い手が好きだった。好きで好きでたまらなかった。でも今は。

 こんばんは。ピンクの可愛い普通車が欲しい。最初だから、車なんで走れば全部一緒だと適当選んでしまった。でも世界にはいろんな車があることを知って、私はもっと可愛い車に乗りたいんですね。で、見つけたんです。奇跡の可愛さを持つMarchを。あの車可愛い! と思うたびにぜーーんぶMarch。調べたら廃盤でした。え?????

 はのとです。初めまして。


 大学生のころにとある新人賞に出した小説をね、久しぶりに読んだんですよ。小説っていうよりかは自分の妄想を形にしたという方が断然近いしきもいんですけど、まあでも悪くはないんです。自分で書いたから自分に都合がよくて。時々鳥肌とか立ちますけどね。きもいから。

 こういう世界だったらいいのに、とか、こういう人がいたらいいのに、とか、そういう自分の中にあるちょっとした願望を形にするのが好きでした。今は社会人になってしまったのでそんな余裕ないけれど、また気が向いたらやろうかな。


 でね、その中の一つに、歌い手を題材にしたものがありました。中学生のころから高校2年生くらいまではまっていた。たぶん2013年とかそのあたり。当時はまだ「オタク」に対する風当たりの強い時代で、あんまり大きい声で言えなかったな。それが好きなものに対する冒とくであることにも気づかずに。その裏実は放送を楽しみに帰ったり、当落で一喜一憂したりなどしていた。健気だね。でも冒とくであることには変わりないね。

 今高校で先生をやっているのですが、生徒の中に歌い手が好きな子がいると、奇しくも古参マウントをとってしまい情けないです。だってさ、今の歌い手界隈なんにも知らないんだもん。自分の知っている当時の話をするしかないんですよ。

 最初に好きになったのはそらるでした。当時から、芸能人を呼ぶときと同じでフルネーム呼び捨てで呼称している。ファンのコミュニティに属していなかったので。そらるさんじゃなくてそらるだし、96ちゃんじゃなくて96猫だし、GeroりんじゃなくてGeroなんですね。そうです、この辺が世代です。vip店長とか懐かしいね。ぐるたみんも大好きだったな。

 初めて歌い手を生で見たのは、中学2年生の夏。3年生だっけ? HoneyWorksのライブで見た鎖那でした。イメージそのままの方だった。普段顔を出さない歌い手が、顔を出して生歌を披露している、という状況が異常に思えて、あっけにとられたのを覚えています。

 でもその後も、生放送見たり、歌ってみたを聴いたり、重大発表におびえたり、そういう日々で満足していました。それが楽しかった。歌い手は画面越しに楽しむぐらいがちょうどいいと、思っていたんですね。


 だけどあるときその認識が変わりました。私の尊敬するキーボーディストの方が、After the Rainのサポートバンドにいることが発覚したのです。特に大好きだったAfter the Rain。中二心をくすぐる歌詞に、かっこよすぎるシンセのサウンド。そもそもそらるが大好きだったのだから、当然ハマります。

 そういえばAfter the Rainって名前が付く前さ、そらいろまふらーの時期あったよね? あったよね??? 他にも天月と伊東歌詞太郎で甘党加湿器とか、そういううまいこと言う感じの名称めっちゃあったよね??????

 そんなことはどうでもいいんだけど、そらる×まふまふのころから好きで、アフターレインクエストの空想世界とオモチャの心臓とか、プレリズムアーチの鏡花水月とか、めちゃくちゃはまってた。ほら、こういう話がね、古参ぶってるって言われるんですよ。違います。ただの懐古厨です。

 特に鏡花水月は、イヤホンをしていないと聞こえないギミックがあると聞いてさ、放課後に友人と集まって聴いて「なんて言ってる!?」みたいな大盛り上がりを見せた。イヤホンじゃないと聞こえないとかすごいじゃないですか。なんで??? ってなってた。結局なんでなんだろう。

 そんなそらまふのライブ。機会を逃しているうちにユニット名が正式に決まり、当時はなんだかよく分からなかったけど、これからはいろんなことができるようになるって言ってて。今でもよく分かんないけど。

 そのAfter the Rainの名称の発表があったときにさ、たぶん私中学3年生だったんだけど、高校受験前で、年明けだったかな。これから何がどう変わるのかよく分かんないまま過ごしていました。転機は高校2年生の春。高校の友人に誘われて参加したあるライブ。


 ひきこもりでもフェスがしたい、っていうまふまふ周りの歌い手が集まるライブがありました。AtRだけじゃなくて、浦島坂田船とか、天月とか、XYZとかもいた。そう、ここでね、結構ショッキングな出来事に出くわすんです。そこから、少しずつ歌い手界隈から手を引くようになった。

 まず歌い手同士の距離感のバグ。いや、バグならまだよくて、客ウケするためにわざと演出でやってる距離感。それに発狂する客。私は双方にドン引いてしまった。だってもう、悲鳴で歌声も何もかも聞こえないんだもん。変じゃない?

 私は女性アイドルしか好きになったことがなく、男性をおっかけた経験がありません。だから、ある種初めての現場だったんですね。もしかしたら、男性アイドルの現場ではそれが普通なのかもしれない。でも、それを知らない私にとっては特殊な世界で、そこにいることが苦しくなってしまいました。

 私は彼らの歌を聴きにきたのであって、演奏を聴きにきたのであって、決して濃厚な絡みを見にきたわけでも、そういった舞台を見にきたわけでも、ましてや客の悲鳴を聞きにきたわけでもないのです。

 あれが普通なのであれば、私が悪い。庭の違う私が、その違いを受け入れられなかったことに非があります。本当に申し訳ないけど、私はもうこの人たちのライブにはいけないなと、思ってしまいました。すべての人ではありません。一部のね。そのファンが、魅せ方が、私には合わなかった。合う合わないって、あるもんね。


 そんなこんなで理想と現実とのギャップに苦しんでいたその年の夏、友人にAfter the Rainのライブに誘われました。色々悩みつつも、それでもやっぱり彼らは特別だったから、AtRならば行こうと誘いを受けました。

 人生初の武道館。ドキドキしながら会場に入り、座席に着く。360度のステージも初。キーボードはどこにあるか、なんてことも気になりつつ、開演を待ちます。


 激エモ展開もありながら、やっぱり私はAtRが大好きだなあと再確認するライブになりました。まふまふの作る音楽がどうしようもなく好きで、そらるの歌声と人柄がどうしようもなく好きで、もちろんそらるの作る音楽も好きで、After the Rainが好きだ。

 2人の関係性も好きでした。互いを尊敬して、そんな関係がとても。好きで好きでたまらなくて、ラジオをずっと聞いていたり、無限に音楽を流していたり、そんな日々を過ごしていたんです。


 でもね、今は。私はもう何年もAtRを追っていない。あんなにたくさんフォローしていたAtR関係のtwitterも、今やそらるしか残っていません。他はすべて解除してしまいました。なんでだろうね。

 きっかけはやっぱりあの夏。ライブ自体はとってもよかった。会場の装飾もステージもバンドの演奏も歌声も、そしてAtRのパフォーマンスも。ぜー-----んぶ含めて最高だった。久しぶりに当時のメモを読んだけど、やっぱりライブはとっても素敵なものだった。

 でもね、あの会場の雰囲気の中に、私は混ざれないなって。そう感じてしまったんです。ライブはとっても楽しくて幸せな時間だったけど、それでも、ちょっとした転換の時間とか、そういうときに他のお客さんの温度感、空気感を察して、あ、私は違うなって思ってしまった。

 私はAtRを神様のように崇拝できないし、どんなことをしてもどんな発言をしても肯定することはできないし、アイドルみたいな行動は好きではありませんでした。昔好きだった曲の歌詞にこんなのがある。

歌を歌って 曲を作って
アイドル気触れの現状

第二次カラクリ国家計画/After the Rain

 彼らの目指す先、そしてそんな彼らについていく層に、私は含まれていなかった。それだけのことです。彼らが悪いのではなく、そこに乗れなかった私の落ち度。曲は、雰囲気は、大好きでした。それ以外の要素が、どうしても私には合わないものだった。だから、私はついていくのをやめてしまった。このまま追っていても、自分が苦しくなるだけでした。


 数年経って、大学4年生になった私。学生生活も残すところ数か月となった冬、所属していた軽音楽部で、各パートのエキスパートに声をかけていました。「やりたいバンドがある。でもそれは全パートすごく難しくて、きみらにしか頼めない。」そのバンドは、After the Rainでした。

 自分に残された音楽ができる時間はもう少ない。悔いが残らないように、じゃあ私は残り短い期間でどのバンドを選んでライブをすればいい? そう思ったときに、自分の青春時代を確実に支えてくれていた大切なグループを思い出しました。

 声をかけた後輩はみな快諾してくれて、「今ライブAtRがいちばんむずい」などと弱音をぬかしながらも、ハイクオリティの準備をしてくれていました。1回練習に入るたびに曲が完成していって、何度も何度も繰り返し聴いてきた音が、自分たちの手によって再現されているという事実におったまげでした。


 AtRやろうかなって考え始めたのは大学3年生の後半くらいだったかなと思うんだけど、当時かろうじてフォローしていたそらるのtwitterアカウントでね、衝撃の発表があったんです。「After the Rainサブスク解禁」衝撃じゃん。

 それまでAtRの一切を忘れていた私。昔はCDをiPodに取り込んで聴いていたけれど、今やすっかりサブスクの時代。iPodなどもはや不要で、私の新しいiPhoneには当然、昔取り込んだAtRの音源はない。だからね、この解禁を知ったときに、久しぶりに聴こうかなって思って、解禁日にクロクレストストーリーをダウンロードしたのです。

 クロクレストはね、全部すげー思い入れがあって語り切れないんですけど、特にさえずりと桜花は大好きだったので、まずはそこから聴いたな。あとはアンチクロックワイズ。あれも冒頭の狂ったようなピアノが好きだった。

 そんなこんなしていたら、有名なのは知ってたけど聴いたことのなかった1 2 3を見つけて、これを機にと思い聴いてみた。かなりポケモンに寄せた曲だけど、それでも私の知っている彼らの良さが思いっきり詰まった素敵な曲だった。なんとなく敬遠していたけど、もっと早く聴いておけばよかったな。

 そこから、私は自分が追うのをやめた後に出たアルバムを全部聴きました。イザナワレトラベラーと7×2の大罪。


 そうしてやや再熱を果たし今に至ります。結局軽音楽部のライブでは、生に縋りつく、第二次カラクリ国家計画、ベルセルク、セカイシックに少年少女、1 2 3をやりました。古いものから新しいものまで。新しいと言っても1 2 3だけだけど。

 曲を選ぶ中で、候補はたくさんありました。個人的にやりたかった彗星列車。エモすぎて表現が難しい。それからセカイシックによく似たマリンスノー。四季折々に揺蕩いてはピアノとシンセがタイプ過ぎてやりたかったな。快晴のバスに乗る、とか、彷徨う僕らの世界飛行もめちゃくちゃタイプの曲で、私の知らない間にこんなに素敵な曲が~~~~~~~~~!!!!!!! となりました。


 やっぱり私は彼らの曲が好きだ。アーティストと作品は切り離して考えたほうが自分のためになります。作品はいいものなのに、先入観とかでその作品に触れられないのはもったいない。

 結局あれ以降、AtRそのものに触れることはなくなりました。まふまふの紅白は見たよ。びっくりした。あれは嬉しかったな。私が好きなものを冒とくしながらも秘匿して生活しなくちゃいけなかったあのころから、数年しか経っていないのに時代は変わった。それを実感しました。

 放送に足を運ぶこともなくなり、SNSも切りました。そこから見える色々なものが嫌になってしまい苦しかったから。


 それでもそらるだけは残った。最初に好きになったから。それに、彼はどれだけ売れても有名になっても人気になってもフォロワーが増えても、態度がぜー----んぜん変わらないの。だから安心する。変わらないものを見て、安心したい年ごろなのです。

 久しぶりに曲を聴いて、ああ好きだなって思ったけど、それでも昔ほどの熱量は持てなかった。AtRに限らず、当時好きだった歌い手は数知れません。たくさんいました。たくさんいたけど、変化についていけない私は、高校2年生で置いていかれてしまった。それがさだめだったのです。

 わすれられんぼが頭に響きます。呪いだなって思う。

わかってたよ 知られることが増えるほど
増えるんだ 忘れられることも

わすれられんぼ/After the Rain

自分すらも見失うのに
君の世界に居させてくれた
歌を歌えた 歪でも確かな愛情で

わすれられんぼ/After the Rain

いいよ 君はきっとわすれんぼ
で 僕はわすれられんぼ
だからいいよ 嫌われて捨てられてかまわない
傘もない ゴミの向こう

わすれられんぼ/After the Rain

好きなこと 好きなだけ愛していいんだよ
その中に ボクがいなくたって

わすれられんぼ/After the Rain


 こうなることが分かって、この曲を書いたのかな。いや、そんなことないか。この曲が出たころは、最古参あたりの人たちに向けた曲だと思ったもん。すでに自分たちから離れていった人たちへ向けた曲。

 当時は彼らを大好きだった私。昔好きだった人たちは、私の知らない彼らを知っているんだもんな~。今の彼らを知ったら驚くんだろうな~と他人事のように思っていた私。そこから少し離れた瞬間に、この曲の矛先が自分に向いていることに気づいてしまった。大好きで聴いていたこの曲が、私を追い詰めていく。

 AtRから、歌い手界隈から逃げ出してしまった自分を、この曲が責めてくる。いいよ、君が僕らを忘れてしまっても、別にいいよ。そうやって投げやりに、でも悲しそうな笑顔で言われているような気がする。あ~~~~~~もうそんな悲しい目で見ないで。私を責めないで。


 ここまで見えていて、彼らはこの曲を作ったのかな。そんなわけないけど、でも、当時は関係なかった「きみ」の中に自分が入ってしまい、この曲を思い出すたびに胸がきゅっと締め付けられる思いになる。ごめんね、ごめんね、忘れてしまってごめんね。心の底で懺悔をしている。届かないのに。

 私1人が抜けたところで沈むことのない船だということは明白です。むしろ、私が大好きで大好きでたまらなかったあの頃よりも、今の方が彼らを、歌い手を応援する人口は圧倒的に増えていると思う。歌い手、って言って大抵の層に通じるんだもん。私がJKのころは、歌い手? 歌手じゃなくて? みたいな感じだったもん。

 でもね~。苦しいね。好きだったころも苦しかったし、今も苦しい。ずっと苦しい訳じゃないけど、SNSとかで歌い手がトレンドに入るたびに思い出して、私の知らない内にこんなことになっていたんだ、と思って時の流れを感じ、その輪に混ざれない自分を感じて苦しくなる。エゴだけどね。

 好きで好きでたまらなかった。紛れもなく、私はAtRを推していた。推しだった。毎日救われていた。幸せだった。彼らと同じ世界線を生きていると思うだけで幸せだった。でも今は、真っすぐにAtRを見ることができない。近づけない。離れていたい。離れていたいけど、でも、遠くからたまに覗かせてほしい。そんな距離感です。


 言語化は難しいですね。なんだか賛否を呼んでしまいそうな気がしているが、私は賛否を求めていないので放っておいてください。ただ、紛れもなく、私はAtRが大好きだった。今も、今でも彼らの音楽が大好きです。まふまふの作る曲が、二人の声が作り出す重なりが、今もずっと大好き。

 AtRが大好きだったから、私は今、たくさんの人の前に立って仕事をすることができています。救われたから。本当に感謝している。これからも、私のようなどうしようもない暗がりの住民に、ほんの少しでもいいから一筋の光を与えてあげられるような曲を、音楽を、届けてほしいなと影から願っています。

 ただ、ご本人方の負担にならないように。健康で。いつまでも健康でいてほしい。それが大前提だけどね。私に光をありがとう。輝くような眩しい日々をありがとう。あなた方は、間違いなく、私の青春そのものでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?