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noteを始めて3年が経ったらしい。3年といえば、高校を卒業できるんだね。

 こんばんは。最近左半身が痛すぎて困っている。使い物にならない。中学生のころから腰痛で接骨院に通っていて、その後も定期的に整形外科に見てもらって定期的にMRIを撮るなどしているのですが、困った疾患は特にない、ただの腰痛です。最近は左の膝の裏と肘の裏が痛い。曲げられない。運動不足がきっと原因なのは分かっているけど、運動する時間も余裕もないよね~。定時退勤ジム通い希望。


 はのとです。初めまして。


 noteを始めて3年が経ったようです。20歳になったばかりの大学2年生だった私も、今では23歳社会人1年目が終わりそうなころになりました。案外ね、時って経つよね。

 当時noteを始めたのは、もともと何かを書いたりすることが好きだったからブログでもやろうかなって思ったのがきっかけだったかな。あわよくば収益化しようと思っていたけど、勝手も分からず辞めました。当時はnoteだけじゃなくていろんな媒体使ってたな。

 それでさ、最初は誰かに宛てた手紙という体で書いていました。それもだんだんネタ切れになって、いつの間にか適当なことをぐちゃぐちゃ書いていく形になったんだな。たぶん。もう忘れてしまった。でも3年間も続いているという意識はあまりないです。いつの間にかそんなに経ってたんだって思う。


 大学2年生の春休み。確かコロナ禍最初の1年間で全部オンライン授業だったし、生活習慣が超ゴミだったんですよね。カスみたいな生活を送っていました。で、春休みで授業もなくなるし、時間もあるから夏休みに始めた教員採用試験の勉強も本腰入れたいし、生活習慣も整えて時間を有効活用したいって思って、まずは早寝早起きとデジタルデトックスを始めました。

 携帯は夜21時以降絶対に見ない。夜は23時になる前には必ず布団に入って、朝は8時までに起きる。そんな生活を始めました。普通に9時間以上寝ようとしていてどうしようもないんですけどね。

 最初は夜全然眠れなかったけど、いつの間にかその時間には眠れるようになっていました。人間の順応力すごいね。


 そもそもなんでそんなゴミ生活を送っていたかと言えば、大学に通わなくてよくなったことももちろんあるけど、それ以上に、当時付き合っていた元恋人の生活に合わせていたからだと思います。日付変わるくらいに電話がかかってきて、特に話すこともないのに朝まで電話を切らない。毎日2時くらいに寝ていて、もっと遅いときもあった。

 電話でずっと話しているわけではなくて、本当にね、ただ電話がつながっているだけでよかったらしいんです。私はマルチタスクができないので、電話がつながっているとそれが気になって勉強とかできない。だから電話がかかってきてしまうともう何もできなくなってしまうんです。

 切ってくれないから寝ることもできない。だからと言って話題を振ってくれるというわけでもなく、向こうはゲームしたり音楽聞いたり動画見たり自由にしてるっぽくて、でもそんなことにも目をつぶって生活を合わせていました。

 それをやめるきっかけが欲しかった。電話がしたいなら、どうせ1日中暇なんだし昼間とか夜21時までにかけてくればいいじゃんって言ったんです。よく言えたね、私。そんな簡単なことなのに、彼は電話をかけてこなくなりました。極端だね。でもそうだよね。昼間はずっと寝てるもんね。夜しかないんだもんね。

 デジタルデトックスを始めたら、すべてが上手くいくようになりました。朝もすっきり起きられるし、何より日光を浴びる時間が増えて健康になりました。朝起きてカーテンをシャーって開ける。この瞬間が最高に人間であることを感じます。最高だ。

 それに午前中は全部勉強することができて、それもかなり集中できていた。そしてご飯を食べて、午後は一生ドラクエをやっていた。それはそれでいい。散歩とかもしてました。健康だね。ゲームはやるんだね。やるんだけど、テレビでドラクエだからね。まあいいよね。何が?

 そして電話もなくなり、そんなダメダメな恋人と別れるきっかけもできたわけです。結局別れたのは半年後くらいだったんだけど。しかも振られたんですけど。「寂しい、悲しいって感情にふたをしたら、嬉しいとかも分からなくなった。愛情表現がなくてつらかった。」と言われた。何、中二病なの? 今思うと超ウケるけど、当時は完全に自分の非だと思って落ち込みました。めっちゃ泣いた。価値のない涙です。


 そんなこんなでnoteを始めたり勉強をしたり散歩をしたりドラクエをしたり恋人との電話をやめたりしていた3年前。それから3年。3年もあれば、高校生は大学生になれますね。3年ってそういう時間。別に全然短くない。

 何かを継続することが苦手な私が、同じことを3年間も続けられている。そんな奇跡みたいなことが起こっています。なんでこんなに続けられているんだろうなって考えてみても、結局よく分からない。


 分からないけど、これだけは確かだなって思うのは、読んでくれる人がいるからってこと。読んでくれる人、スキを押してくれる人、コメントをくれる人、そんな人たちがいるから、みなさんがいるから、私はこのnoteを3年間も継続することができたんです。

 noteを書くにあたって意識していることがあります。まず、評価を気にしないこと。それは、スキの数が少ないとか、フォロワーが増えないとか、全然読んでもらえないとか、逆にこんな記事を書けばたくさん読んでもらえるとか、そういうのを一切考えないでやるってこと。

 誰かのために書くんじゃない。自分のため。いや、別に自分のためとかでもないか。基本はすべて自己完結という意識の下、でもインターネットの海に投げるからには少なからず誰かに読んでもらえたら嬉しいなと思いながら書く。そんな感じです。

 読まれるつもりなんてなかった、なんて言い訳をするなら日記にでも書けばいいんです。そこはちゃんと、読まれるつもりで書く。にしては読みづらい文体で申し訳ないのですが、それは読みやすい文章を書くということではないのです。誰に読まれても差し支えない内容を書く、ということ。誰も傷つかない、が大前提。

 それこそnoteを始めたころは、ほっとするような記事を書く、という目標を掲げていました。それはぜー----んぜん達成できていないけど、基本的に根幹は変わりません。ちょっと誰かにウケたらいいなって感じ。誰かがウケてくれたら、ちょっとでも笑ってくれたらいいなって思う。ウケたい。そう、ウケたい。ただそれだけ。

 そう思ってちょうど2年前くらいの記事を読み返していたら、こんなことが書いてありました。

 私が変わらず意識しているのは、全く何の知識も得られないけど、全く人生に生かせる教訓はないけど、なんか最後まで読んじゃった。なんか、この文字の向こうの人を想像しちゃった。なんかちょっと面白くなっちゃった。なんかちょっと励ましたくなっちゃった。なんかちょっと心があったかくなっちゃった。そんな感じの、【なんかちょっといい感じ】なブログを書くこと。

役には立たないけど、少しホッとするブログって話

 独り言。自分で言ってて、すごいしっくりきた。~中略~
 独り言なら、勝手に頭の中で言っていればいい。だけど、ちょっとだけ、誰かに共感してもらえたらいいなとか思っちゃったりして。ちょっとだけ、誰かをくすっとさせたいなとか、ちょっとだけ、誰かの考えを前向きにできたらいいなとか、そんなことを思っちゃったりして。

役には立たないけど、少しホッとするブログって話

 昔のほうがすごくすごくまともなことを言っていますね。すごくいいことを書いていますね。このころのマインドに戻りたいです。今より書くの上手。なんで続けているのにへたくそになるんだ。



 義務じゃないし、誰かのためでもない。だから続けられたし、いつの間にかフォロワー数も3桁になっていて、時々少しずつ増えてくれるし、スキも誰かがくれるし、コメントだってたまにいただけて、それはもうとっても素敵なことです。

 顔も知らない人に対して、素性がまったく分からない存在すら不明瞭な存在に対して、そんな不明瞭な存在が残した文字に対して、いいなって思ったり共感したり、さらにはその意思を伝えようとしたり、それって本当にすごいこと。インターネットという世界があるからこそできること。



 私はコミュニケーションが苦手で、それはface to faceでもそうじゃなくても一緒。基本的に関係が深くない人と言葉を交わすことがあまりにも苦手。変なこと言ってないかなとか、気遣わせてないかなとか、そんなことばっかり考えてしまい、気持ちが落ち着かないの。

 だからこうやって一方的に発信できるnoteをやっているのかもね。そして、そんな一方通行に対して反応してくれるどこかの誰かがいてさ。一方的な押し付けだったものが、反応があることで双方向になる。すげーと思う。

 顔も名前も知らない相手と、頑張らなくてもコミュニケーションが取れる。自然に取れる。その方法がnoteでした。コミュニケーションって言うのは一方的なものではなく、必ず相手がいて成り立つもの。私が記事を発信した段階ではまだ成立していないコミュニケーションが、あなたがいてようやく成立するのです。すごくない? それって、素敵じゃない?


 だから私は、あなたのおかげでnoteを続けることができているのです。あなたのおかげで、何かあったら、何か考えたいことがあったら、何か困ったことがあったら、何か一緒に喜んでほしいことがあったら。noteに書こうって思えるのです。

 私はいつでも、記事の冒頭に「初めまして」と書きます。それは、たとえ同じ人が繰り返し私の記事を読んでくれていたとしても、それでも、そのようなことのほうが稀だと思っているからです。こんなに広いインターネットの海の中で、偶然同じ人の記事に出会うなんてこと、めったにないでしょ。だから、基本は偶然初めて通りかかった人が読んでくださっていると思っています。

 そんな人に、今までの記事で書いたことは省略してある記事を読ませるなんて傲慢じゃない? みんながみんな私のことを知っているわけじゃないのに、知っている体で話すなんてそんなおこがましいことできないのです。繰り返し読んでくださる方にとっては冗長かもしれません。でも、それでも読んでくださる、あなた。本当にありがとう。

 人の名前を覚えるのが苦手。顔も覚えられない。そんな私ですら、「この人前もスキくれたな」とか思うんです。こんな記憶力ゴミの私ですら覚えられるくらい、何度もスキをくれる方がいらっしゃるんです。そうだよ、あなただよ。いつもありがとう。

 あなたはいったいどんな人なんだろう。どんな生活を送っているのだろう。どんなときに私の記事を読んでくれるのだろう。そんなことを感じるのだろう。顔も名前も分からない人に対してそんな想像を膨らませてしまうほど、私にとって繰り返されるスキは素敵なものなのです。


 誰かのためではない。ただウケるためにやっているnote。そんな言い方をしたら最悪ですが、それでも私は最悪で良くて、基本は最悪だけど、でもやっぱり時々くすって笑ってもらえるような、そんな記事が書けたらいいな。この先も、数字にとらわれず、誰にも忖度せず、好きに好きなことを書いていけるといいな。続けていけるといいな。

 4月から仕事が始まり、今までの学生という身分ではなくなりましたが、その分学ぶことや考えることも多く、書きたいなと思うことがたくさんあります。時間がないからたくさんは書けないけどね。

 4月からは担任を持つかもしれないし、何年かしたら結婚して、さらに何年かしたら子どもが産まれるかもしれない。そうなったら、私のこのnoteは大衆に向けた日記みたいになっちゃいますね。でも、それってすごい。すごいことじゃない?? そうなったらいいな。

 そうなってもなおフォロワー数もスキの数もそんなに変わらなくて、書いてる内容も心底どうでもいいものばかりで、でも書きながら私がウケたりしている、そんなnote。そんな将来。何を言っているのでしょうか。あほですね。


 さて、長くなりましたが、3年間も続けてこられたのはあなたのおかげ。今これを読んでくださっているあなた。初めて私の記事を読んでくださったあなた。2回目以降のあなた。私の文章に出会ってくれたすべての人のおかげです。ありがとう。ありがとう。

 さて、今年の目標は職場のデスクを仕事できない人みたいなレイアウトにすること。可愛いもの飾って引き出しを開けても開けてもお菓子や紅茶しか出てこないようなデスクにすること。そんな私ですが、これからも末永く、何卒。

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