マスクを外せない私。そんな自意識。

 こんにちは。あったけー秋が続いていますね。気づいたら11月になっていて、9月も10月もなかったな。こうやって1年が終わってしまうんだと思う。年末にはクリスマスやらフェスやら楽しいイベントが待っているので、そこまでなんとか延命していきたい所存です。

 はのとです。初めまして。


 先日、3月に卒業した大学の学祭に行ってきました。卒業式の2日前に卒業ライブを行った軽音楽部のライブを見に行くためです。後輩たちのライブを卒業生として見る初めての機会。

 卒業後も割と定期的に飲みに誘ってくれる子がいるので、それなりに久しぶり感はない。でも結局いつも同じメンバーのことが多いから、卒業式ぶりの子のほうが圧倒的多数か。もう現役生ではなくなってしまい、当事者から部外者へと位を上げて、同期と足を運びました。

 同窓会みたいで楽しくて、でもその場所はもう私の居場所ではないことを実感させられて、楽しかったけどそれ以上の寂しさを抱えてセンチメンタルに帰ってきた。次の日から仕事で激萎えだった。そんな学祭。


 たった半年しか経っていないのに、いろんなことが変わった。知らない1年生がたくさん入部していた。私がいたころは休部していた後輩が復帰していた。まだ緊張しながら直立で歌っていた子が堂々とパフォーマンスしていた。キーボードしか弾いていなかった子がギターを弾いていた。

 マスクが外れて素顔が見えた。


 コロナでの休校が明けた2021年春。3年生になって久しぶりに大学に行った私の目に映るのは、マスクをしたけれどそれ以外は何も様子の変わらない同期や先輩、後輩の姿でした。そのまま卒業を迎える2023年春までその状況は変わらず、活動中はボーカル以外マスクを外してはいけないという大学との約束の元、まじめに活動を行ってきました。

 そして私が卒業して少し経ったころ、世の流れに合わせて大学も規制を大幅に緩和し、というか撤廃し、活動時間の制限も活動人数の制限も活動場所の制限もぜー---んぶなくなりました。よかったね。あわよくば私も、もう一度規制のない部活を楽しみたかったよ。1なんてね。

 ライブ中以外でももちろんマスクの強制はなくなり、少しずつマスクをする人が減っていったのかな。その様子を私は見ていないから分からないけど、5月に会ったときにはマスクをしていた子も、先日の学祭ではしていなくて、素顔が見えて、あーなんかいいなーってぼんやりと思っていたわけです。


 マスクなんてないほうがいい。当たり前。マスクがあるから表情が読みづらくてコミュニケーションが難しいし、マスクに守られた生活は快適だけど、その快適さはある種逃げで。私の場合がそう。

 もともと花粉症がひどく、1年間の半分くらいはマスクをしたまま生活をしていた私。コロナになったからといってマスクをすることの不便さを感じることは特になく、抵抗のないまま完全マスクの生活が始まりました。

 マスクすればアイメイクだけでいいし、苦手なリップをせずにお外に出ることができる。ラッキー。顔の産毛とかもそんなに気にしなくていいし、眠いときの口元のゆるみも気にしなくていい。人の話を聞くときに口が開きっぱなしになっちゃう癖も目立たない。


 唯一困ることがあるとすれば、眼鏡が不便になったこと。花粉症でマスクをしていたときは、眼鏡が曇って困ったらマスクをぽいっと外してしまえた。でもコロナ禍では少し違う。ぽいっと外すこともためらう。「あの人マスク外してるよ」なんて思われたら嫌だし。その間に感染しちゃったらとか、当時はすごく敏感だったから外せなかった。だからコンタクトが疲れたから今日は眼鏡にしよう、みたいな日は減った。

 それ以外は特に不便を感じることのないまま、マスクの生活は続きます。


 大学が再開された3年生のころ、久しぶりに会った同期や先輩がマスクをしていて、お水を飲むときとかに外すと、久しぶりに見たな、とか思うわけです。だけど少し違うことも起こる。それは後輩に対して。コロナ禍で募集をしていなかった部活に、大学再開と同時にたくさんの後輩が入ってくる。

 その後輩たちは、最初からずっとマスクじゃん。マスクをした状態で出会う。向こうにとっての私も、マスクをした状態で認識されている。そんな後輩がマスクをふと外した瞬間に出会って、「あ、マスクの下はこんな感じだったんだ」と、良くも悪くも思うわけですね。

 それが自分にも当てはまると気づいたときに、外すのが怖くなりました。


 可愛い可愛いと言われながら育てられた私。初対面で可愛いねと言われることが多い私。集団にいればそれなりに好待遇を受けることの多い私。なのに!!!!!! 自己肯定感は低い。周りにこんなにおだててもらっているのに、親にも友人にもちやほやしてもらっているのに、自分ではそれを認められないのです。変だね。

 マスクを外して、期待外れだと思われたらどうしよう。最初はそんなことが不安で怖くて、なかなかマスクを外すことができませんでした。少しの間でもね。

 部活中、人数不足の影響でボーカルをすることもあった私。ボーカルはマスクを外さないと音響的にも大変なことが多いので、音取りの段階でマスクを外して声を取るんだけどさ、それもすごい嫌だったの。ステージに上がって素顔をさらさないといけないことが。それに、ライブ中に写真を撮られると、自分だけ素顔の写真になってしまうのも、記録に残ってしまうのも嫌。

 だから可能な限りマスクを外さずにひっそりと生きてきました。飲み会が再開されたころには、飲み会の間ですらマスクを外しっぱなしにするのに抵抗があったよ。まあ飲んじゃえば楽しいからマスクなんかすぐになくすけど。「マスクない!! 帰れない!!」なんて叫びまくりの日々。


 そんなこんなで大学を卒業し、社会人になりました。小学生のころからの念願だった学校の先生になり、高校生たちと日々楽しく笑っています。5月8日付でマスクの制限がなくなり自己の判断となりました。その時期からだんだんマスクをする生徒も先生も減っていって、夏の暑さを機に完全撤廃がさらに増えていく。

 その波に乗れなかったのを後悔しています。マスク、外せなかったな。生徒たちに素顔がばれるのが嫌だったし、先生たちにもなんとなく見られたくなくて、そのままマスクで顔面を守りながら生活してきました。夏休み明けにあった体育祭とか文化祭とかのときにはずーっと外していたけど、普通を装ってかなりそわそわしていた。

 今まで隠していた部分を公開することが、もうなんかすごい抵抗がある。もうね、マスクの下が期待外れだったらどうしようとか、別にそんなことはどうでもいいです。期待するな、という話で。ここからは自分の問題。理由はもう不明。もはや不明。なんなら理由なんてない。よく分からないけど、マスクはなんとなく外せない。素顔をお空の下にさらせない。


 特に若い子に多いっていうよね。生徒たちの中にもいる。マスクを外すのが怖くて教室でお昼を食べられないとか。そこまでいかなくても、外さなきゃいけない一瞬だけ顎マスクして、すぐに戻る。そんな子が少なからずいる。

 私はもう若い子とかではないけど、その気持ちすごい分かるよ。なんかもう、外せないんだわ。不思議とね。もとはと言えば自己肯定感が原因だったけど、今はもうそんなのは関係ないよ。いや、そうでもないのかも。


 知り合いの誰もいない秘境では、マスクを外すことができる。夏に地元の友人と避暑地へ出かけたときは、彼女らが一切マスクをしないからなんとなくしづらかっただけだけど、マスクしないまま2日間過ごすことができた。恋人との旅行でもそう。暑かったし。

 でも、近所のスーパーは無理かな。恋人の地元の商業施設ならいける。そういう感じかも。知っている人に、マスクになってから出会った人たちがいるところに、素顔でいけないのかもしれない。

 職場もさ、いきなりマスクを外して行ったらなんか変かなとか、別に誰も見てないのに考えちゃうじゃん。そういう無駄な自意識だよね、本当に。


 今までもなんとなく、あーマスク外せないなー、という意識はあったけど、マスクのない大学の部活の様子を見てその意識がさらに大きなものになりました。私もこの中に素顔で混じりたい。でも、ちょっと厳しい。そんな自意識。


 いつまでこの生活が続くんだろうか。職場が変わったら、次異動になるころには確実に変えていこう。まあ、4年後とかの話だけどね。

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