むかしは団地に入居するのも大変だったのです

 いまでは信じられないと思いますが。でも本当なのです。昭和40年代から50年代にかけての話です。団地は建てられていても、入居を求めるヒトがそれよりもっといたのです。

 そのころはどうやって団地の入居者を決めたのかというと、くじ引きでした。私という幼子を抱えた両親は、いろんな団地のいろんなくじ引きに参加して、なんどもなんども落ち続けました。

 いまや団地なんて借りるヒト自体が少ないわけですが、そのころは若い夫婦が住むところを求めて団地を申し込んでいたのです。両親も当時は20代前半でした。

 この動画に出てくる東京都板橋区の高島平団地は昭和47年に入居者が募集されました。昭和47年といえば、昭和48年1月生まれの私は母のお腹の中にいたということになります。

 実は両親ともに生まれは違うのですが、育ったのは東京都板橋区でした。そして昭和47年当時も板橋区に住んでいました。運がよければ高島平団地に入居していたでしょう。しかし残念なことに、東京の団地はすべて外れ、結局当選したのは、千葉市の新しい埋立地に建てられた団地でした。

 それほど当時は団地に入居するのも大変だったのです。ベビーブームでしたから、それこそもう子持ちの夫婦が争奪戦をくり広げていたわけです。しかしそうはいっても、私の両親はどれだけくじ運が悪いのだって話ですが。

 ちなみに同世代で高島平団地に住んでいた有名人に、SMAPの稲垣吾郎さんがいます。私より一つ年下です。うちも当選していたら友達になっていたかもしれないのに。ならないですか。マンモス団地だし。でも同じ小学校中学校だったって自慢できますのに。まあヒトの出会いなんてそんなものです。

 この高島平団地は、昭和50年からTBS系列で放送されたGメン’75でも舞台になっています。原田大二郎さん演じる関屋警部補の殉職のシーンのところです。ハードボイルドな豆知識でした。


前衛アングラ芸人明智半平太のブログ「ジジテレビ」
http://hanpeita.net/


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