退屈だったし、暇でもあった。

ありがちな話で、学校に行っていなかったころ、
僕の周りではよく、「学校に行っていないんだから、
時間あるでしょう」とか、
「日がな一日、ゲームに使っていい御身分ね」
なんて言葉は割とよく声をかけられていた。
今ではどうか知らないが、勘違いしないでほしい、
我々にそんな暇なんて一秒たりともなかったんだ。
その何もしない時間は何もしない時間なんじゃない、
何もできない時間だったし、必死に自分の不安と戦って、必死に自分の不安を考えないようにするのに
「必要な時間」だったんだ。という事を。
なので、過激な話を加えると、「暇でしょ?」なんてそれを口にしてしまった保護者や教師の方。
刺されても文句を言わないでおくんなまし?
それだけのことを口にしたのだと。
さて、そこら辺を頭に入れてもらった上で、
自分のはなし。
僕が学校に行かなくなったのは、小学校4年の頃、
いじめから不登校になっていったそこから、

中学3年生までは好んで学校に足を向けることもなく、フリースクールにいたりもしていたけれど、ほとんどの時間を家で過ごした。
僕にとって「暇」と「退屈」は常に側にいた悪友かもしれない。

「暇」と「退屈」が悪いことかのように言われるし、
一緒くたに話される。
でも勘違いしがちなのは、「暇」と「退屈」は似てても同じものじゃない。
僕にとって「退屈」は嫌な時間からの逃避。
やるべきことはあるんだけど、そこからの逃避。
つまらなくて、苦しくて、重いもの。

「暇」って実はそうじゃない、暇は心の余白だと思う、
それは何かをする余白の時間、見回す時間。
何かやることが終わってしまったり、価値観が変わったりしたときにぽっかりと現れる時間のことなのかもしれない。あるいは、自分が成長した証拠。

学校に行けなかったころ、家にいたころに時間は
何だったかな、今思えばあれは「退屈」の時間だった。
苦しくて、逃げる時間だったし、
時間の使い方もわからなかったんだと思うんだ。

でも実は、今のほうが「暇」はない、働いているとかそうゆうことじゃない。
気が付いた時には片手一つで時間を潰す方法に恵まれてしまって、ぽっかり空いた自分の時間なんて、、、自分の価値観を見直す時間なんてありゃしない。
いつの間にか、そんな世界になっていた。
いつの間にか、自分と誰かを比較することが簡単になってしまっているのかなって思う。
暇や退屈が悪いわけじゃない。
退屈や暇な時間に周りを見渡した時に、時間を有効に使えないことが悪い事のように「見えてしまう。」
空いた時間に自分勝手に苦しんでいるならば、
そんな時間ならないほうがいい。
そんな風潮が苦しいんだろうなぁ。

できればさ、いつだって、
変化や自分の姿を見る余裕、余白の時間は、
片手にぶら下げて生きていたいと思っている。

だから、暇や退屈になる時間は大切にしてほしい。
そんな時間がふっと手元に来たのなら、誰かと比べるとかじゃなくて、自分だけの時間として、振り返る時間になればいいとおもう。


おまけ
 家族に、家で「暇だな~」とか、言っている人がいると、やっぱり、ちょっとイラっとする。実は私はする。
でも、多めに見てほしい。わざわざ、焦らさないでほしい。いま世界が~とか社会が~とかそんな大きな主語の話じゃなくて、誰にだって、そうした時間は必要なんだ。
お母さんにもお父さんにも、あなたにも。だから、家族の誰かが「暇だな~」って口にしていたら、むしろ
「いいことじゃん」って言ってあげてほしい。そしたら、ちょっとだけ暇を受け入れられるとおもうから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?