宮本タケロウと名乗る詐欺師

炎上サイト論壇netに現われ、閉鎖後も後継サイト等で「ご活躍」

宮本タケロウ

2019年当時のツイッター、@0PhS0i8HbCVrKV7(凍結中)
良く使っていたアイコンは、本人ではなく風間俊介の写真
2019年末から消息不明だったが、年明け8日から出没

超一級の歴史資料を発見、と偽る

まずは菊ノ紋ニュースの2019年8月21日付の記事を読んで頂こう。題にも筆者の宮本タケロウの名が入っている。
2020年に消された様だが、アーカイブで読める。その件については後で述べる。11月3日の状態。

本稿では見出し

・史上初公開!小和田金吉の素顔が明らになる新歴史資料!!

以下について扱う。

その資料を宮本氏は『皇朝和英記事論説文叢』と呼んでいる。恐らく『和英記事論説文叢』の事だろう。
更に「皇朝青年」を加える時もある。国立国会図書館の例を挙げる。

著者 - 福井淳 編[他]、出版年月日 - 明19.6、を確認できる。
これらの点は宮本氏の取り上げる「皇朝和英記事論説文叢」とやらと同じ。この本を、新歴史資料を初公開、と嬉しがっているのか。

小和田金吉は楠木正成を讃える漢詩を詠んだ
の1つ目の画像(以下、画像1)の左端を見てみよう。

画像1

枠外の端に国立国会図書館 2019/8/15とある。そこで複写したのだろう。
国会図書館サーチを使っても「皇朝和英記事論説文叢」など出ない。よって、『和英記事論説文叢』の事としておく。だったら新発見でも史上初公開でもないが。
後で触れるので、
書名に「皇朝」のみ付け、「青年」を外した事
を覚えておいて頂きたい。

では小和田金吉の漢詩とやら、「楠公ノ説」を見てみよう。片仮名が入っている。漢文ですらない。まして、漢詩の筈がない。

その下の画像(画像2)に「春颿・・・ 」から始まる漢詩である、と添えている。ご覧の通り。

画像2

確かに仮名が無く、返り点もある。こちらは漢文だ。しかし漢詩なのか。
春颿、蕐橋小史、玉園清史、と繰り返されているのが一目で解る。

画像1に戻る。右側を見よう。本の綴じ目に跨り、やはり春颿、蕐橋小史、玉園清史、と並ぶ。恐らく作品そのものでは無く、3人のを並べたのだろう。
金吉の名に接してはいても、縦書きの本の右側なので、1つ前の作品に対するだ。3者とも水仙の語を入れている。1つ前が「水仙ノ説」だから。

記事の最後、
追記
に飛ぼう。
その上の画像「漢詩作者一覧表」(画像3)。

画像3

上段の小和田金吉に赤丸を付けており、下段に十 「水仙ノ説」が載る。その作者は田島石五郎であり、金吉ではない
画像1では「楠公ノ説」が十一番。やはり画像1右側の「春颿・・」は「水仙ノ説」に対するであり、金吉の作品と何の関わりもな

画像2に戻る。こちらは湊川の戦いを扱った金吉の作品に対するだ。言うまでもないが、評を書いたのは評者であり、
金吉の見事な漢詩、と言える筈がない
それとも、金吉は3つの号を1つの本で使い分けた評者でもあり、自作も評した、とでもいうのだろうか。13歳で。

その13歳とやらにも根拠がない。恐らく、名に続けて「十三年七月」とあるを以て、刊行の明治19(1886)年当時に13歳であり、「漢詩」を詠んだというのだろう。
しかし十三年七月というのは「楠公ノ説」の出来た時期ではないか。わざわざ13歳に加えて7ヶ月などと言うだろうか。湊川の戦いが西暦の7月だったので、時期を合せて作った(発表した)という事ではないか。
勿論、13歳ではなかったという証拠もない。少なくとも書名の通りの青年であり、老壮年では無かったのだろう。しかし30歳くらいでも青年と呼び得るだろう。
仮に、この本で名に添えた年が全て年齢を表しているのであれば、刊行当時か「楠公ノ説」制作当時に13歳だったと言える。凡例にでも載っているなら示せばよい。しかし示されていない。

という訳で
小和田金吉は明治時代の天才少年だった!
及び
小和田金吉の生まれた年も判明!?
は根拠がない。

漢詩でないとしても「楠公ノ説」の出来は良かったのだろう。駄作なら載らないだろうから。しかし兎に角、漢詩ではない
評者のが名文だったとしても、金吉の文章力と直に繋がらない。他人が書いたのだから。ついでだが、評も漢文ではあっても漢詩ではないだろう。

新発見資料で判明したこと
も全て空しい。そもそもが「新発見資料」ではない。

明らかな間違いの多い記事でも、筆者の無知から来る事もある。知らないが故の誤りなら詐欺とは呼べない。ではなぜ宮本氏を詐欺師と呼ぶのか。

史上初公開!小和田金吉の素顔が明らになる新歴史資料!!
に戻り、引用する。

『皇朝和英記事論説文叢』は明治19年に全国の小学生が作成した漢詩を、作家・福井淳が収集し、中でも優等な漢詩を紹介した書籍である。明治時代の天才少年の漢詩集のようなものと考えて差し支えないだろう。

小学生なら少年だろう。言い換えれば、書名の青年を知られると小学生の作と思って貰えなくなる。金吉の優秀さを印象付ける為に、「十三年七月」という記述を利用し少年に仕立て上げたからには、書名に青年が付くのは都合が悪い。

画像3の構図も可笑しい。金吉について論ずるなら、作者名の上にある作品名を納めるべく上段を広く取るものだ。しかし下段を広く取り、上段が途中で切れている。金吉の作品名が全く見えない。何故だろうか。
右側を見よう。の字の下端に続いて「説文叢巻下目次」とある。作品名「楠公ノ説」が収まる様に上段を広く取ると、書名の全体が見えてしまう。恐らく「皇朝青年」が書名の先頭に置かれているのではないだろうか。「青年」隠し、要は都合の悪い情報を隠している

複写の為に手に取ったなら、仮に漢詩も含むとしても、それだけではないと気付くだろう。勿論、図書館に複写を頼んで送って貰う場合もある。しかし仮にそうだったとしても、目次も自分で画像化して載せている。本の内容を掴めるはずだ。そもそもが「和記事論説文」を集めた本であり、「漢詩集」ではない。英語の漢詩など、あり得ない。

百歩譲って金吉の作品以外を見なかったとしても、片仮名の交じる「楠公ノ説」を漢詩だと思っているとしたら嗤うしかない。しかし流石に、そこまで無知ではないだろう。
そして目次の画像なのに白文字で「漢詩作者一覧表」と添えている。漢詩の本だ、と刷り込む狙いだろう。元の本に無かった、間違った情報を加えている

無知や不手際から来る間違いではない。手間を掛けてを隠し、を加える。何から何までなのだ。真相に興味などなく、他人を操る為に言葉を捏ねている。知や学に背を向けた詐欺の手口そのものだ。論壇netの管理人、ろだん氏と性根が全く変わらない。

追記が無ければ、1つ前の作品が「水仙ノ説」だと判らなかった。なぜ「春颿・・」が2度も現れるのやら、片方だけ水仙を採り上げるのやら、解らないままだった。墓穴を掘ってくれたか。
なお、8月29日に書き換え、とある。この日に追記を加えたのだろうか。

* * * * *

冒頭に書いた様に、菊ノ紋ニュースで消えると、2020年2月8日に始まった皇室ニュース「れいわ」で初日に再掲された。変更点は無さそうだ。自信があるのだろうか。
このサイトは菊ノ紋の記事の再利用が多い。初出を示す時もあるが、この記事を含めて示さない時もある。
その後、3月3日に閉鎖した様だ。仕方がないので、こちらもアーカイブを貼っておく。

閉鎖後にキャッシュから録ったので、表示が崩れている

ツイッターの消長と、繰り返される転載

2019年8月15日付。上で取り上げた嘘記事に1週間ほど先立つ前振りで、【拡散希望】と張り切っている。しかし国立国会図書館の所蔵資料であり、「未発見の新証拠」などではない事を冒頭で述べた。「独占入手」だの、嗤うしかない。

ツイッターは12月29日に凍結されたが、この手の嘘を暴かれぬ為には都合が良い。見られないで済むから。わざと凍結を招く様な事をして、知人に通報を頼んだのかも知れない。ろだん(新アカウント)、杉山沙耶佳高木克俊(新アカウント)、井上征虎、といった「知人」がいる。自身の別アカウントがあれば、そこでも「通報」出来る。
勿論、見られたくないなら、呟き削除や鍵掛け、改名、登録抹消でも良い。しかし自ら手を打つと、隠した、逃げた、と言われかねない。対して運営による凍結なら被害者ぶれる。
論壇net人脈なら、これ位は企てるだろう。

* * * * *

2020年2月20日に、竹本ヤミロウなる者が現われた。後から名を変えたので、当時のアーカイブを紹介する。あいにく埋め込まれない。

竹本ヤミロウ@takemotoyami: 2月20日付(表示は19日)、採録も20日

これが初呟きで、同日に始まった皇室TODAYの、宮本氏の記事を紹介している。その後も「宮本タケロウ」署名の記事を盛んに貼っており、同一人だろう。
しかし3月14日までには、本宮ケタロウと改めた。その後もアイコンを含め度々変えている。一々書き留めるのも下らないので、同じ呟きを埋め込んでおく。最新の状態に連動する。

なお2021年8月に、@shikishiminmin、に変わった。呟きを引き継いでいる。

2020年2月20日付、4月7日の状態

皇室TODAYもまた、菊ノ紋を含めた数多の論壇net後継の1つ。4月半ばで止まり、放置を経て7月末から段階を踏んで全ての記事を消した。ゆえにツイッターのリンクは切れている。

この記事は、後継一味の日々是ニュースに転載された。下から2段目の左側、8月12日付。

2020年8月 – ページ 2: 日々是ニュース、2020年8月29日の状態(表示は28日)

「日本すごい」サイトとして2020年5月に始まったものの、7月下旬から、すっかり宮本氏の過去の記事の置き場と化しており、その様子が解る。
しかし9月12日に、宮本氏の記事を消した。ただし13、14日に宮本氏の別の記事を転載している。結局は「置き場」と化す以前の姿に近づいた。

更に翌2021年の5月に閉鎖しドメイン名も失効、7月に廃止
その後、同じ文字列でドメイン名が改めて立てられた。
一味とは無関係と思われるので、触れない。

贋作を真作と混同

先に書いた様に、@shikishiminmin、に変わっている。見やすいので貼った。
近い時期のアーカイブは下。表示は5月の4日だが、日本では翌5日の未明。

宮本タケだろう@takemotoyami: 2020年5月5日の状態

採録当時の名は「宮本タケだろう」、アイコンは愛子様だ。この間に変化があったかは不明。

英彦山を訪れての感想から、後半を抜き出す。

隠れキリシタンが多い土地柄か、神仏習合にキリスト教まで習合した遺物(大日如来の十字架)が残る不思議な聖地です。

4枚の写真の中から「大日如来の十字架」を貼る。

大日如来クルス_高田家修験資料

興味深い品だ。『福岡のかみさま』でも紹介されている。

見出し
おまけ。仏教徒は。キリスト教徒は。そして山伏とは。
から。

博物館ちっくな場所で面白いものを発見。
Made In Japanな十字架とマリア像だと思われるのですが、クルス(クロス)に如来ってついてる・・・。そしてマリア像に観音ってついてる・・・。

施設名は「英彦山修験道館」、画像が出ない事があるので貼っておく。

画像6

確かに「大日如来クルス」を展示している。
その右に「マリア観音像」がある。
共に「高田家修験資料」とあるのだが、マリア観音像のみ「江戸時代」とある。
大日如来クルスは、作られた時期が判らないのだろうか。
しかし習合した遺物であれば、江戸時代以外は考え難い。戦国時代なら、混淆するには時間が短い。
明治以降であれば、キリスト教が解禁されてカトリックに属した者が多く、習合的なものの需要も下がるだろう。作る必要性が下がる。

明治どころか、更に後のものだった。『富山県博物館協会』から。

「デジタル展覧会・電子紀要」に収められている。
署名は、麻柄一志(魚津歴史民俗博物館)

富山県でも同様の十字架が見付かっており、以前は隠れキリシタンの遺物とされて来た。
魚津歴史民俗博物館所蔵品の写真を見ると、英彦山の品と同じだ。そっくりと言ってよい。
しかし調査の結果、偽物と判った。

3. 偽物のキリシタン十字架
にて、H.チースリク『キリシタン史考』からの引用がある。そのまま載せる。以下、太字は私の手による。

昭和二十五年頃、突如として、あちらこちらに珍しい十字架像が「発見」された。縦二十六センチの十字架に、キリストのかわりに阿弥陀仏がついている。いかにも隠れキリシタンの遺物のようにみえて、展覧会や地方の博物館にも展示され、外国にも紹介された。ところが、その十字架は十九世紀にヨーロッパではやっていた新ゴジック風であって、おまけに、あまりにはっきりした十字架になっているので、決して「潜伏」時代のものであるはずはない。弾圧時代以前には、キリスト信者が阿弥陀像を十字架にあらわすはずもない。そのうえ、どうして昭和二十年後に突然こんなに多く発見されるのだろうか、などのことを考えてみれば、その「ニセモノ」であることがすぐわかる。実は、これは昭和二十年から二十五年のあいだに名古屋でつくられたものであって、その発案者も知られている。外人向のみやげものとしてつくられたそうであるが、このころ各地に出廻って、多くの郷土史料館にも展示されている。

チースリクは「阿弥陀」としているが、麻柄氏の表現は「仏像」だ。合掌印なので、肉髻が高めの釈迦にも見える。
元の作りが曖昧なのであり、気にしなくて良いだろう。

これより後の、地の文からも引用する。

既に20数年前からキリスト教研究者の間では知られていたらしく(青山1977)、実測図付きで注意を喚起している。製作地は名古屋ではなく、愛知県海部郡美和町であり、制作者も判明している。その当時約300個が鋳造されたという。

参考文献から2つ抜き出す。1977年には発表され、1995年にも改めて取り上げられていると解る。

青山 玄1977「キリシタン遺物でない十字架」『名古屋キリシタン文化研究会会報(14)』p.120
チースリク・フーベルト(Hubert Cieslik)1995『キリシタン史考 キリシタン史の問題に答える』聖母の騎士社

という訳で、信仰の産物では無く「外人向のみやげもの」だ。
詳しくは当記事を読んで頂きたい。一旦、流布した誤りを打ち消す手間の大きさ、それを丁寧に成し遂げた情熱が伝わって来る。

* * * * *

何しろ十字架の形が明らかで、禁制時代に見付かれば処分を免れない。
裏の仕掛けを知られなければ「観音」で誤魔化せる例とは事情が異なる。その点でも疑わしい。
宮本氏は怪しく思わなかったのだろうか。贋作が出回った事を知らなかったのか。
それとも、偽物と知って知らせず、世を欺いたのだろうか。

内心は本人にしか解らない。何か言い張ったとて、信じて良いかどうか。
よりもを見よう。
国立国会図書館の所蔵資料を「新発見」などと称する輩だ。加えて先に見た通り、誤解を誘うべく「手間」を掛けている。誠実さを全く持たない、全くの詐欺師たる事は明らかだ。
とはいえ、無知ゆえの悪気ない嘘の可能性も残る。キリスト教に不案内なのだろうか。寄稿した『Hanada』によれば、上智大学の院で学んでいる筈だが。

如来クルスは確かに刺激的だが、マリア観音を紹介すれば無難だった。中には贋作も混じるかも知れないが、全てではあるまい。習合について語りたいなら、こちらで良かったろうに。一連の呟きを見ても、何故か触れていない。
人目を惹くなら嘘でも何でもよし、裏を取らない。ばれても謝らず、取り消さない。ろだん氏と気が合うのも道理。

お読み頂き、ありがとう御座います。『論壇net』が閉鎖して時も経ち、世の関心も薄れるなかで『菊ノ紋ニュース』など別のサイトが同じ問題を繰り返しているのが残念です。ろだん氏たちの悪事を妨げるべく、ご支援を頂ければ幸いです。