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匂ウ者



神さまのニオイ。。。




生物が互いに惹かれ合う由縁に「ニオイ」というのがある。

ぼくはユクスキュル哲学を崇拝している。
生き物おのおのが、おのおのの感覚によって捉えた「環世界(ウムベルト)」で生きているってやつだ。
「崇拝」だから「理解」できてるわけじゃない、哲学むずかしいんだもの。
そんな「世界の在り方」だけど、こと、ホモサピエンスの中でも個体によって世界の感じ方が違うのだと、このところ痛烈に思う。



ぼくは初めて嗅いだ時からポウくんの虜だ。
一嗅惚れ、なんだ。


どうも最近わかったことだけど、「ニオイで惹かれ合う」という多くの動物世界の鉄則であると思われる感覚は、人間様の世界においてはご法度らしい。
どうしてか、人間様は「体臭」を毛嫌いする。
己のニオイは隠し、他人のニオイを嗅ぐこともよしとしない。
確かに人間様は鳥どもと似てて、視覚重視で相手を選ぶ。
そう、一目惚れだ。
これだけ「オシャレ」に気を使うのもそのためだと推測する。
けれど反対に「ニオイ」は入念に隠蔽される。

人間様、こんだけ臭いのきつい生き物は滅多いねえってもんだ。
石鹸で洗い、お湯で流し、消臭アイテムをふりかけ、別の匂いを纏う。
捕食者に見つからないためなのか?
ヒトが二本足でヨタヨタ歩き出した頃、恐ろしく容易に狩られまくったトラウマなのか?

残念ながら、これだけ入念に「臭い消し」してもニオイはダダ漏れと思われる、けれど、「ニオイの真実」よりも「詐欺的な見た目」に惑わされてしまう、むしろ、「惑わされたい」のが人間様というものなのかもしれない。
世にいう「恋」というものの奇妙さよ、だ。


言わずもがな、ぼくは小汚くも見窄らしい全く見栄えのしないニンゲンだ。
ぼくの外見に目を引く要素があるとしたら、ロン毛である(キタナラシイ)とか、服の穴がひどすぎる(キタナラシイ)とか、顔の造形がモグワイ寄り(キミガワルイ)というくらいだろう。中肉中背といった、さも面白くない風貌だ。

そんなぼくは気に入った他人を選ぶ身分でもなければ、気に入られる要素も特にないまあまあ「外」なニンゲンなんだ。


ある日、そんな選ばないし選ばれないぼくは、ポウくんに出会った。
むろん、ポウくんが挙動不審にヨタつくぼくを選ぶわけがない。
けれど、そこにひとり残っていた哀れなポウくんはぼくについていくほかなかった。
そこにはポウくんしかいなかったから、ぼくにしてもポウくんを選んだわけでは決してないのだけど、ぼくはポウくんに一目惚れをした。
彼は美しい子供だった。


彼は確かに美しい子供だった。
けれど、ぼくが彼に固執し、彼だけを求めるのは彼の「ニオイ」だ。

変態愛。

皆は申した。
ぼくが彼のことをどれだけ愛しているかを語るほど、皆はドン引きしていった。
なぜだろう?
そう、皆には「ニオイ」の神聖さがいまいち伝わらない様なんだ。
ぼくがぼくのつまらない平凡な人生において「幸福感」に溺れたあの摩訶不思議な彼の体臭はほとんど麻薬だ。
来る日も来る日も彼のニオイが鼻腔を柔らかに刺激し、ぼくを興奮状態にした。
フンガフンガとニオイを吸引したぼくが興奮すると、彼も興奮したもんだが、するとニオイがさらに立ち上る。

手足の香ばしい焼きたてパンのようなニオイ。
耳の後ろのバニラのようなニオイ。
尻の穴のキュンとくるニオイ。


喰ベタクナルホド愛オシイ。


ぼくがこの話に興じると、皆の目は「カワイソウナ人」を見る目になる。
みんな優しいんだ。

皆は、様子のおかしいカワイソウナ人(キ印)を心配して(迷惑がり)、次の相手を探すように促してくれたりする。

けれど、残念かな、未だ、彼のように匂う者をかぎつけたことはない。


ぼくは彼が大事にしていたヌイグルミに彼の毛を詰め匂いを嗅ぐ。
心臓がキュウゥとなる。
彼の匂いはだんだんなくなってゆく。
ぼくはつらい。