カナタナタ
違和感というのは大事だ。いい違和感も悪い違和感も。 いいわるいじゃなくて、それ以前なのが違和感か。 違和感を違和感のままに書くのは勇気がいる。だってそれが何なのかすらわからないまま書くということだからだ。そして言葉というのは時に思いもよらない形になって人を襲う。何かわからないまま書いた言葉が、誰かの尊厳を踏みにじったり、誰かを深く傷つけたりすることがある。だから違和感を違和感のままに書いてしまうことはとても危険で、しかもその危険は自分ではなくほとんどの場合他人に向いている
雨が降った たくさん降った 晴れ間を忘れた 雨が降っただけで梅雨ではなかった それは季節ではなく ただ雨が降っただけだった カラスが鳴いている よく鳴いている 夜にも朝にも鳴いていて 見かけると数匹で群れている ぼくの中のカラスはひとりだから どちらかはカラスではないのかもしれない なににも例外はあるのだし 一概に語れるものなんてないのだから どちらもカラスなのかもしれない 一概に語れないのなら まとめてカラスと呼ぶことも間違っているのかもしれない マネキンが落ちている 町に
政治というシステムは白黒をつける。白黒がついていないところには、不都合な何かがある。日本語という言語は、白黒をつけることに向いた言語ではない。曖昧さの中にこそ本質を見ようとする言語だ。だからよい政治と日本語というのはとても相性が悪い。 政治の話がつまらないのは、政治の話をしたがらない人が多いのは、政治の腐敗とか、意識や興味の問題とか、そういうことではなく、そのシステム自体が日本語という言語システムと混ざり合えていないからだ。 「政治」というのはPOLITICSの訳語であるが
詩が聞こえる電話番号 050-3573-4778 10回目で切りもいいので、今週で一旦終了することにいたしました。 書き下ろし「電話機」を朗読しています。 詳しくはこちら→https://note.com/hansodeboy/n/n9da70b3343a8 7月17日23:59まで聞けます。では。
2020/6/22 ポケモンバグの動画に心動かされる。ポケモン赤緑のバグをゲーム実況している動画なのだが、子どものころにワクワクとしたポケモンのバグを論理的に解き明かしていて、しかもそれによって新しいバグの扉を開いていて、ヴァーチャル世界における大人の冒険だ!と興奮した。小学生のときに緑をバグらせまくっていたぼくには、心躍るばかりの動画だった。あの頃のぼくにこの動画を見せたなら、数学にもっと興味を持ったに違いない。 行けるはずのないマップを歩いたり、届くはずのないアイテムに
「あなたはこしあん派、つぶあん派?」という質問がある。「あなたの血液型は?」「あなたは犬派?猫派?」に並ぶ、日本三大面白くない質問であろう。犬、猫はそれぞれの思い出や、自分のペットの話などに繋げることができるし、血液型は占いとしてのエンタメ要素がある。それに双方とも、共感として結束を高める効果や、対抗軸として会話を盛り上げる効果が期待できる。(それ程の効果を発揮するとは思えないが。)それにその期待があって、その質問は繰り返されているに違いない。しかし「こしあん派?つぶあん派?
2020/6/9 今日は緑が生き生きしている。 2020/6/10 もし「笑っていいとも」がまだやっていたら誰がレギュラーだろうと妄想する。かまいたちと滝沢カレンはいい感じに活躍してたろう。相席スタートもいいな。でも出てないか。羽田圭介も出てそう。オールナイトと同じタイミングで、ファーストサマーウイカもレギュラーになってたろう。テレフォンショッキングで、youtuberがしばらく続いたりしてそうだな。その流れで久しぶりに江頭出たりしてほしい。 2020/6/11 強い風で
イラストレーターの mimi(instagram@mimi_kougyou)とグッズを作りました。私の詩とそれに寄せた絵で、巾着やトートバッグ、クリアケースなどを製作いたしました。 よかったらショップ覗いてみてください。
2020/5/28 ここ2、3週間、町には粗大ゴミが増えている。自宅待機の中で部屋の掃除に精が出るのだろう。中には新品同様のものも見受けられ、複雑な気分になる。断捨離は嫌いだ。 こないだ観た「眠狂四郎 勝負」でこんな台詞があった。 米はまるっきりの凶作だってのに、年貢はちっとも減んないし、これじゃ今に百姓一揆がおっぱじまるぜ、なあ。 いつの時代も同じなのかしら。なんだかなぁ。映画はあんまり面白くなかった。時代劇は趣味に合わないみたい。「大殺陣 雄呂血」の殺陣はすごかった
タバコ箱の湖で泳ぐ いろとりどりの角(かど)が 乾燥した肌に白い線を引いていく カラータイマーに合わせて 躍り出す怪獣たち 感覚が身体を巡り ネオンテトラの森で佇む なくなった角(つの)の 痕跡がかゆい 今日のぼくなら岸を侵せるのに 君はまだ眠っているんだね 仰向けでまばたきすると いずれ岸へと向かうのだ
2020/5/24 アンタッチャブルのシカゴマンゴ復活、最終回スペシャル。懐かしいラジオネームだらけでうれしくなる。ラジオネームってとても不思議で素敵な文化だ。コードネームのようでもある。高橋源一郎の「さようなら、ギャングたち」の世界では名前は自分でつけるようになっていて、例えば「中島みゆきソング・ブック」という名前の人物が出てくる。そういう不思議な世界がラジオの中には広がっていて、それはラジオファン同士の合言葉にもなるのである。例えばくりぃむしちゅーのオールナイトで言う「せ
「面白さ」や、「有名になること」やらは果たしてそれほどまでの価値があるのだろうか。自分の身体や生活や生命を危険に曝すほどの価値が。 リアリティショーの面白さって、リアルなことにあるんじゃなくて、切り取り方次第でどんな生活からもフィクションを紡げるという、編集にあると思っている。そうじゃなきゃ人の生活なんて見ていられない。フィクションであるということに安心して、ぼくはやっと人間を面白がる。その人個人というよりは、人間って面白いなって。テラハの話。一瞬見ていたのだけれど、最近は
2020/5/19 道で拾った聖教新聞を読む。他人の秘密を盗み見ているような気分になる。 2020/5/20 今週は映画をたくさん見た。「PARKS」「そこからなにがみえる」「瀬戸内少年野球団 青春篇 最後の楽園」「ジャズ大名」「雨月物語」「兵隊やくざ」「兵隊やくざ 脱獄」「しびれくらげ」「西部戦線異状なし」「天使のはらわた 赤い淫画」「ダイナマイトどんどん」「不滅の女」 「ジャズ大名」が面白かったので、ラジオドラマも聞いた。こちらも面白い。筒井康隆の原作も気になる。 それ
肌蹴る光線のオンライン上映にて、ミア・ハンセン=ラヴ監督作「すべてが許される」を観た。肌蹴る光線とは、「上映機会の少ない傑作映画を発掘し、広めることを目的とした上映シリーズ」で、毎回とても面白い作品を上映している。その第1シーズン最後の作品が「すべてが許される」だ。 前回上映された「コジョーの埋葬」はとても素晴らしく、こちらにも感想を書いたが(『映画「コジョーの埋葬」を観て』)、「すべてが許される」もまた印象的な映画だった。特に瞳が印象的だ。「ジャンヌダルク」よりも遥かに。
ぼくたちは展示されている 博物館の標本箱に 手厚く保護されるもの 修復に廻されるもの 倉庫の奥に仕舞われるもの 廃棄されるもの ぼくたちの生活それぞれが 透明のガラス板の向こうで ピンで留められていて 中には光沢を保つために 内臓を抜かれたものもあれば 油が全身に廻って 黒く変色したものもある 標本箱の中の空気は 博物館の空気とはちがう それは隣り合っているけれど 交じり合うことはない 見えるけど触れられない 見えるけど匂えない 見えるけ
以前お知らせした「詩が聞こえる電話番号 050-3573-4778 」ですが、毎週金曜日に更新することにしました。 詳しくは https://note.com/hansodeboy/n/n9da70b3343a8 更新されると前の詩は二度と聞けません。永遠に聞こえることはありません、もう二度と。電話待ってます。