漂う、空飛ぶ、浮かぶ、見上げる(ウラジオ日記33)

左の前歯が抜けた青年とすれ違う。くちびるごと欠けているようで、口の奥に黒い空洞が垣間見える。その後も二度ほどすれ違った。小さな町だから、同じ人とすれ違うのはよくあることだ。ウラジオストクでもすれ違うくらいだから。

ウラジオストクのバス停で話しかけられたアジア人の青年や、ケーブルカーで見かけた日本人の三人組と、また違うところで会ったりした。ウラジオストクは小さい町だなと思った。でもウスリースクは更に小さい。だから数時間で同じ人と二度も三度もすれ違う。

インドのカジュラホというとても小さな町で出会った日本人とは、バラナシでも偶然出会った。その人はカジュラホの星空に感動していて、あれは綺麗だったなと思い返していたけれど、ぼくはそこまで感動していなかった。長野でも結構見えるしなあってくらい。それに意外と都会でも星はいくつも見える。もちろん少ないけれど、そうやって見つける星のほうが好きだったりする。それに実際の星空よりもプラネタリウムの星空の方がぼくは好きだ。

そう言えば、ロシアで星空を見た覚えがない。月の印象しかない。月が明るすぎて見えなかったのだろうか。

バスで帰ろうか、電車で帰ろうか、あるいはタクシー。バスターミナルに行って時刻表を調べてみる。空港行き、ウラジオストク行き共に、結構な本数が出ている。値段を聞いてみると、3500ルーブル。6000円くらい。高!タクシーは2500ルーブル。やっぱり高い。電車だと230ルーブル。400円くらい。すごい差だ。バスの方が安いイメージがあったからびっくりした。渋滞するかもしれないし、すわり心地も悪いだろうし、時間もかかりそうな、バスの方が高い。というかタクシーよりも高いのはどういうわけか。不思議だ。その本数が魅力ということか。無論、電車だって遅れるけれど、これだけ安ければ気にならない。

教会の近くに銅像がある。その銅像は何人かの人が身を寄せ合い、足を宙に浮かしていて、足下には火がくべられている。何かの慰霊碑だろうかと近づいてみると、後ろにいくつもの名前が彫られている。何かの戦争で亡くなった人の慰霊碑なのだろう。地に足を着けられずに、身を寄せあう、悲しみを浮かべた銅像は物悲しく、夜に見ればそれは幽霊みたく見えるのだろうなと思った。でも夜まではウスリースクにいられそうにない。みな上の方を見ていた気がする。星空が見えたなら少しは慰められるだろうか。多分、ウラジオストクよりは綺麗に星空が見えるはずだ。

教会の裏の辺りには市場が広がっていて、そこでりんごを一個買う。果物屋には蜂が何匹も飛び交っていて、ちょっとこわい。それは彼らにとっては自然なことなのだろうと思っていたが、買い物するおばさんが軒並みいやそうにしていたのでそうでもないのかもしれない。どの国の市場でもハエは見かけるが、蜂がこんなに飛んでいるのは初めて見た。

リンゴをかじりながら市場を冷やかしていると、鳥屋を見かける。鶏肉ではなく、鳥専門のペットショップ。檻に入れられた鳥の中でも一際大きいのがいて、よく見るとそれはクジャクだ。インドで野生のクジャクを見たことがある。崖からあの美しい翼を広げて飛び立つ瞬間を見たのだ。クジャクって飛ぶんだなあと思った。そのときは隣に物乞いの子どもがいて、その子も珍しいのか見蕩れていた。

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