檸檬

「つまんないね」
私の仕事は商品の陳列を微妙にずらすことである。丁寧に並べられ積み上げられた商品を少しずつずらし、崩壊する寸前のところで手を止める。そして平然と立ち去る。私が店を出る頃に、誰かの体が触れてそれは崩れてしまう。
店員は不快な顔を隠してそれを並べ直す。崩した客は不運そうな顔をして居るだろう。「私の所為ではない、その運命と均衡が悪いのだ。」という風な面構えをしていやがる。そこに流れる瞬間の空気が私の心持を冷やしてくれる。
その所作は慎重に行わなければならない。私の側で万が一崩れてはならないからだ。崩れてしまえば私がその関係の対象になってしまう。咎められることは無いだろう。しかしその状況に私の内臓は熱くなり息苦しくなる。それに誰かに面の裏を読まれているような気がして裏腹な冷や汗が私を更に苦しめるだろう。
ガラス瓶のようなものはあまりよろしくない。瞬間の空気が持続し、ぐずぐずと煮詰まってしまう。私の心持も中てられてしまうだろう。軽い箱のようなものがよろしい。
私は特別箱に対してロマンを感じる。シュレディンガーのロマンは言うまでもない。しかし同じ形の部屋の並んだ集合住宅や、重力に逆らって移動するエレベーターなど、その中身が知れるものにも相応のロマンがある。私が猫でも構わないのだ。
私が本を好きなのもその事に関係しているだろう。大体、買ってばかりで開こうとしない本が何百冊とある。物語などに興味は無いのだ。それに箱を思うから私は愛でる。
空き箱には特段魅力は感じない。空いてしまったら、箱の箱たる魅力が薄れて仕様がない。宇宙の喪失である。箱の中には宇宙が保たれてなければならず、それが積み上げられている様を想像しただけで、私の下腹部はむくむくと生長しないではない。中身が知れているいないではない。中身がなくたっていい。空いちゃだめなのだ。
私の仕事は当然何の役にも立たない。しかし大体において意味などないのだ。私は腕を先日失った。事故で腕が壊死して切断した。純朴なる読書家はそれを去勢の暗喩だと決め付ける。しかし違う。私は腕を失った。なくなった腕の肘から二センチ下に下った辺りのところが痒い。でも無いから掻けない。掻きたいけれど掻けない。そんなものだ。
だから私はお前が嫌いだ。腕がなくなってしまったのもお前の所為だ。意味などない。意味などないから私は腕をなくした。意味があるらしく思うから私は腕をなくした。
私の兄はいたって普通の見た目をしている。あまりに普通である。普通の男の顔を浮かべてもらえば十中八九それが私の兄である。特徴らしい特徴はない。特段友達が多いわけでも少ないわけでもない。女性経験も人並みにある。特別人と違うのはよく上を見ていることだ。そして手ごろな高さの家具があればよじ登って天上を嘗める。その舌でずっと嘗めている。音もさせずにじっと行われるその仕草を私は見慣れているが、その時分気温は低く感じる。私の心持は興奮して熱を帯びてしまう。
それで私は小便をしに立った。トイレというものもやはり箱だ。配管も私から言わせると箱である。だから私は特別トイレが好きだ。何と美しい機能美、都市と言う隠蔽の強調。サイエンス・フィクションを感じさせる場所などここくらいしかない。宇宙である。赤ん坊の瞳を思い出しても差し支えない。真っ暗なトイレの便器に座る。母胎回帰の暗喩だよ。あまりに興奮しすぎる。庭に出て私は放尿をした。
ほら暗喩だ。下降する私の体液、描かれる放物線は性器の在り処を示す。私はこれから反抗することもできる。大地の豊穣を願うこともできる。友情を確かめることもできる。
この前の百貨店で崩れた箱の、崩れる前の嘘っぱちの均衡を私は思い出している。爆弾だ。俺は爆弾だ。お前も爆弾だ。箱は爆弾だ。勿論、みんな箱だ。でロマンがある。何かで満ちている。空いちゃいない。火薬と猫と水溜りと、色々、そんで結局は箱が、箱の中に箱がいっぱい詰っている。積み上がってどうせ嘘っぱちだ。そんでそれは全部爆弾なんだ。バーン。

サポート頂けると励みになります。