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チューニング

今日も、俺以外にはどうでもいい自分の記録です。
かなり後ろ向き、弱音200%(いちご100%は東城派です)。

生活や、何かしらのもの作りの場で、自分が鳴らしている(漏れ出ている)音が色々と噛み合ってないなという時が往々にしてあって、今がちょうどその時期なので、チューニングという名の調整期間を意識的に設けることにした。

Twitterを休んでいる。チューニングである。
展示を見に行く、チューニングである。
なるべく一人でいる、酒を飲む、文章を書く、チューニングである。
汚れが気になっていたスニーカーを洗った、チューニングである。
画材を買って絵を描いている、チューニングである。

本当は、もっとノリとか勢いで全部を済ませたいのだけど、下手に経験を積んでしまったことで中途半端に見えてしまうものがあったりする。チューニングのズレとか。本当に中途半端で、でも多分何歳になってもそう感じるんだろうなと思う。抽象的にしか語れない。他人から見たらおそらくどうでもいいことで、つらくなったり勝手に苦しんだりしている。面倒くさい。やむを得ない。自分という存在に飽きてだいぶ経つけど、自分からは逃れようがない。中年を早く終えて、老人になってもっと色々を諦めたいと思う。そう思うことで弱い人間だと感じ、またしんどくなる。ダダ漏れですみません。

人間である以上、社会と関わらなくてはいけない。でもそれが救いでもある。親しくしてくれている人たちには本当に感謝している。その人をがっかりさせたくないという気持ちがまだ残っている限りはやっていくしかないと、それでやっとこさ生きていけている感じがある。もっと前向きに人生を楽しめる自分で在りたかった。端的に言うと、元気がない。元気があれば何でもできる、本当にそう。俺は、メンヘラなのか……?中年のメンヘラはちょっとだけ面白いので、そう思ってなるべく客観視をキープしながらやっていきたいです。

もう少し前向きなことを。ほったらかしていた一眼レフを引っ張り出して、バッテリーも新しくして制作に活かしたいと思っている。いいものを作るために、やれることは何でもやりたいと思う。ロバート・フラハティやジョナス・メカス、チャック・パラニュークのことを考える。老若男女が苦手だが、人間の創作物に励まされてきたし、その恩をどこかに返したいという気持ちがまだある。完全に何を言ってるかわからねーと思いますが。

若い人と話していて、「半袖さん顔はいいけどスタイル悪いもんね〜」と言われて衝撃だった。そんな正直に本人に言う?!でもありがて〜〜〜!!!と思った。もっと言ってほしい、俺の悪いとこ。大体みんな言ってくれないもんね。人間との関わり。人間との関わり。

三軒茶屋の駅から10分くらいのとこにある焼鳥屋「串源」が本当に美味しかったので、近くの方はぜひ行ってください。老夫婦がやってるいい感じのぽ店です。

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