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2024年 1月26日の日記

ファミレス行こ。(上)を読み終えて、今、震えているところです。
すごい漫画だ。最初、ああ、こういうトーンで来るんだ、いいねえ、時間の在り方を、描いてるんだねえと思ってたら中盤からの展開に打ちのめされた。めちゃくちゃ物語じゃん。畳み掛けてくるじゃん。ちゃんとカラオケ行こ!の続きだった。和山やまって本当にすげえな。こんな作家はめったにいません。

和山やまと市川春子と宮崎駿の作品は、同時代に生きて享受することが出来て本当によかった。あと岩明均と昔の黒田硫黄と昔の小田扉も。舞城王太郎、坂田和實、清野賀子も。あとポール・トーマス・アンダーソンとフィリップ・K・ディックとスティーブン・マルクマスとカート・コバーンと向井秀徳か。けっこういるな。いてくれてよかった人。

いてくれてよかったシリーズ、昔の人でいえばベラスケスとハマスホイです。なんで固有名詞を書き連ねているかというと、最近、人の名前が本当に思い出せないから。生きていてよかった、と思えるものを生み出してくれた人の記憶さえ老化は奪っていく。そのうち何も思い出せなくなるんだろうな、ムカつきますね。

グループ展を終えて、作品の搬出だった。一点だけだけど絵が売れてとてもうれしかった。聞いたときは驚きの方が勝ってなんで?と思ったけど今年が辰年で自分が年男だからでしょうか。あとはギャラリーの力ってやっぱりすごいなと思った。自分的には頑張った絵だけど(いつも頑張ってはいる)、だからといって売れるような絵ではなかった。

絵が売れるとやっぱりうれしいので、そろそろ作家として売れてみようかな〜とも思う。制作コストが低くてそこそこ売れそうな絵はたぶん今の画力でも描ける。いろんな絵から部分的にテイストやら雰囲気をパクってうまいことやれる。以前にイラスト管理の仕事をやっていた感覚からいえばおそらくそれなりに売れるだろうものが作れる。お世話になった人がどんどん増えてきたし、年齢的にも終わりが近いので、なるべくなら早めに恩返しをしたほうがいい気もする。でもそれでいいのか?と思う。だって結局、絵が下手だから…

下手でセンスも志も低いのに売れている人を見ると複雑な気持ちになる。ああいう存在になりたいかと言われるとそうではないし、ベラスケスみたいな絵、描きてー!!と思ったから絵を始めたわけで、ただ残りの時間でベラスケスみたいな絵が描けるようになる可能性は限りなく透明に近いブルーだしじゃあ売れてから考えればいいじゃん、と誇大妄想的に思い込むのがいいのである。納得いくものが描けてそれが売れるのが一番だけど、自分の成長速度から考えるとそれには時間が足りない。

でもなんというか、幸運だったと思う。絵を描きはじめてから寂しいとか退屈とか思ったことがない。あまり思い出したくないけど若い頃は寂しいとか退屈の塊だったから、中年になってそういうものに出会えたことが本当にラッキーだった。公民館とか文化センターのコンクールに趣味の絵を描いているおじいちゃんやおばあちゃんはたくさんいて、自分のライバルはそういう老後を生きる人たちだと思っている。

さらっと終わらせるつもりだったのにどんどん文字数が増えてしまった。自分の絵と出来上がり方が似ている。下手を隠すのに筆と絵の具を足していく感じ。もっとがんばって半袖さん、と思うしいつも思っている。







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