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7月5日の日記

缶やペットボトルの飲み物は、窒素充填されている。
だからフタを開けたとき、まずはふーっと飲み口に息を吹いて容器の入口近くに溜まったその窒素を追い出す。それから一口飲み、一回またフタをして(フタが閉められるやつならば)上下にゆっくりと振って中身を撹拌し、二口目を飲み始める。

学生の時に友達から窒素充填の話を聞いてから、ずっとそれをしている。たぶん味に変わりはないし少々変わっていたとしても自分の口がそれを感じ取れるとは思わない。呪いのようなものです。

今日は夕方から、映画『アフターサン』を観に出かけた。アフターサンは上記のような細かな事柄を描いた映画、ではとくにないのだが、帰りにペットボトルの紅茶花伝贅沢しぼりピーチティーを買った時に、なぜか「こういうことでもあるのかな」と思った。

以下、映画アフターサンのネタバレを含みます。







アフターサンは、カラムとソフィーの父娘がひと夏のバカンスを過ごす経過を描いた映画だ。大人になったソフィーが、Hi-8のビデオテープを見返してそれを思い出しているという構成になっている。

カラムは離婚していて、ソフィーとは普段は離れて暮らしている。だから二人にとって、この旅行はお互いに貴重で大切な時間だ。概ね仲良く過ごすが、そこには埋めることのできない溝があることがわかってくる。バカンス先のトルコの熱い太陽の光が、その悲しみを照らし、くっきりと浮かび上がらせてゆく。

二人はお互いを向いているが、その視線に高さの違いがある。背の高さもそうだし、年齢の違い、立場の違いがあり、見えている風景に決定的な違いがある。それが象徴的に描かれているのが、カラオケのシーンである。

ソフィーは一種のサプライズで、ホテルの野外ステージ上のカラオケで R.E.M. の “Losing My Religion”を歌うことを予約していた。父、カラムは驚き、歌うことを拒否する。どうして、パパの好きな歌だよ、とソフィーは説得を試みるが、結局は一人でステージに立ち、ぎこちなくその歌を歌う。

カラムからしてみれば、それはリゾート地のカラオケで歌うような種類の「好きな歌」ではなかった。パパはね、この歌が好きなんだよ、そういう親密さでもって娘に胸のうちを明かしたものだったのだと思う。

そのように、ソフィーとカラムの歩み寄りはすれ違い続ける。
ソフィーは目の前の父を、いまここにある休暇を、限定された時間を精一杯楽しむことに懸命だが、カラムの目には、ソフィーの奥に、もっと遠くのものが見えてしまっている。決まらない仕事と不安。金がないこと。別れた妻への諦めきれない思慕。エトセトラ、エトセトラ。

ソフィーのカラオケはほとんど原型をとどめていなかったが、原曲を聴いてみてほしい。暗い歌だが、グラミーを受賞して90年代当時、大ヒットした。その頃、MTVを見ていてもこればっか流れて、最初は好きだったけど辟易したものだ。今は普通に、アメリカ文化の暗い一面がセンシティブが表現されたすごくいい曲だと思える。


離れていても、太陽に照らされているとパパも同じ太陽を見ている、パパと同じ空の下にいるんだと思う、だから一緒にいることと同じだよねとソフィーは言う。

映画を観ている間、どうかこのまま、大きな、悲惨な出来事が起こりませんようにと祈るような気持ちだった。でも、違うのだ。現実と似て、破壊はそうとは気が付かないうちに、ゆっくりと行われていく。次々と起きる人生の問題に右往左往している間に、ふと我に返ると取り戻しのきかないところまで来てしまっている。そうしたプロセスを、夏の短い時間の間に、父娘二人の関係性の中に凝縮したストーリーテリングが素晴らしかったと思う。

終盤の、カラムが身を捩って声を殺しながら嗚咽するシーンは、それがいつ起きたことなのかをあえて限定しない描写にしていたところが印象深かった。あれはあの夏、あの夜に起きたことかもしれないし、数年後、もっと状況が変わったカラムの身に起きたことなのかもしれない。観客の心に委ねられているし、観た人それぞれが、それぞれにとって最も残酷な時を想像する余地を残している。とても繊細に。

映画の最後で、ソフィーとカラムは Queen と David Bowie の “Under Pressure” が流れるクラブで再会する。二人の誕生日に、時間を越えて出会う。ソフィーには、もうわかっている。あの時の父の心が。何もかもが過ぎ去り、取り戻せない、切り刻まれた場所で、手の届かない隔たりの中で、二人の心が通じ合う。

そういうものである。
と思った。タイタンの妖女ですね。

映画全体としては、観る人を選ぶと思う。この日記冒頭の、細かで退屈な描写とエピソードが大半で、映像がひたすら美しい。寝ちゃう人もいそうだ。それは皮肉とかではなく、幸せなことだ。

R.E.M. のPVは、“Crush With Eyeliner” の方が好きだ。東洋人をフィーチャーしていて、バンドのメンバーではない人物が歌っているところが当時としてはエポックで興奮した。さっき久しぶりに聴いたけど、これもいい曲だな〜。本当のメンバーは、ところどころに少しだけ出演している。

全然関係ないが、今日、あるギャラリーの夏のグループ展へのお誘いの話があった。まったくこんな長ったらしい感想なんかを書いている場合ではない。時間がない、絵を描かなければならない。とっても、ありがて〜。




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