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察することの苦手な長女と、察し過ぎる私の話 byとけいまわり

たまにね「こんな10歳いるわけない。どうせ作り話」って言われるんですよ。

確かに、長女は言語系がかなり発達していると思います。モヤモヤとした頭の中のイメージを言葉にして表すのが得意。得意だから毎日毎日脳みその中を言語化して、さらに発達しているように感じます。

1年毎に脳の言語野がアップデートされていて、前は「子どもならではの無邪気な発想やねえ。いい事言うなあ」ぐらいに聞いていたんですが、最近は「考えを練りに練って発言してきたな…」って唸る事が増えてきました。きっと、頭の中で思考的実験をするのが好きなんですよね。

人間関係を客観的に見るのが得意な彼女ですが、実は人の気持ちを察するのは苦手で、よく次女と喧嘩になっています。

長女が次女にべったりともたれかかると、次女が「重い〜止めて〜」と笑って言い、長女も笑ってるんです。その後何回も次女が「重い〜止めて〜」と声をかけて、私が何度目かに(あっ…次女の声色が変わった…)と気づいて「次女ちゃん、本当に嫌がってるよ!」と長女に知らせるのですが、長女がそれを理解せずにもたれかかるのを止めなくて、次女が泣き出してしまう。

長女は次女の「重い止めて」を、遊びで言っているのか、本当に止めて欲しくて言っているのかを声色などで判別するのが苦手なのです。いわゆる、察するのが苦手。

夫も察するのが苦手で、よく私と喧嘩になりました。私が「もういいよ!」と言うと、「あ、もういいんだ」と、額面通りに受け取るのです。

でも、常に人の気持ちを察しようとし過ぎる私に取っては、言葉が全てストレートな夫と一緒にいるのは楽でした。夫が「好きだよ」と言うと、それは本当に「好き」なのであり、何かを誤魔化して言っているのでは無いんですよね。その安心感。「本当に本当の『好き』」

夫はとても努力家なので、「人の気持ちを理解する事」についての科学書を読み漁っていました。自分がなぜ人の気持ちを察するのが苦手なのか、科学的なアプローチから理解をし、今は「もういいよ!」を「オッケーではなくて、怒って諦めている意味の場合がある」と知識として理解してくれています。

これだけ夫が努力してくれているのに、私は努力が足りなくて、「感情語」が口から出てしまう。「もう好きにしたらいいじゃない!」と。

これでは、長女は「あ、好きにしていいんだ」とそのまま受け取り、後でそうでない事を知って混乱してしまう。感情語止めないと…本当に。

でもね、長女の芯の強さや言語能力が発達しているのは、この察する事が苦手故に手に入れた能力のような気もするんですよね。察するのが苦手なので、「なんでだろう…」と言葉で解決しようと努力している。ふわふわと掴みどころのない「感情」ではなくて、言葉をテトリスのようにはめ込んでいく。「なるほど、こういう事かも知れない」と。

その発想は、時々私が43年間頭にあったものを軽々と越えてくる事があって、「ああっ…!」声が出てしまう。忘れないように忘れないように…とツイッターに書き込むのです。どなたか必要な方に、長女の言葉が届きますように。




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