『じゃがいも集団トリップ事件、或いは檸檬の代替、処女懐胎』2016/11/08 11:37 (age 18)

 高校の卒業旅行に友人と北海道旅行をすることになった。北海道といえばじゃがいもだね、そう話して息が詰まった。思い出したのだ、あの狂気に満ちた事件を。私の人生を変えた、あの惨劇を。

 事の発端は去年の11月。私と友人たちとで卓球のダブルス対戦をしていた。しかし悲しいかな皆下手だった。玉が卓球台から落ちすぎて対戦どころではない。永遠と終わることのない玉拾いをしている感じ。意識改革を行わなければ、と切り出したのが「卓球の玉を生卵だと思おう」だった。この玉を生卵だと思えば、卓球台から落とさないようにもっと皆努力するだろうと思ったのだ。しかし皆は賛成したものの、概念の生卵はがちゃがちゃと音を立てて床に潰れていく。駄目だ、生卵では効果が上がらない...。そこで思いついたのは「マッシュポテト寸前のじゃがいも」だった。まだこのじゃがいもはマッシュポテトと化すほど潰れてはいない、潰してはいけない。しかし、私たちが手元を狂わせ玉を床へ落としたその時、じゃがいもは完全なるマッシュポテトとなってしまう。

 メンバーの目つきが変わった。笑いながらも、「もうこれ以上無駄な犠牲を払ってはいけない」という無言の圧力が発生していた。そして再開されるゲーム。効果は抜群だった。明らかにラリーの質が向上している。ちゃんとゲームとして成立してきた。我ながら自分の発想に戦慄する。そして、サーブが私に回ってくる。結構サーブはできるんだよね、そう思いながらラケットを振った。鈍い音がする。刹那、断末魔――。

 それはまさしく悲劇だった。私のサーブが友人Aの内腿に衝突したのだ。完全なる誤算だった。玉は虚しく彼女の太腿を滑り落ちていく。私はラケットを落とし、うずくまった。終わりだ、全てが終わってしまった。私はじゃがいもどころか友人さえ傷つけてしまったのだ。もう、後戻りはできない。一体、どうすればいいのだろう。私は笑うしかなかった。謝罪の言葉を口にしながら、嗤う。メンバーも皆笑っていた。

ここで終わってたまるか。

 執念にも似た強い感情が私を射抜く。同時に、私は恐ろしくも神聖な一つの真実を見つけた。

「おめでとう」。気付けば私はそう放ち、ゆっくりと大きな拍手していた。皆、ぽかんとしている。友人Aの限りなく股間に近い内腿に衝突したじゃがいも、その際に私は異種交配が行われたのではないかと予感した。生命の樹だ。彼女は生命の樹となり得るのだ。彼女がじゃがいもと交配し彼女がじゃがいもを子供として宿すことで、永久機関が出来上がるのではないか?じゃがいも永久機関。

「はあ?狂ってる」。私の仮説に、友人Aは予想通りの反応を示した。しかし残り2人の友人は爆笑していた。私は卓球台を挟み、友人Aに繰り返し説いた。「おめでとう、恵まれた方」、そう受胎告知してみせた。大天使ガブリエルの台詞を真似てみせた。友人Aは処女だということを、私は知っている。全てが完璧だった。同時に、それは異様な「存在」の欠落でもあった。寝不足で風邪気味だった私の頭は完全にトリップしていた。

「ほら、皆笑ってるよ?おめでとう、そしてごめんね」

 もう全てがどうでもよかった。友人Aは陥落した。彼女は笑い出し、うずくまった。私もようやく事の馬鹿馬鹿しさに気付き、笑った。狂気にも似た幻想が、私たち4人を飲み込んだ瞬間だった。案外マインドコントロールなんて簡単にできてしまうのかもしれない。それから私たちはゲームを続けた。楽しかった。私の決して満足することがないであろう内側が、その時やっと満たされた気がした。幻想が現実との境界を曖昧にする時、私はようやく私の恋焦がれる私という人間と指先を絡ませることができるのだと、確信した。私は私の孤独がカリフォルニア産の檸檬でもなく、ただ想像上のじゃがいもにすぎないという事実が可笑しかった。そしてその可笑しさはそのまま、私が今まで拒否し続けてきた人間だとかこの世界とかいうとてつもなく大きな醜悪さ、神聖さ、頼り無さへの信頼へと通じていた。青春を切り取るなら今この瞬間だ、そう思った。

 ちなみにこの後、インターネットでサイコパス診断を受けたが全く問題はなかった。この話をすると大抵の人間たちからクエスチョンマークを浮かべられるが、一番に混乱しているのは私自身に他ならない。

 私はただ、現実を孕もうと藻掻いただけだ。私は、私の孤独と抱き合っていたかった。

それだけだったのに。あれから1年が経つというのに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?