みーこ⚚母との別れを未来につなぐ

母親の自死から学ぶ、生きづらさを減らす=ラクに生きる捉え方・メンタル形成 / この経験…

みーこ⚚母との別れを未来につなぐ

母親の自死から学ぶ、生きづらさを減らす=ラクに生きる捉え方・メンタル形成 / この経験が1人でも誰かの役に立てばと思い記しています。◈ 大事にしていることは「つながり」。中でも「母と娘」は特に強固な「つながり」であり、女性の人間形成に一番の影響を与えるもの ◈ 2児の母

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最も衝撃的な出来事&それに対する想いを飾らず発信すること

今年の春、 母親を自死で亡くしました。 この出来事は、 少なくとも私の37年間の人生の中で 一番衝撃的な出来事で、 一番大きな課題です。 大切な人が亡くなるということは、 ただそれだけで辛く悲しいこと。 そして、その辛さの程度や重みはどうしたって自分にしか分かりません。 (家族や親しい人と分かち合えることはあるけれど。) だからきっと、多くの人が、 誰かに全てを共有するわけでもなく、 1人で思い悩み、夢にうなされ、消化して、 時間が解決するのを待って…と、 段々と残され

    • 母との死別後、心に響いた曲

      母の死後すぐは、 音楽を聴くということ自体を 無意識に避けていました。 歌のふとした歌詞が グサリと心に刺さることがありそうで、 どんな瞬間も悲しみに包まれる可能性があって なんだか怖かったからです。 それでも私は、 母の死の2日後も 車で片道40分の距離を自ら運転し 子どもを習い事に連れて行くほど 運転には躊躇がなく、 車内で音楽を聴くことも習慣でした。 1人で運転をするタイミングでは やはり好きな曲を聴きます。 母を思い出したいのか、 このなんとも言えない虚しさ

      • 死に方を自分で決めるのはいけないことなのか?

        人が亡くなる原因は様々ですが、 きっかけはそう多くないと思います。 病気、事故、災害… そして自死。 自死以外は、 亡くなる方法やタイミングは 自分で選ぶことができません。 それが当たり前なのだけど、 自分が自死遺族となった今、 誰もが 「生きたい」「死にたくない」 と思っているわけじゃない、 ということをより一層強く痛感しています。 亡くなり方やタイミングを 自分で選びたいと思う人もいる、 ということ。 それは不自然なように見えて もしかしたら自然なことなのか

        • なんだか答え合わせみたい

          ここ数年の 母とのLINEのやりとりや もらった手紙を 見返してみると、 あぁ もうこの頃から 死ぬことを考えていたのね… と思える内容がちらほらとあるのです。 2018年 私の結婚式の前日 母からのLINEには、 「結婚式が終わったら ひとり旅に出ようと思っていたけど やめました(笑)」 という文面がありました。 当時私はそれに対して 特に違和感も抱かず、 「なぜにひとり旅?! たまにはいいかもね」 なんて返していて。 それへの反応はなかったけれど、

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        • 2015年頃に考えたこと諸々
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          「大好き」を侮るなかれ

          私は母から 「大好き」「愛してる」 の言葉を聞いたことは なかったかもしれません。 記憶にある限りでは、ですが。 小さい頃には 言ってもらっていたかもしれないけれど、 母がその言葉を口にしているのを想像すると、 とても違和感があります。 「大好きと言われてない」 なんて、 子どもの頃も大人になってからも 気にしたことはなかった。 大好きと言われなくても そりゃ親が子を愛しているのは 当たり前… そんな無意識下の思いが、 親子共々あったかもしれません。 私はきっと、

          母が亡くなった当日の想い

          母が亡くなったその日、 私は母と対面しませんでした。 今となってはそれが良かったのかどうか、 わかりません。 それで良かったのだ、 と思うしかないというか、 そうするしかなかったというか、 なんにせよ結果は それで良かったのだと思います。 ホテルの一室で自死を図った母は、 チェックアウトの時間をかなり過ぎても フロントに来ないということで 部屋を確認しに来たホテルの人に 発見されました。 その直後の細かい経緯は 聞いていませんが、 父はホテルから連絡を受け、 駆けつ

          思い出の上書き

          母が亡くなってから、 母と一緒に行った場所に行くと 胸の奥がきゅーっとなる感覚がありました。 私は20代半ばに実家を出て 7〜8年ほど一人暮らしをしていましたが、 実家にはよく顔を出していました。 結婚し、長女が生まれる時(約5年前)から 私の実家で同居しています。 実家は10年前に引越しましたが 以前の家とはすぐ近く。 なので、 母と暮らしたこの家も 以前の家の周辺も 駅も小学校もスーパーも、 私自身が幼い頃から生活していた場所。 どこを目にしても 母との思い出が

          90歳を越えて娘を亡くした祖父母

          亡くなった母の両親(私の祖父母)は、 祖父が91歳、祖母が90歳で健在です。 2人とも特に身体を壊すこともなく、 定期的に通院はするものの 健康そのもの。 母は弟と二人姉弟で、 祖父母は約20年前から その弟家族と同居しています。 それ以前は我々家族と同居していました。 同居は私が2歳の時から 高校1年生の春までの14年間ぐらい。 だから祖父母は、 私にとっては育ての親と 言っても良いくらいの存在。 親同然に沢山世話をしてもらいました。 そんな祖父母に、 思いもしな

          90歳を越えて娘を亡くした祖父母

          そもそも生も死もない

          母が亡くなってから 変わった意識の一つに、 「死」が怖くなくなったことがあります。 今までは、 死ぬことに対して、 全てが終わってしまうような なんだか漠然とした恐怖を感じていました。 これまで 親族や知人の「死」に触れることは 何度かありました。 それらは単純に、 物理的にその人が居なくなってしまうこと、 もう触れられない、会話ができない、 ということを悲しく感じさせ、 時間が経つにつれて その悲しみは薄れていきました。 故人の笑顔が浮かんだり 会話した瞬間が思い

          母の命日は結婚記念日の前日

          母が自死したその日は、 父と母の結婚記念日の前日でした。 結婚38年。 付き合った期間を含めれば40年以上。 それだけの期間連れ添ったパートナーを 突然亡くした父の心情は、 それはもう、 娘の私にさえ計り知れないものです。 亡くなる前日には、 「明後日は結婚記念日だから ケーキでも買って来よう」 と、私と夫でも話していました。 今年もいつもと変わらず お祝いするつもりだった。 こうしてお互いの節目を 顔を合わせて祝えることは、 同居している醍醐味とすら思っていました

          母の命日は結婚記念日の前日

          どうしても考えてしまうこと

          母親が自死するなんて 全てが予想外で、 本人がにわかに出していたかもしれない サインにも気づいてあげられなかった… とやはり思ってしまいます。 私が結婚し 上の子を出産するタイミングから 両親とは実家で同居することになり、 今年で4年目。 母とは毎日顔を合わせて 会話をしていたにも関わらず、 私はその予兆すら感じませんでした。 本人は隠していただろうから それが当たり前なのかもしれませんが、 家族全員にとって 本当に「まさか」でした。 私はなんて鈍感な娘なのか。

          どうしても考えてしまうこと

          生まれて初めて「血の気が引いた」瞬間

          親との別れはいつか必ず来るもの。 そう頭で分かってはいても、 何も意識することなく 当たり前に日々を過ごしていると、 それが現実になるとは なかなかイメージできないものです。 私自身もそうでした。 想像しようとすることはあっても、 具体的に情景を浮かべ、 そうなった場合の自分の気持ちにまで 想いを馳せることはしていませんでした。 怖いとか、縁起でもないとか、 そういう想いが浮かんで 考えることを止めていたのかもしれません。 そんな何も覚悟をしていない私に ある日

          生まれて初めて「血の気が引いた」瞬間

          つながりを大事にする理由

          誰にでも、 それがたとえボヤッとしたものだとしても これは譲れない!大事にしたい! ということがあるはず。 私にとってのそれは「つながり」。 主に「人とのつながり」を指しますが、 つながりそれ自体よりも つながりを作り、維持し、広げる(深める)こと にはパワーを注ぎたいといつも考えています。  そして当時は意識していませんでしたが 今思えばつながりを大事にする価値観のもと 行動しているエピソードは沢山あります。 つながりを「作る」エピソードとしては、 誰かに誰かを

          言葉が示すもの

          言葉のイメージのお話です。 言葉それぞれのイメージは、大きくは、ポジティブとネガティブに分かれるのだと思います。 先日とある本を読んでいて思ったのが、 「リベンジ」という言葉。 個人的にはネガティブなイメージを持っていた言葉ですが、 よく考えてみると、 次に何かを成し遂げるための原動力となる言葉でもあり、 ポジティブ寄りなのかもしれない、と。 ネガティブなイメージを持っていた理由は、 自分を追い込み、そして相手を打ち負かすようなイメージが強かったから。 自分を追い込

          快く祝うこと

          お祝いに必要なのは心からの気持ち。 相手の幸せについて喜び、100%共感し、その幸せをいかに周りに共有できるかということ。 自分が祝ってもらう立場になった時、以前は申し訳なさのようなものを感じていた私が、最近思うことを綴ります。 先日、古くからの友人(男性)の結婚祝いを数人でしました。 (それにしても結婚出産ラッシュはいつ止むのでしょうか。そもそもラッシュなんてものは無いのかもしれないけれど。) 友人は奥さんになる人も連れて来て、 私の発案で主役の2人にケーキを贈りまし

          金銭感覚がほんの少し違う人

          金銭感覚というのは、 きれいな人間関係を築くうえでは明確にしておくべき要素だと思います。 金銭感覚が異なる人と付き合わなければならないこと、 特に付き合った方が自分にも相手にもプラスになる場合が、 都内近郊である程度の暮らしをしていれば誰にでもあるはずです。 明らかに違う場合は別。 稼ぎも暮らしも仕事のステイタスも、自分と完全に区別がつく場合は、明確にする必要はありません。 私にも、学生時代からの友人に、 自分とはちょっとだけ金銭感覚が違うと感じる女性がいます。 大

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