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ブルーグレーの月曜日

 最初に消えたのは、々とゝだっただった。

 「このたび、長らく皆様に親しまれてきた々とゝですが、来月末日を持ちまして、廃止といたします。」

 会社の2階から3階へと通じる階段の踊り場の、ブルーグレーの壁に、そう書かれた通知文が張られていたけれど、誰もその張り紙には気がつかなかった。

 月曜日の朝の、重苦しい空気のなかを、パソコンの電磁波が通過していった。

 同様の内容が書かれた通知は、きちんと電子メールでも届いていた。

 々とゝって、何? 昨年入社した新人2年目のツカモト君が、遠くの席から屈託のない笑顔でそう話していた。見たことないんすけど、そういうマイナー文字っつか、それ文字なんすか? 文字って何? え、わかんな過ぎてむしろ新しいっすね、みたいな・・・そんな彼の、取りつく島のない月曜日の朝をなんとか生き延びようとする浮ついた声の響きがうっとうしかった。

 は・・・と、顔色を変えたのは、入社試験のとき、「趣味は書道です」と話していた経理のVさんだった。書道が趣味だったというぐらいだから、きっと文字にはこだわりがあるのかもしれない。でも、彼女が顔色を変えたかに見えたのはほんのコンマ0.5秒程度で、すぐにいつもの白い顔に戻った。

 変化といえば、その程度だった。

々とゝが廃止された表向きの理由は何か。「便宜的に使用されているが読みはなく、文字としては認めづらい」というようなことだったようだ。

もちろん、安易な廃止に反対、と声を上げる人たちは、少数ながら存在していた。だが、々とゝ、とくにゝのほうは分が悪かった。ネットでも、印刷物でもほとんど見かけない上、ゝが頻繁に使用されていたころの文書を見直しても、確固たる必要性が感じられないと、イマドキの国語学者たちが審議会の席上での調査結果を発表するまでもなく、「あってもなくてもどうでもいい文字」という印象は拭いがたかった。
それでも少数の反対論者は、執拗に、々とゝの重要性を訴え続けた。言葉は文化であり人の生活の軌跡であるのだから、たとえ使用頻度は低くても安易に消滅させるべきではないというのが主張だ。

反対論者の食い下がりのおかげで会議は約25分ほど長引き、会議室の後片付けを担当する職員を苛立たせた。

議論は、必要性の有無にとどまらず、不要論へと変化した。さらには「つ、く、と見分けが付きづらく、紛らわしいこと極まりない」と、だんだんと、々とゝがむしろ迷惑極まりない存在であり、もはや抹殺以外には考えられないという段階にまで否定的になっていった。これに対する反対論者は「アナクロ」「非科学的」「自虐的」などと揶揄されていった。
いやしかし、どのみちそうした論争も、ごく一部の空間で起きていたことであり、メジャーどころでは、編集者も営業部もさほど気にはとめていなかった。
教育現場の教員たちは、おおむねこのお達しには肯定的であった「紛らわしい文字がなくなるのはかえってよい」「踊り字という名称もいかがなものか」「字が踊るとは」と穏やかに微笑んでいた。
理学療法士も作業療法士も「全く問題ありません」と答えた。
介護福祉士は「懐かしがる方もいるかもしれないけれど、別にねえ」とテーブルをふきながら話していたし、ケアマネージャーは「はい、了解です。ところで来週の調査の件なんですけど」と、すぐに直近に迫る仕事の話に戻った。いつも嫌われている校閲室のSさんと、廊下側の一番寒い場所にあてがわれたデスクにいる社会福祉士のKさんが、何か大切な見落としに気がついたように、「あっ」と声を上げたように見えたけれど、それは錯覚だったかもしれない。

ともかく、ブルーグレーの月曜日は、そんなふうにして始まった。

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