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4ツ葉のnote(2017年8月・9月)

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4ツ葉が2017年8月・9月にnoteに投稿した記事のマガジンです。
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変えられない。

どんなに悔やんでも。

どんなに忘れたくても。

どんなになかったことにしたくても。

起きてしまった事実が消えることはない。

後悔しても、反省しかすることは出来ない。

一進一退。

進んだかと思っていたのに。

後退してしまった現実。

駆け引きとかあるんだろうけど、残念。

どぉーして?

そんな疑問ばかりがモヤモヤしてる。

前に向いていれば。

3歩進んで、2歩下がってもイイと思います。

下がったあと、その場で立ち止まってもイイと思います。

立ち止まって、しゃがみこんでもイイと思います。

前に向いていれば、進んでいても、立ち止っていても、しゃがんでいても・・・イイと思います。

後ろ向きでないのだから、沢山の光り輝く未来がありますよね?

私は、そのように思います。

ありすぎて。

「あれが駄目だったのかな?」

「あれがヤバかったのかな?」

「あれがNGだったのかな?」

もぉ、思い当たるところがありすぎて困ります。

小さなズレでも。

少しでも。

小さなことでも。

価値観のズレ。

認識のズレ。

やがては大惨事になりうるズレ。

初めのうちに修正しておかないと、あとで大変なことになるかもよ?

目に見えないけれど。

時間とか、空気とか、音とか。

目には見えないけれど、確かに存在して。

目には見えないけれど、それらに縛られて。

目には見えないけれど、四苦八苦している。

目に見えるものだけが、全てじゃない。

身体のことだから。

なにをするにしても、人間は生きて行けば身体が資本なんです。

だから、自分の身体を大切にすることって、遠回しに言えば自分の人生を大切にすることだと思うのです。

無理が出来るときもあるし、無理が出来ないときだってあるんです。

それこそ、自分の身体に耳を傾けて、今は無理が出来るときなのか、無理が出来ないときなのかを判断しなきゃいけません。

誰だって、慢性的な無理は身体に負担をかけます。

生きて

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眠れる。

自分の準備が整って眠れる。

周囲の環境が準備出来て眠れる。

どちらとも揃って、初めて眠れるのです。

眠れるって凄いことなのです。

出来ること。

私は平々凡々な人間だと思います。

何処にでもいる人間だと思います。

だから、多分、特別なことは出来ません。

でも、平々凡々だから出来ることもあるのではないでしょうか?

毎日は出来なくても、ときどきなら・・・。

そんな、平々凡々な私にでも出来ることをして行こうと思います。

誰かの、なにか。

私が生きていることが、誰かの、なにかになるときもあります。

私が生きていることが、誰かの、なにかにならないときもあります。

でも、たぶん、良くも悪くも、誰かの、なにかになる場合の方が多いと思うのです。

少しでも、良い方の、誰かの、なにかになりますように・・・。

気分。

よく考えてない訳ではないのです。

色々、思うことはあります。

でも「思い立ったが吉日」と言う言葉があるように、ときには気分で行動してみるのもアリだと思うのです。

念入りな計画も素晴らしいのですが、気の向くままに行動してみるのも素敵だと思います。

ときには念入りな計画で、ときには気分に任せて、そんなメリハリがあってもイイのではないでしょうか?

亀裂。

最初は極々小さな、微細な亀裂でした。

でも、ときが経つにつれて、雨や風が隙間を侵食していきました。

微細な亀裂は、やがて誰の目にも分かる亀裂になりました。

それでも、修復されなかった亀裂はどんどん大きくなりました。

そして、その亀裂は轟音とともに周囲を飲み込んで崩れてしまいました。

なんでも、気付いたときに修復しなければ、壊れてしまうのです。

気付きが早ければ早いほど良いのです。

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究極論。

もしかしたらの話。

この世界は、どんなに歩み寄ろうとしても、寄り添うことしか出来なくて。

突き詰めた話、それぞれの自己満足で成り立っているのかも知れない。

想像するしかない。

どんな境遇も。

どんな状況も。

体験していない私は、想像するしかない。

想像しか出来ない。

その想像が、ためになるときもあれば、仇になるときもある。

だから、確認という作業が必要になる。

想像したら、想像しっぱなしではいけないのだ。