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あなたの知らない千と千尋 第5回「神隠しの謎(その2)」


神隠し。人がある日忽然と姿を消してしまうことを神隠しという。現代でも理由も分からず唐突に失踪した事件が起こると神隠しと言われる。

はるか縄文の時代から信じられてきた神の存在。人が行方不明になる原因を神の仕業と考え、神隠しと呼んだ。子どもが神隠しに遭うと、村中総出で太鼓や鐘を鳴らして、大きな声で山に向かって子どもの名を呼び「返せ・戻せ」と叫んだ。これは「魂呼び」(たまよび)といい、死の直後に死者の名前を呼び、魂を呼び戻すことによって蘇らせる風習である。

神隠しは、神経質だったり精神的に不安定な子どもや女性が遭いやすいと言われている。

この映画でも、親の都合で不本意に転校することになった不満と、新しい生活への不安で一杯な千尋と、裕福さだけが自分のアイデンティテイを守る唯一の方法だと思っている母の二人は精神的に不安定な状況にあることがうかがえる。しかも、この二人の精神状態を全く気にしない無神経な父。この家族そのものが不安定なのである。

そのアンバランスな家族は、引っ越し先の家に向かう道を間違え、神域である参道で車を爆走させる。神域を荒らし、神の怒りを買う原因を作っていく。やがて、両面が顔になっている石像に行く手を阻まれ車を止める。その先にトンネルが登場する。このトンネルこそ、この物語の大きなテーマであり神隠しの核心でもある。

「トンネルのむこうは不思議の町でした」これは、この映画のキャッチコピーである。

トンネルとは、結界である。トンネルを通り他界へ行き、そこで肉体と魂の浄化を行うのである。現在でも山岳信仰の修行場やお寺の本堂下を利用し「胎内くぐり」が行われている。

胎内くぐりは、修験者が山を胎内に見立て、洞窟や岩の割れ目を通り抜けることにより擬死再生を体験する修行である。仏教の場合は、仏像の体内(または本堂)をくぐることにより再生と恩恵を受けることができると考えた。
さらに、心理学ではトンネル・ビジョンという精神的状況を示す言葉がある。視野の範囲が以上に狭くなり、客観的な視点を失い、ストレスから逃げることも出来なくなってしまう状態のことを言う。これは、トンネルの中にいながら外を覗いて、そこに見える世界だけをすべてだと思い込んでしまう状況のことを示している。トンネルの向こうには、もっと大きな世界があるのに気が付かず、極端に狭い視野しか持てないことから、暴力やうつ、自暴自棄の原因になる。

まさしく千尋はこの状態である。十歳の千尋にとって、世界は学校であり家族である。その学校という大きな世界が、親の一方的な都合により失われた。車の中で自暴自棄になっていた千尋は、友人との別れだけではなく、自分の存在する世界の消失を味わっていたのである。そんなことには気が付かない父と母は、何かに呼ばれるようにトンネルに入っていく。千尋は本能的に嫌悪感を示す。「ここいやだ、戻ろうお父さん」と父の手を引っ張る。宮崎駿の絵コンテでは、この場面で千尋の心の声が書き込まれている。「大人たちが運命を決めようとしている」

学校という世界を失った千尋にとって、この世に存在する世界は家族だけになった。その父母が、今、目の前から消えていこうとしている。トンネルに入ることを拒否した千尋は父の腕を引っ張る。「いやだ!わたし行かないよ」千尋は大きく叫び、車のところまで駆け戻る。千尋と父母の間に距離ができる。遠くはないのに縮まらない距離。もう一度「わたし行かない」と、はっきり意思を伝える千尋。両親が自分の所に戻ってくれることに賭けた。しかし、父はトンネルに興味を示し、妻と一緒に中に入っていこうとする。千尋は賭けに負けた。学校という世界を失い、今、家族という世界を失った。

トンネルの外に残された千尋に向かって母は「千尋は車の中で待ってなさい」と声をける。絵コンテには「お母さんに裏切られた」と、ここでも千尋の心の声が書かれてある。それでも千尋は地団太を踏み「おかあさーん」と大きく叫ぶ。最後の手段「魂呼び」である。しかし、それでも父も母も戻ってこない。トンネルの暗闇の中に消えていこうとする父と母。千尋は、ぎりぎりまで我慢しながらも、ついに両親のもとに向かってトンネルに入っていく。父と母があの世(異界)に行ってしまう。それを黙って見送ることは、千尋にはできなかった。学校という世界を失った千尋には、家族という世界を取り戻すしか自分の存在する世界はないのである。その家族さえ距離が遠い。それはトンネルの中での三人の歩くテンポの違いが示している。みんなバラバラでお互いを思いやっていない。すぐ隣にいるのに、家族の関係は悲しいほどに遠い。

そうしてアンバランスな親子は異界へと足を踏み入れていく。この時、父の腕時計は午前十時を示している。

続きはまた次回。

to be continued
大乗山 経王寺「ハスノカホリ no.52」より
 


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