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FOOTPRINTS (フットプリント、足跡)神との対話 ② 火事で死んだ男と神との対話

有名な本の神との対話とは全く関係ありません。FOOTPRINTS (フットプリント、足跡)という神との対話のような詩がステキでその詩について思った事を好き勝手に書きました。
そしてその続きです。

FOOTPRINTSの詩から、その詩によく似た話を思い出した。
よく覚えていないのですが、確か桜美林だったかなぁ?どこかの大学で聞いた話だった気がする。誰だったかは、わからないが面白かったのでよく覚えている。

神を盲目的に信じていた男と神との対話。

ある男が火事で死んだ

そして男は神に向かって
「私は今まで、あなたを心から信じてきたのに、火事の時、あなたは私を助けてはくれなかった。こんなにあなたを信じてきたのになぜ、私を助けてくれなかったのですか?」
と、嘆いた。

すると、神は答えた

「私は、何度もあなたの前に現れて、手を差し伸べた、同僚の姿になり、逃げようと声をかけ、手を差し伸べ、消防士となって逃げて下さいと、手を差し伸べた、しかし、あなたは、私の事は神がお救いになるので大丈夫だと言った。私の声に耳をかたむけず、私の手を振り払い、私を拒否したのはあなたではないですか」と。

かなり昔に聞いた話でしたが、メモしてたので覚えていた。

ホメオパシーをやっていると、いろんな病気の方に遭います。その中で複雑な病のほとんどが複雑な家庭環境、家族関係、人間関係が関係している事が多く、限界を感じた。
だからホメオパシーや栄養学だけでは解決できない問題は、知人を紹介する事がしばしばある。

霊的問題は、とある友人、子育てや赤ちゃんの問題には助産師、障害者の就労や問題行動やには、知人の尊敬する施設理事たちや行政が絡むことなどには、動きの早い市議や県議、時には弁護士、警察など、私が尊敬し、ご縁頂き、お世話になっている方々です。

そんな方々を紹介して、困難な問題が解決に導けていけた事や、救われた命もある。そんな事を思うと、この人たちの手こそ、本当に神の手だ!といつも思うのです。 

ただ、その紹介のうち、熱心に耳を傾け、動いたのは数名です。その時、結果が出て良かったと喜んでいた人でさえも、ほとんどの方がその手を振り解き、問題には目を向けないで、スピリチュアルや宗教に走り、依存する人も多いです。
現実に向き合うのは時に痛みを伴います。つらいです。そんな時、その人にとっての居心地の良い言葉にいっ時の安堵感を得て、スピリチュアルやクスリ、信仰宗教、幸福グッズに問題は解決を求め、お金を使う家族もたくさん見てきました。

現実に身体の変化が起こっても、心の問題が解決していないから、優しい言葉に、甘い蜜の依存して変われない、そのくらい、問題に向き合う事はつらい。だから自分の身体と心と向き合わない病院進行や病院のクスリの薬物依存は精神的に楽なのだと思った。

そして、医者や、カウンセラーや宗教にも見放された時、最悪な状態になってまた戻ってきて、嘆きます。
信じてきたのに裏切られたと。

でも信じたのは自分ですから…

もうそこまで来ると、どうにもできないと落胆することもしばしば…

その時、私は、いつも思うのです。
ああ…せっかく差し出された神(人)の手も自ら振り解いてしまったのだなぁ…と。

でも、人の手を借りながらも、問題を見つめ自分で病気を克服し、しあわせになった人たちの姿を見ると、ご縁がつながりよかったと思うのです。

私の紹介する方々は、皆さん多忙で、私ですら、なかなか会えないばかりか、電話すらつながらない事が多い方ばかりなのですが、なぜか不思議と、切羽詰まった時にご紹介する時は、つながったり、その日のその時間だけが会えたり、偶然、そこに現れたりと、不思議な現象がおこり、神がかり的で、私は驚きます。
それこそスピリチュアルな世界で神さまとつながりを感じてならないのです。

なのですが、クライアントさんには、それはわかりません。相手がどれだけ多忙で会う時間を作る事が大変か。

だからそこにスピリチュアル性など感じないし、神がかり的だ!なんて感じる事はまずない。

でも、本当に心から求めていた人にはそれがわかるのだと思います。
その偶然に涙を流したり、すごいと出逢いに感謝したりします。もう、この時点で違うのかもしれません。

愛犬の病気を通じてホメオパシーや栄養学を学び、病気を克服して、こんなに素晴らしい療法に出逢えた!と当初は、喜びでいっぱいでした。
特に動物や赤ちゃんはわかりやすいし、ホメオパシーが早く、よく効くので、目の当たりに結果が出て、感動しまくって、魔法の療法手に入れたとばかり思っていました。

ロックフェラーもエリザベス女王もマハトマガンジーもマザーテレサもやっていた世界でも認められている、こんなに良い療法やらないなんて、なんてもったいないんだ!と、
でも、それだけでは、病気が治らないケースも多くなって、限界を感じ始めた。

私もね、かなり勉強したし、努力もし、余命宣告受けてた愛犬は元気になり、難病で大学病気に入院してた甥っ子も元気になり、すごい療法見つけてしまったと、人生を1人で歩いている気になっていた。
そうすると、良い時は努力すればなんとかなるなんて前向きになれて良いが、うまくいかないと、無力感に襲われて、孤独な気持ちになる。

それを助けてくれたのは、愛犬はもちろん、両親と妹がいたから。

警察を巻き込むような事件や犯罪の手前になるようなドラマのような出来事もあったり、
人生の中でつらく、悲しかった時を思い出してみた、そこにはいくつもの見えない足跡と背中を押す手と差し伸べられた手があった。

さまざまな病気と家庭を見て、自分が大きく支えられてきた事がわかった。
振り返ると1組のしかないと思っていた足跡は1つではなく、共に歩く、愛犬、家族や知人などの無数の足跡があった。

それが見えた事がしあわせなんだ。
それが見えると、今まで、自分が困難な時の不幸ばかりを数えてきていた事に気付きました。
足跡や差し伸べられたしあわせの手が見えなくて、しあわせを数えてなかった。

人にはこの人は何で、不幸ばかり数えて、しあわせを数えないで、しあわせな道を行かず、わざわざ不幸な道を選んで行くんだろう?と思っていながら、それは自分だった事にも気づいた。  

親の言われたエリートコースを進んできて、途中で壊れて病気になり、相談に来る方も多い。

どんな道でも自分の道なら大丈夫。
自分の体で人の選んだ道を進まなければ。
人の選んだ道は、楽な道のようで実は険しいし、厳しいし、行き先が見えないから不安だし、獣道のように思った。

自分の道は進むのに考えて模索するし自分の責任が伴うけど、人が進めた道は、安全な保証もなければ責任もない。ぐいぐいと親が進めた道を努力して無理もして進み、予想外の事故に遭い、対処を考える力もなく、何もできず、迷子になって、病院に行ったが、ますます迷子になっているような感じの人が実に多いと思った。行き先もわからないし、どこへ行きたいのかもわからない、自分自身を見失っている。
迷子のような苦しみもたくさん見た。
神の手のように信じてきて、引っ張られてきた手は、救いの手ではなかった、共に歩いて来たと思っていた足跡は、振り返れば1人だったのかもしれない。

引っ張っている手を信じ、共に歩んでいる足跡が見えず、知らず知らずに差し伸べられた手を払い除け、共に歩み背負ってくれた背中から降りてしまったのかなぁと。

神は愛犬で家族でもあり、自分自身の魂であった。

親や教師や先生や教祖からは学ぶ事は大事だけど、その人達のエゴを取り入れて自分にしてはいけないと思った。

それ本当に自分が望んでるの?と、
自分自身の心と対話し、本当の内なる心の声を聞き、本当の自分を取り戻し、自分自身の道を行く。

赤ちゃんが産まれた時、記念に足跡や手型をとる人がいる。成長を感じるのに目で見える良い記念だと思った。この小さな足や手は、両親や多くの人に支えられ、大きく成長し、また、他の人を支える足跡と手になるように心から願いたい。

私の神は、どんな道にも付き合ってくれた。

人を見て思う、私も数々の愛で差し伸べられた神の手を振り解いてきてはいないか?

すると行き先が見えてきた、先は明るい未来と自分自身の望むしあわせが。

そして、それを共に歩く足跡とその背中を押す存在を感じた。
私が前に進めると自信も持てた。
1人だけど、1人ではなかった。

私は不器用で人にもクライアントさんにも優しい言葉とか、喜ぶ言葉はかけられない。でも、自分なりのしあわせの為に誠実でありたいと思う。無責任な相手が喜ぶ都合の良い言葉をかけて、依存させるような事はお金になってもしたくない。
問題解決より、都合の良い、居心地の良い言葉に依存させて、現実の問題に目を向けず問題をますます大きくし、現実逃避に走る姿をたくさん見たから、それはいっ時のしあわせであっても、これから先に続く未来のしあわせではないと思うから。

生きているこの世で、病気を通じて家庭の中で天国と地獄を、さまざまなご家族と病気から見せていただきました。天国も地獄もこの世界にある。

さまざまな、家庭で、さまざまなな宗教と信仰も知りました。

宗教もその方、そのご家族次第で救いにもなれば、地獄にもなる。

そんな方々を通じて、全くスピリチュアルではない私は、いつも自然の中に、動物の中に、人の中に神を見せてもらえる、しあわせを感じている。

これからも私は人の中に神性を感じ、受け取り感謝し成長し、私も誰かの支えとなり進化(神化)し続けていきたいと思う。

私を支えてくれた方々に
感謝♾合唱

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