ライフコーチ

以前海外で暮らしていた頃、日本語が恋しくなっても和書を入手するには割高な上に日本で発売されたあとに入ってくるため少しタイムラグがあって満足な読書環境とは言えなかった。それに、場合によってはその国の検閲が入り、広告表現などがNGゆえにページが破られた状態っていうのもざらにあった。

という事情もあり、安価でどこの本屋でも手に入る英語の書物を読むことが多かった。それに洋書はペーパーバッグが主流で重量が軽いため持ち運びも苦にならないからよく買って読んでいた。

そこでライフコーチという職業の人が海外にはいるらしいということを知った。当時の私はマネジメント職にいて、プレイングを兼ねていたため忙殺されていて自分の人生を自分でコントロールできていないことが不満だったし、いつもイライラしていた。管理職になるとメンター的な人はいなくなり孤独との戦いとなっていき、自分でどうにかするしかないともがきつづけていた。

書物に助けを求めようとしても、当時の和書には働く女性のあれこれを書いた本は当時まだそんなになく、しかも私が欲している女性像や欲している回答を見つけることができなかった。俗にいう、ロールモデル不在ってやつ。まぁロールモデルなんてなくていいんだ、自分がなりたいようになればいいんだって後になって気づくんですけどね。色んな人からエッセンスを抽出し、それを総合して自分が望むモデルに自分がなればいいんだ。

洋書棚を本屋さんで見ていると、これだよこれっていうタイトルの本がずらり。そして読み進めていくと、「こう言って欲しかったの」という金言のオンパレードだった。だから当時はそういう本をたくさん買って読んでは、書かれている言葉をクリッピングし、目に焼き付け自分を鼓舞してなんとか毎日サバイブしていた。しかもそういうクリッピングしたい言葉はピンタレストにもたくさんあって、スマホの待受にしたりして、脳に刷り込ませてむやみに落ち込まないようにしていた。

今でも思うけど、言語が日本語ではなく英語だったから、”より”エンパワーメントしてくれていたと思う。不思議なもので翻訳してしまうとなんだかメッセージの持つパワーが目減りしてしまう気がする。日本語はあいまいな言語で、読み手にゆだねているせいか明確に言語化している印象はあまりなく、英語は書き手や発する側に説明責任があり、ダイレクトで日本語よりも響いてくる感じがするからだ。

ライフコーチ的な洋書を読み漁ることで少しずつ自信を取り戻すとともに、悩んでいるのは私だけじゃないし、こういうことは人生で誰にも起こることで、先進国のアメリカの女性でさえ未だにこういうことで悩んでいるんだ!っていうファクトを知れたのは少し安心し、自己肯定力を取り戻していくきっかけとなった。

昨日久々に読みかえしていたところ、当時の少し苦い出来事を思い出しつつやっぱり何度読んでも自分にサプリメントのように元気をくれた。

最近は日本でもビジネス・コーチング、ライフコーチとちょっとずつコーチングが話題になってきてうれしい。さすがに、その国の社会や文化や言語、宗教などその国にあったコーチングがあるべきだと思うので、特に日本のような自分の頭で考える、自分の言葉で発信するという訓練を子どもの頃から受けてきていない背景にマッチする、アジャストしたコーチングを期待したい。



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うれしい♡
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くま

生まれ変わり中。少しずつミニマリストに移行中。
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