見出し画像

正しいあなたが好きだったのに

あなたの大切な人は、どんな所が素敵?
彼/彼女のどんな部分を愛してる?

家族でも友達でも恋人でも、この人ここが素敵だなと感じる部分があるからこそ、人と人は尊敬しあって大切にし合えることができるんだと思う。
自分に無い要素を持っているから惹かれたり、自分と通ずるものがあるから分かり合えたり。

じゃあ、その素敵だと感じていた部分が実はそうではなかった時に、それでもその人を受け入れられるのかな?
誰にでも優しいと思っていた彼が、裏垢で愚痴三昧だったりとか…(あまりいい例が思い浮かばなくてこんな例え笑)
素敵(だと思っていた)な部分を持ってない彼/彼女でも大切にし続けるにはどうしたらいいんだろうと考えた話。


私の同居人はとても正しい人。ここでの正しいとは、異性交友に関して誠実であるという意味。
そう思う理由はひとえに、長い付き合いの中で私と性的な関係にならなかったから。私たちは2人で飲みに行ったり、終電を逃してお互いの家に泊まったことも何度もあったけど、彼は絶対に同じベッドで寝ようとしなかった。もちろん、触れられなかったし、セックスもしなかった。彼のそういう部分がとても好きで、彼を人間的に愛す軸となっていた部分だった。

そして彼は元カノに浮気されて別れること数回。浮気される悲しみを知っている彼は、きっと恋人に対して誠実なんだろうなって思ってた。勝手に。

ところが今
彼には彼女がいる。
そして彼は私と同居している。セックスもしている。

彼が私とのセックスに及んだことを嘆いているわけではない。
彼女がいる(できた)にも関わらず、私との同居・セックスを続けていることが問題なの。

私たちの同居生活が成り立っているのは、お互いに恋人がいないことが前提だと思っていたのに。彼に彼女がいることがわかった時に一番に思ったことは、「彼女のことなんで言ってくれないの」でもなく「この同居が終わっちゃうかもしれなくて悲しい」でもなく
「あなたは正しい人ではなかったんだ」

一緒に住んでる女がいて体の関係もあることを彼女は知っているの?(知ってるわけないよね)彼女の立場になって考えたりしないのかな。過去に元カノにされて悲しんだことと同じこと(もしくはそれ以上のこと)をあなたは今しているんだよ。彼女に対する裏切りだよ。あなたが恋人に対して誠実じゃないなんて考えたことなかった。

正しいあなたが好きだったのに。
そんな人はそもそもいなかったのかも。


そんな時に思い出したのは
映画「星の子」の舞台挨拶で、「信じる」ことについて聞かれた時の芦田愛菜ちゃんの言葉

「その人のことを信じようと思います」っていう言葉って結構使うと思うんですけど、「それがどういう意味なんだろう」って考えた時に、その人自身を信じているのではなくて、「自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな」と感じて。
だからこそ人は「裏切られた」とか、「期待していたのに」とか言うけれど、別にそれはその人が裏切ったとかいうわけではなくて、「その人の見えなかった部分が見えただけ」であって、その見えなかった部分が見えたときに「それもその人なんだ」と受け止められる、揺るがない自分がいるというのが信じられることなのかなって思ったんですけど。
でも、その揺るがない自分の軸を持つのはすごく難しいじゃないですか。だからこそ人は「信じる」って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりに縋りたいんじゃ無いかと思いました。

芦田愛菜

この言葉を芦田愛菜ちゃんが言った直後に聞いた時は、「なんて大人なんだろう、言語化する力が高いな、確かにそうかも」みたいな漠然とした理解しかしてなかったけど、今になってすごくわかる。

長い時間かけて彼の中に(勝手に私が)積み上げていた「正しさ」はもうどこかへ行って帰ってこないし、それがなくなった穴は簡単には埋められない。私が信じていたあの時の彼を取り戻すことはもうできないのだと絶望しかけていたけれど、芦田愛菜ちゃんの言葉のおかげで、私はもう一度彼を愛すことができるかも。

「正しい彼」を勝手に私が作り上げていただけ。彼の新しい部分が見えただけ。
それを受け止められなかった自分がいただけ。


皆さんは、大切な人の素敵な部分が失われてもなお愛し続けることができますか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?