見出し画像

新妻現る

娘の入籍の2ヶ月後、私を育ててくれた伯母が亡くなり、その折のあれこれが済んだ頃、娘がふらりと来た。

のんびりした顔で、元気そうである。

少し前に、娘への結婚祝いを従姉から預かっていたが、コロナがさっぱり終息しないので、先月はじめに出かけた時に持参した。

しかし生憎娘は超多忙で会えなかった。
それを受け取りがてら暇つぶしに来たようだ。

「Sさん(娘のムコ殿)は?」
「昨日から明日まで出張」

なるほど。彼は忙しい営業マンで、休みは平日である。
娘は土日祝祭日が休みなので、一人マンションにいるのもつまらないし、暖かくなったので出てくる気になったようだ。

「お墓参りに行く?」
と聞くと
「ここで拝むからいい」

そして納骨はまだなので、暫定的に祭壇としている棚の遺影と骨箱に向かって

「あらー、ばあちゃん!! こんなになっちゃって。でもこうしてここにいるのが寂しくなくて一番いいんじゃない?」

なんて言っている。

ウちに仏壇は無いのだ。私は親がやっていた宗教には属していない。
色々と決めごとが複雑で、本来ならば本家の墓に入るはずなのだが、他宗なので生前父がとても嫌がっていた。

父の闘病中、伯母があっという間に市の墓地公園に申し込み、オロオロするだけの母に
「その時になって慌てても、アンタは何もできないでしょ!!」と実にキッパリと先導していた。

母としては世間知らずで病弱で、姉である伯母にはさんざん世話になって来たから異論などなかった。
確かに、生きているうちに嫌でも避けて通ってはならない、避けると必ず後々もっと面倒になる物事が多いのは死に絡むアレコレである。

まあそれはどうでもいい。そのうち書くかもしれないし。

私は確かに伯母の死を看取り、確かに送り、確かに始末もつけたが、もう遠い昔のような気持ちである。

何かを嘆き悲しみ、遺影に話しかけることもしない。
日々伯母が心に生きているのを、強く感じるし、毎晩夢にも出てくる。
娘も同様のようで、その点話が合うのだ。


昼過ぎに来るというので、娘が来てから昼食にした。
あれやこれやと近況報告したが、娘が
「この間、凄く良いテーブルを買った」
と言う。
なんでも1960年代のマッキントッシュ製で、チーク材で、塗装がどうたらでナンタラだとどうのこうの・・・。

私は呆然とした。

夫は自分で材を伐り出してアレコレ拵えるし、細かい加工、塗装などが得意分野で、二人でああだこうだと話が弾んでいる。材についてはチークと聞き
「それで正解。当時、オークは日本のあちこちで伐採されてヨーロッパに輸出していたから、それで作ったのだと、逆輸入みたいになってしまうから、Mちゃんが選んだのが本物さ」
なんて言っている。

娘がその
「素敵な丸テーブル」
の写真を拡大して見せながら、
「普通のテーブルってこういうところは釘で・・・でも、これは釘使ってなくて・・・」
とキイキイと言う。
「しかもエクステンションテーブルだから、広げることが出来るんだ」

     

私は写真を見ながら
「確かにコレは良いもののようだ」
と思う。

「塗装はナンタラだけど、それだと水に少し弱くて、だからナンタラのナンタラで・・・」

(やっぱり付いていけない私)

夫はそれにもまた説明をしていて、ちゃんとちゃんとの品物というのを聞いた娘は、実に嬉しそうである。
「こういうのわかる人がいて、助かります♪」

話についていけない母親は下世話な事を言ってしまう。
「そんなに良いものなら高かったんじゃないの?」

娘はオークションで落としたと言う。

「オークション!! アンタがオークションで落とすなんて!!」
「うん、本来は絶対にしない。実物見て、悩んで尚買わないけど、今回は・・・」

恐る恐る聞く。

「高かったでしょ?」
「うん、まぁ本来なら躊躇う額だけどオークションだから半値くらいで買えた」

夫はオークション歴が長いので
「良い買い物したと思うよ」
と頷いている。

「椅子付いてるの?」
「椅子は椅子で、別に買ったよ」

なんでも、それもナントカのナンタラで
「良いもの」
なんだってさ。

思えば娘は、家具や雑貨が好きで、
「見て歩くだけで夢が広がって楽しい」
なんてよく言っていて、何度も付き合わされた。見るだけではしょうがないと思うのだが、そんな母を無視して
「いつか自分で買うんだ♪」
と機嫌が良いのだった。

「良いなぁ、と思うとやっぱり高いんだよね。でも安物を買うよりずっといいよ、一生ものだし」
なんて言っていたのだ。

今回は
「あ、皆さんからご祝儀いただいたからそれで買った」
だそうで、自分の懐が痛むわけでもないのにホッとした貧乏性の私である。

「この辺に家具屋無いの?」
「なんでこんな田舎に来てそんなこと言うのよ。全国チェーンの〇ト〇しかないよ」
「あー、そういえば4号沿いに何かあったな」

そこは北欧家具を輸入している店だが私には用がないので、行ったことも無い。

スマホで調べてHPを見ていた娘、
「うーん、なんかちょっと違うな」

そう言いながら
「取りあえずどっか行こうよ」
「どっかってどこよ」
「ぶらぶらドライブ」

何も決めないで出かけ、結局〇ト〇と、ホームセンターをぶらつく。
家具屋では
「ベッドが欲しいんだけど、マットレスは・・・」
とあれこれ見ている。かと思うと
「朝、洗面所利用が被るから、リビングの壁に小物も置ける小さなミラーキャビネットを作りたい」
などと言って鏡を見て回る。

鏡もいろいろで
「ほら、妙に細く見える鏡もある。騙されちゃだめだよ」
なんて私に言うのだ。

「Sさんは何かこだわりは無いの?」
「無いよ、好きにさせてくれるよ。私もあれこれ無駄に買い込まないし、むしろ買わないからこの前いい冷蔵庫買ってくれた」

昔は結婚といえば、あらかじめドーンと婚礼家具(いちいち重たくて引っ越しの時など本当に大変なのばかり)を親が揃え、それをわざわざ親戚にお披露目などしていた田舎である。

それはありがたいことではあるのだが、若いカップルが二人で少しずつ好きなものを揃え、整えていくのは楽しいだろうし、必要なものというのは意外シンプルなものである。

娘と歩き回り、彼女の様子を見るにつけ子供の頃とさっぱり変わっていないことがわかる。
「タオル…」
と言いながら品定めしているウチに、陳列棚のプレートを落として慌てている。慌てるから今度は拾おうとしてプレートを蹴飛ばしてしまい、私は他人のふりをして離れる。

「アンタってさ…」
皆まで言わせず
「なんか自分でも、どこか抜けてるんじゃないかと思うのよ、この年になっても」

自覚はあるようだ。が、私がそれに対して違和感を覚えないのは、誰あろう、私自身も同じだからである。結局何も買わず、帰りながら
「夕飯何食べたい?」
と聞くも
「何でも良いよ」
「から揚げ大量に作ろうか?」
そう言うと、
「から揚げは最近体得したから、いい」

なんですと?

聞きづてならない!

娘は子供の頃からこの母の唐揚げが大好きで、この間まで、私のから揚げを食べたくてやって来て、毎回たらふく食べていたのに、何があったのか!

「から揚げと、天ぷらはどうしてもこういう風に揚がらないし、こういう味にならない」
と言いながら、嬉しそうに食べていたのに。そして母親の私は、
「いつでも食べにおいで」
と、張り合いになっていたのに。

「じゃあ夕飯は、ハンバーグ作るから、あとは行者ニンニクと卵のスープだよ」
と言うと頷きながら
「ならポテサラでも作ってあげる」
と、私をスーパーに引っ張って行き、アレコレ買う。

帰宅して二人で台所に立つと狭苦しい。
私は台所の動線に人が入るのが嫌なのだが、娘は猫たちに話しかけながら、「カリカリベーコン」
を作り始める。
「ポテサラは黒胡椒効かせて」
なんて言っている。

ジャガイモは北海道から昨秋送られてきて残っていた最後の6個で、芽が出ているのもあり、大きく剥いてカットして一度水にくぐしてからレンジにかける。
ああだこうだと騒がしい台所であるが、向こうで夫が笑い出した。
「二人の話し方、オンナジだ!!!」
「何が、どこが」
「猫に話しかけるのも、ああだこうだ言うのも、トーンもオンナジ」

娘は
「えー、ヤダー」
なんて言う。

言いながらもガハガハ笑いながら、キュウリ刻んでサラダ用とし、残った分で、
「これね、こうして薄く切って塩かけて、少ししたら水が出てくるから水を切って、ごま油と一味とうがらし・・・一味ある?」
「あるよ」
と差し出すと、

「そうそう七味じゃなくて一味。これかけて和えるとナムルもどきで美味しいよ」
と指南する。

「キュウリ漬けるより手早いし、キュウリって日持ちしないけどけっこう半端に残るでしょ、そういう時はこれが良いよ」

どっちが親かわからぬ。

いつも通りガヤガヤと食事が始まる。娘がドカンと作ったポテサラが一番主張している。


      

従姉から預かっていたお祝いを渡し、
「今ならいると思うから、まずはお礼の電話しなさいよ」
と言うと
「うん」

脇で聞いていると、別人28号になって話している。

「御無沙汰しております。その節はお世話になりました。あ、はい、今日はぶらっと遊びに来たんです。お祝いいただきました、ありがとうございました・・・」

声のトーンが全く違い、私は夫と目を合わせながら驚愕している。

「人はここまで猫を被ることが出来るのか」
という気持ちである。

電話を終えて、元に戻ると更に驚愕する。

「・・・アンタさ」
皆まで言わせず
「みんなそうでしょ、そもそもそっちが別人になってたじゃん、仕事の時なんかホントに別人だったよねー」
ガハハーと母を笑いながら、
「別腹別腹」
持参してきたケーキをたいらげ、夜半まで過ごし
「今日は泊りなさいよ」
と言うのに
「いや、帰る」

娘は、自分たちの家へ帰って行ったのであった。

彼女が来るたびに、なんか負けたような気になるのだが、料理指南までされる日がくるとは・・・しかも、あれほど好きだった
「母のから揚げ」
を体得したとは、私はあと何で君臨したらいいのだろうか。

人生とは、時間の経過とは・・・アレコレ思いながら、ベッドに入ってなぜか爆笑する私であった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?