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娘の結婚まで・・・余波 久々の発熱3  (助けてくれぇ・・・)

インフルエンザは、ん? なんか体調が・・・と感じるが早いか、あっという間に節々が痛み、体がだるく重く、ぞくぞくと寒気がし、熱を測るととりあえず微熱。で、もう少しして測るといきなり38度を超えてあとは上がるに任せるという状況に陥る。

仕事中であっても、欲も得もなく
「早く横になりたい」
と思うものだ。

大体が、周囲でも流行っている時期にあたっていたりするから
「自分にも来た」
とがっかりする。
私がいた職場では、近年は
「家族が発病しても最低3日は自宅待機」
となった。

しかしまた、インフルに効く薬が次々開発され、昔であればインフルには効きもしない薬を飲んで、じっと耐えつつ、一週間は床の中という生活が、今は効きが早ければ
「飲んで寝て起きたらなんか昨日とは違い、楽になった」
というありがたさである。

インフルに限らず、高熱の時、昔はとにかく重い布団を次々と掛けられ、
「汗をかけー、とにかく汗かかねば治らないー」

頭には氷枕、首から下は重くて身動きもままならない布団。
当時水分はこまめに摂っていたかの記憶もない。
幼少期でもあり、言う事を聞いてただただ我慢して5日間くらいは過ごした気がする。

さてこのときの熱だが、当初テンションが上がり、
「エクソシスト」
に絡めて人を煙に巻いていたが、翌日からはテンションが急降下した。起きても寝ても、身の置き所がない。汗はかかないし、その代わり水分を摂ると、すぐトイレに行きたくなる。

睡魔というものが全く訪れず、熱は38.8度から38.4度の間が続く。唸る気はないのだが、声がヘンなので、息を吐いたときに
「うー」
となり、ささみが脇から覗き込み、私の唸りに目を覚ました夫が私を揺り起こすのだが、私は眠ってはいないのだった。

前日までのハイテンションから一転、長い長い夜で、楽しいことが一つも頭に浮かばず、じっと耐えるしかないのだった。
それでも5月は夜明けが早い。午前3時30分には、カラスが鳴いた。
夜明けの気配が次々現れる。目を閉じていても、外が明るくなっていくのが分かる。
夜明けというのは、この状況が少しずつ変わるという希望が持てる時間帯である。

熱は下がらぬが、寝腐って腰が痛いので起き出した。水分を摂り、トイレに行って、ちょっと何か食べ薬を飲んで、やっぱりしんどいからベッド・・・を繰り返した。

一日過ごして夜になると咳が酷くなってきた。横になるとさらに酷い。
肋骨や胃に響く。疲れることこの上ない。

そんな混乱の中、ささみは私がベッドにいる限り、私の右に寄り添い、片時も離れることがなかった。

「ささみが、俺をじっと見て
『なんとかしろ』って訴えるんだ」

夫が言っていたから、間違いない。

癒し猫 ささみ

チビスケにしても、いつもは私の体の上に乗って寝るのに、一切それはしないで、足元の方にちんまりと丸くなっていた。

結局、検査の結果インフルではなく
「気管支炎」
「肝機能障害」
「甲状腺機能亢進」
と言われた。

全摘した甲状腺のホルモンを補う薬が多いのだという。道理で無駄な動きが多くなり、テンションが高くなるわけだ。

都合4日を熱と咳に魘されて暮らし、当時の記憶があまりない。薬が効いていくらか起きられる時は、何となく気ぜわしい気持ちになり、普段ならまったくやらない、あるるいは急がなくてもいいことに手を付ける。

浴室と洗面所の網戸が劣化していたので、あっという間に貼り替える。
熱と咳で部屋が鬱陶しいので、窓を開け放ち、布団からシーツから枕から何から一気に干し、あるいは洗濯をせっせと行い、気分だけはスッキリして気が緩むと、
げほげほげっほーん、ぜーぜー・・・

助けてくれえぇぇぇ・・・


医者に行けば待たされ、検査だなんだと回され、ヘトヘトとなり帰宅する。

「24日までには治さねば」

と思いつつも、寝入りばなに特にひどくなる咳にイラだち、マスクを二枚重ね、間に玉ねぎスライスを押し込み、口と鼻を覆う。これがテキメンで、
「夕べはすやすや寝ていたな」
と夫がホッとした顔で言うのを見て、改めて
「ああ、妻が、母が、女が倒れるという事は大変なことだ」
と改めて思うのであった。


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