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不倫をする人はサイコパスか

サイコパスとは。

・良心の呵責がない。
・罪悪感を抱かない。
・共感できない。
・虚言癖がある
・無責任
・少年期の問題行動
・乱れた性行動
・浅薄な感情

生まれつきの性質なのだが、ひと言で言うと《他人に対して何も感じない》ということだ。

紛争地帯で泣きわめいている子供の映像を見ても心が動かないし、幸せそうな人を見ても嬉しくはならない。人に興味が無いように見えるが、ちょっと違うのかもしれない。共感性がないので、興味どころか思いやりもないのだ。

サイコパスである本人からしたらフィクションに触れているような感覚なのだろうか。



さて、そのサイコパス。
不倫する人に多いのではないかと思う。

サイコパスは良心が欠落している。
しかし大抵のサイコパスは法律を守っている。

なぜ良心がないのに法律を守るのか?

損得勘定だ。
「これをやったら人が傷付くからやめよう」
ではなく
「これをやると自分が損をするからやめよう」
なのだ。

人の痛みは分からない。
だけど損得は分かる。

他人の感情の動きも認識できる。認識した際に何かを感じるか感じないかの違いなだけだ。他人の感情を共感ではなく理屈で理解して、擬態する。

そして損得で動く。
法律を破った時のペナルティは大きいから。

しかし、これがモラルやマナーなどといった個人の道徳観や、風潮や雰囲気としてはなんとなくあるが、罰は曖昧なものならどうか。

普段、善悪感情ではなく損得勘定で動いている人間の場合、ここで差が出ると僕は思っている。

「人を傷つけるかな…」
大抵の人はここでブレーキがかかるが、サイコパスは
「別に捕まらないしな」
となりブレーキがかからない。

ちなみに怒られることはサイコパスにとってストレスにならない。他人の感情を認識、理解はできるが共感ができないため、「なんか怒ってるな」みたいな感想なのだろう。

僕らで言ったらどんな感覚だろう?
フィクション映画を観ているような感覚だと前述したが、フィクションだと分かっていても感情移入はする。

虫とか動物と接している感覚なのだろうか。

「なんかこのイヌ怒ったな〜」みたいな。

確かに虫に対しては思いやりを持とうとは思わない。家に出れば逃がさないで潰すし、罪悪感も感じない。

だけど《虫を殺したら禁固刑!》などという生類憐みの令のような法律が存在したら、殺さない(※バレないように殺す)だろう。
※(虫に生命センサーが取り付けられていて、殺すと政府が気付くシステムがあると仮定)


表面上では同じだが、内面が違うため、どうしてもどこかのタイミングで行動がズレる。その結果がモラル違反なのだろう。

不倫や浮気は犯罪ではないし、人によってペナルティが違う。そして《どこからが浮気》かも人によって違う。罪も罰も曖昧なのだ。

そうなった時に倫理観が抜け落ちているサイコパスという人間は、頭ひとつ抜けて行動してしまう。

「犯罪じゃねーし」
「え?傷ついた?知らん。別に俺は損しないし」

というのが本心だ。

仮にメディアなどで叩かれても、自分を省みることはしない。「不利なレッテルを貼り付けられたから、この先、女が寄ってこなくなって不倫しにくくなるぞ」
といった感想だろう。

「カブトムシ採取でカブトムシが逃げてしまう」ぐらいの感覚だと思う。

おなじモラル違反でも…

不倫に対して社会的制裁を受けた際、憔悴しきっている人間はサイコパスなのではなく、ハメを外しすぎた結果だったりするのだろうか。
アンジャッシュの渡部氏は

ケロッとしているのは間違いなく何も感じていない。いくら謝罪の言葉を並べても、その人は生粋のサイコパスだ。

「虫がなんか威嚇行動してる」
ぐらいの感じ方だからだ。

杏さんと離婚した東出氏は間違いなく何も感じていない。記者会見でも憔悴した態度ではなく、その後も開き直って映画などに出ているからだ。

どのみち人間の本性が行動に出るのは間違いない。
同じ不倫という倫理違反でも、アンジャッシュ渡部氏は傲慢で天狗になりやすい性格だったのだろう。驕り高ぶっていただけで、周りの人間を虫だとは思っていなかったハズだ。

本当に虫だと認識している?

ある研究において、サイコパス気質の人間に対し、切断された手首といったものを見せても、脳の反応が一定だったとの結果が出ているらしい。

僕らは例えば映画などでタンスに小指をぶつける描写や、格闘技の試合でローブローを食らっている瞬間を見ると、過去にあった経験で痛みに共感し、その部位に記憶の痛みがヒュっと通り過ぎる。

物事を認識して共感しているのだ。切断された手首を見てストレスを感じるのは、手首を切断されると痛そうだからだと思う。

サイコパスは認識で止まる。
「あ〜手首だ〜切れてる〜」
で終わるのだ。共感が欠落しているので、しょうがないといえばしょうがないのだが。

僕らも同じような状態になることはある。

やはり虫か?

いや…虫が潰れていても人間に置き換えて、可哀想だとは思うかもしれない。 

草だろうか

切断された草くらいまで人間から離れると、切られていていることを認識しても、焼かれていることを認識しても、何かを感じることはない。

サイコパスにとっての切断された手首は、僕らにとっての雑草なのだろう。

…虫以下?

サイコパスは鬱にならない?

鬱になる理由

ストレスの大部分は人間関係によるものが大きいと言われている。

僕もそう思う。お釈迦さまの説く人生の苦しみのひとつに、怨憎会苦という嫌いな人と会うことを説いているのだから。

ちなみに僕も鬱を経験している。大体職場にいた間だけなので、適応障害の側面がほとんどだったと思うが。

ちなみに鬱と適応障害の違いは、原因がハッキリしているかどうかだ。僕の場合は職場での不適応…による叱責や陰口、嘲笑や村八分、不平等な扱いによるものだ。

相手の悪意はごもっともだという自覚もある。原因は100%自分にあるのだ。
承認欲求があるから、人に共感してしまうから、辛くなる。

サイコパスはどうか。
怒りという感情を理屈で理解できても、感情では理解できていない。叱責されても、虫が威嚇行動をしているだけだという認識なのだろう。

常識を疑う

常識は人間の主観が作ったものだ。常識だと認識した瞬間から、超自我による力が脳に働き、その通りに動こうとする。これは承認欲求などが大きいと思う。そして承認欲求の根本には、自分を集団で安全な立ち位置に置きたいというものがあると思う。これは危険察知という本能だろう。

サイコパスその危険察知機能が壊れているのではないだろうか。対人関係において他の人の感情が分からないというのは集団行動を送る時、致命的な欠陥になる。

同時にサイコパスは常識を壊す存在でもある。ある意味先入観に囚われていない状態でもあるから。

なのでこちらもその存在を疑わなければならない。
まさかそんな良心がすっぽり抜けた人間が存在するとは、大抵の人間は思わないだろう。

同姓を好きになる人間や、黒色が識別できない人間がいるのだから、他者に共感できない人間がいてもおかしくない。
こちらも人間の当たり前を疑う必要があるということだ。でないととんでもない被害に遭う。

かなりデータのある人物

スティーブ・ジョブズと櫻井孝宏の情報はサイコパスに該当している。

スティーブ・ジョブズ

幼少期は、教室で花火をするという奇行を起こす。

そしてジョブズは、青年期に妊娠させた彼女を捨て、その子どもを認知もしなかった。

そして億万長者になった時には、創業時の際の仲間をあっさり切り捨てた挙句、会社の株を全く与えなかった。


櫻井孝宏

職業は声優だ。
僕はこの人に惹かれていた。

声がいいというのもそうなのだが、生き方に憧れていた。

というのも櫻井孝宏氏は、人の評価を気にしていないなと思っていたからだ。ラジオを聞いていて思った。


学生時代の異常行動

走行中の電車からエロ本を投げ捨て緊急停止させる
小さいが反社会的行動だろう。
下積み時代はコンビニのアルバイトをクビになったとのこと。
具体的な内容は陳列に夢中になっていて、向いていなかったとのこと。店長にブチ切れたらしい。
他にもアルバイトはクビになりまくったらしい。しかし全く気にしていないような口ぶりだった。

そしてアフレコ現場でも、業界の慣例であるお茶汲みにも反発していたとのこと。
先輩は「態度が悪い」と櫻井氏のマネージャーに言い、櫻井氏はよくマネージャーに怒られていたらしい。
それでも自分の姿勢は正さなかったと本人が言っていた。

別のインタビューでは、《現場入りの時間を間違えて、アフレコの時間、家で海外ドラマを観ていた》と答えていた。
僕だったら何年経ってもインタビューのネタにできないくらい落ち込んでいたと思う。

そんな自分の芯がある性質が羨ましくなり、《まだまだボウヤ》というエッセイ集も買った。エッセイ連載と並行したダ・ヴィンチ編集長とのYouTube公開会議も視聴した。

エッセイの内容

期待はエッセイにも反映されていた。
櫻井氏は下積み時代、バイトだけではなく、声優の仕事でもやらかしていた。

主にラジオの仕事で不適切な発言をしていた。

ラジオをはじめた頃なんてヤバすぎてすぐクビになると思ってました。

不適切な発言でゲラゲラ笑ったり、手の込んだドッキリを潰してめちゃくちゃ怒られたりしましたね。
それを聴いた先輩からは「すぐにでも辞めた方がいい」と言われました。

それでも辞めなかったのは、自己分析して2つあります。

ひとつはそういう類の圧があまり気にならない気質であったこと。もうひとつは他人に期待しない性格であったこと。
そういうキャラなのです。

47歳まだまだボウヤ 

※文章は変えてますが、大体内容は同じです。

何かあっても大体「そうなんだ」で済ませちゃいます。

櫻井氏は自身の性格について、エッセイで後天的なものだと語っている。

ある時、学校から帰るとあるはずの場所にあった家が無くなっていたのです。

父親に聞くと、「家を作り替える」とのこと。

他にも兄弟が生まれることを突然知ったり、いつの間にか習い事をさせられる、周りの人に女の子扱いされても母親は突っ込まなかった、というようなサプライズが重なって、ちょっとやそっとのことでは驚かない人間が出来上がったとのこと。

しかし僕は思うのだが、どんな経験をしても、驚きやすい気質の人は驚きやすいままだろうし、何より櫻井氏のエピソードは、人格を後天的に歪ませるくらいのパンチがあるようには思えない。

生まれつき「そうなんだ」で済ませるような人間なのではないかと思う。

編集長からの指摘

エッセイの公開会議の話題で《サプライズが苦手》という話題になった。

その時、櫻井氏は「イベントなどでサプライズされてもどんな顔をしていいか分からない。イベントが終わったあとに、偉い人からリアクションについて怒られたりしてました」と言っていた。

びっくりはしてるんですよ。でもなんかその嬉しいというよりかは恥ずかしいというか。
「ああ…ありがとうございますぅ…」みたいな。
今は「ううううえええええ!?マジで!?」みたいなことはできるようになったんですけど。

RPG外伝 第21回

その話を聞いたダ・ヴィンチ編集長の川戸さんは「サイコパス的なところがあるんですかねえ…」と言っていた。

自分も同感だったし、多分そうなんだと思う。生まれつき《無共感》《無関心》《無感情》《良心の呵責なし》《罪悪感なし》の属性があるんだと思う。


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