「役に立ちたい」は傲慢か

「人の役に立ちたい」というのは傲慢なのかと思いはじめた。

供給過多の時代

創作は間に合ってます。
漫画も小説も無料で読めるし、動画だって無料で観れる時代。高い水準の娯楽が有り余っている。もちろんnoteも。というか小説や動画が無料で読める時代に、どこの馬の骨かも分からないやつの日記とかエッセイなんて誰も見ない。

人間以外の損失

仮にもっと高品質なコンテンツを提供して役に立ったとしても、どっかにしわ寄せが行ってるから、成果が大きくなっても、その分マイナスがデカくなる。
というのも資本主義社会においては、誰かの得が誰かの損。感謝する人の裏で、泣いてる人がいる。そして資本主義社会でなくても、世の中の成り立ちは弱肉強食の搾取システムで成り立っている。動物は人間の熱心な社会活動に比例して殺されている。それは地球単位でそう。自動車っは技術発達の産物だが、二酸化炭素でオゾン層や北極南極の氷が破壊されていく。人の役に立っても、他にしわ寄せがいくためマッチポンプ。


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