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知名度が違うだけで、面白さは変わらない

人の数だけ面白いエピソードはある。知名度があるないに関わらずだ。

知名度に差があるだけで、人やエピソードの面白さに質の差はない。再生回数や評価数が少なくても、面白いものは面白い。

今は知名度が上がって面白いとされている芸能人も、知名度が上る前から人生があり、面白いことをしていたわけで。実際有名になる前のエピソードトークを聞くと、知名度が上がった後のエピソードトークより面白いものがあったりする。

面白さの伏線

本人に知名度がなくても、周りの人に知名度を上げるキッカケになっている可能性もあるし。芸能人の親とか。親がいなかったら人気の芸能人も生まれてこなかったわけだから、大きなキッカケを作っている。

全然おもしろくない人でも、おもしろいものを生み出すパーツになっている可能性を孕んでいる。そういう意味で、世の中にある面白さの質は変わらない。
知っている人が多いか少ないかの差があるだけ。

コンプラが虚構を作る

なんなら知名度の広さに反比例して、面白さが薄まっていく。コンプラが邪魔するから。広めるためにはどうしても無難な笑いになっていくから。テレビに流れている《面白さ》だけは虚構の面白さ。

だからネットは面白い。
テレビでは言えない体験エピソードを言いまくれるから。

今日あなたが経験した面白い出来事も、知名度がないだけで、質としては有名なおもしろエピソードと変わらない。
テレビでは言えないだろうけど。

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