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【連載小説】 美しき愛の掟  第2章

登場人物  佐川トシオ  画家志望の青年。
      高森アミ   謎の家出少女。


アミに絵のモデルになってもらう約束を取り付けてからの僕は、脳内がお花畑な妄想で膨れ上がり夢うつつな日々が過ぎていった。
当然の事ながらそんなお花畑な状態は傍目にも明らかだった。
「なあ、最近なんか変やぞ。アリサとええことあったか?」
同僚の菊池はニヤニヤしながら執拗に絡んでくる。お前は前後不覚になるまで泥酔いしてどんだけ迷惑かけてるか自覚あるんか?と逆に問い詰めたくなった。
「ああ、今度会う約束してるよ。」
と正直に答えると菊池は興味深そうに僕の顔をしげしげと覗き込んだ。
「へえ~。まあ、あんな地味な女やったらお前みたいな冴えない童貞君でも相手してくれるやろ。ま、せいぜい頑張れよ!」
大きなお世話だ。お前こそ足蹴なく通い詰めてもルナには適当にあしらわれてるだけやないか、と僕は胸の内で菊池をこき下ろしていた。ましてや毎度毎度あんな酔い方をしてよく出禁にならんなぁと思わずにはいられなかった。

早朝から雲一つない澄み切った青空が広がるよく晴れた日曜日、ついにアミを自宅へと招き入れる日がやってきた。妄想が膨れ上がって全く寝つけなかった僕は、時々生あくびをしながらも朝からそわそわと落ち着かなかった。
しかしあくまでもアミは絵のモデルになってもらう為に来るのであり、僕とアミは恋人同士の関係ではないのでそれ以上の何かを期待するのは痛々しい勘違いなのだと、僕は脳内で繰り返し自分自身に言い聞かせていた。
そんな思いを巡らせながら画材道具を整理して部屋の装いを整えて、待ち合わせ場所である阪急三国駅の改札口へ出向いた。
改札口で5分ほど待っているとベージュのパーカーを纏ったアミの姿が見えた。僕に気付いたアミはいつものあどけない笑みを浮かべ小走りで駆け寄って来た。その姿は何とも言えない愛くるしさを漂わせていた。
「トシオさん、おはよう。待った?」
「おはよう。いや、さっき来たとこやで。さ、行こうか。」
「ねえ?トシオさんってどんなとこに住んでるん?」
「築30年の古いワンルームやで。アミちゃんは?たしか友達と住んでるんやったね。」
「うん。そう。でもね、友達がしょっちゅう彼氏を連れて来るからちょっと居ずらいねん。私、お邪魔みたいやわ。」
「えっ!?そうなんや。アミちゃんは彼氏おらんの?」
「うん。おらんよ。おったらトシオさんの誘いは断ってるよ。」
僕は激しく動揺した。もしかしたら絵のモデル以上の何かを期待してもいいのだろうか?僕の脳内は正直なところ絵どころではなくなっていた。
そんな胸の内をアミに悟られたくなくて僕は必死で理性的に振舞おうと取り繕っていた。
「あ、ああ、ありがとうね。嬉しいよ。」
「あれぇ?トシオさん、顔赤いよ。照れてんのぉ?可愛い。」
僕はつくづく馬鹿正直過ぎて嘘が付けない不器用な人間だ。アミはウブなように見えて意外と小悪魔な振舞いを見せてくる。何だかすっかり僕の気持ちを見透かしているようだ。

三国駅から徒歩10分程の商店街の裏手の住宅街に僕が住む4階建てのワンルームマンションがある。僕の部屋は3階の角部屋だ。
築30年でエレベーターが無く、風呂とトイレが別れていないユニットバスなので、家賃はこの辺の相場に比べて安い方だ。
途中のコンビニでスナック菓子とジュースのペットボトルを購入して僕らは自宅に到着した。
「どうぞ、入って。汚いところでゴメンね。」
「はーい、お邪魔します。全然綺麗だよ。大丈夫。」
「寒うない?暖房つけるわ。」
「ねえ、トシオさん。パーカー脱いだ方がいい?」
「そうやね。出来たらそうしてくれる?で、その椅子に座って。」
パーカーを脱いだアミは薄桃色のセーターと赤いスカート姿になり、僕が用意していた椅子に座ってすましていた。アミの肌は透き通るように白く雪のようだ。僕は画材を準備していよいよアミの肖像画を描く作業に取り掛かっていた。
「しんどくなったら遠慮なく言うてね。」
「うん、ありがとう。トシオさん、綺麗に描いてね。楽しみやわ。」
僕は鉛筆でデッサンに掛かった。こうしてアミを目の前にしてじっくり観察すると、やはり僕が理想としていた女性像にアミは見事に当てはまっていると改めて気付かされた。幼さが残る少女から大人の女へと変貌する少し手前の微妙な危うさをアミは全身から醸し出していた。地味で大人しい印象を与えるあどけなさ漂う表情と小柄で細身の華奢な体躯、しかしその細身に似合わぬ服の上からでも豊満な乳房を思わせる胸元が少女と女の間を揺れ動く危うさを感じさせていた。
しばらくデッサンに集中していると、僕はアミの頬がほんのり赤くなっているのに気付いた。どうしたんだろうか?
「アミちゃん、顔が赤いけどどないしたん?しんどいんやったら休憩してええよ。」
「だって・・トシオさん、私の胸ばっかり見てるもん・・恥ずかしい・・」
アミがもじもじと恥じらいながら僕の視線が気になっている事を白状したので、僕はハッとなり筆を止めた。無意識の内にアミの豊かなバストが気になって気になって仕方なくなっていたのを物の見事に見破られていたのだ。
「あ、ゴメン・・・そんなつもりは・・・」
「ううん、いいよ。私って小柄で童顔やのにおっぱいだけ不自然に大きいから、どこ行っても男の人にガン見されんねん。嫌やけどしゃあないわ。」
「ほんまにゴメンね。気を付けるわ。」
僕が魅了されていたアミの身体的特徴は、本人にしてみれば悩ましい劣等感に過ぎないのだ。僕はそんなデリケートな事情に全く気付けないでいた。異性との関わりを経験していない僕には、人として基本的に持ち合わすべきデリカシーと称する物が著しく欠落しているのかもしれない。

描き始めてからおよそ1時間が経過した頃に、鉛筆描きのデッサンがほぼ完成した。ここからは絵具で着色して仕上げていくが、一旦休憩を入れる事にした。
「アミちゃん、少し休憩しよう。疲れたやろ。」
「うん。トイレ借りるね。」
そう言いながらアミはユニットバスへと入った。排尿時の音を聞かれたくないのだろうか水栓を流す音が響き渡った。狭いワンルームの室内故にトイレ使用時にも互いに配慮を要するが、密室で好意を抱く女性と二人きりで過ごしている現状を踏まえると、どうしても不埒な妄想が理性的な思考を崩壊させそうで自分自身が怖くなる。
最前にも無意識とは言えアミの豊満な胸元に視線が集中して多少なりともアミに不信感を抱かせてしまったばかりなのに、もはや今の僕にとってはアミは獣じみた欲望の餌食になっているのかもしれない。
こんな事で苦悩する自分を嫌悪してしまう。僕の中でアミは絵のモデルだけの存在でいてくれたら良いという当初の願望が大きく揺らぎ始めた瞬間だった。
気付くとアミは既にトイレを済ませて椅子に座っていた。
「ゴメンね。準備出来てるからいつでも描いていいよ。」
愛くるしい笑みを浮かべて僕の方に視線を向けるアミを見て僕は激しく動揺した。アミの本心を知りたい。僕がアミに絵のモデル以上の関係を望んでも受け入れてくれるだろうか?僕はアミへの一方的な想いで心が押し潰されそうになっていた。
「ああ、ありがとう。しんどいけどもうちょっと我慢してな。」
僕はこう答えるのが精一杯だった。
僕がここまで気持ちをこじらせて苦悩に満ちているとは、アミは夢にも思っていないだろう。アミのあどけない純真無垢な表情がそう思わせた。

それからおよそ3時間経ち、ようやくアミの肖像画が仕上がった。
薄桃色のセーターを着たアミの上半身で構成されている肖像画は、思いのほかアミの魅力である幼さと危うさを表現出来たものと自負している。
「アミちゃん、お疲れさま。終わったよ。」
「ほんまに・・・ねえ、見せて。」
アミは立ち上がり早速キャンバスを覗き込んだ。
「え?これが私・・・めっちゃ可愛いやん。嬉しい!」
アミは僕の描いた肖像画に満足したようで絶賛してくれた。
当初の予定を無事終えてこの後どうするかと考える間もなくアミから想定外の台詞が発せられた。
「トシオさん、ありがとう。もうちょっとここにおっていい?」
絵を描き終えたら速やかにアミを駅まで送って行かなあかんと思っていたので、アミからもう少しこの部屋にいたいと言われるとは全く嬉しい誤算であった。アミは申し訳なさそうに「ダメかなぁ?」と念を押して聞いてきたので「ええよ。何も用事ないし、ゆっくりしていってよ。」と笑顔で返した。
もしかするとアミも僕に好意を寄せているのか?と勘違いも甚だしい妄想が頭をよぎった。

僕らは壁にもたれてスナック菓子をつまみながら、お互いの身の上など深い話に時間を費やした。
「アミちゃんの実家はどこなん?家族は?」
「奈良の生駒。血が繋がってない妹がおるわ。」
「えっ?」
「私が小学6年の時に両親が離婚してん。で、すぐに母が不倫相手と再婚したんよ。妹は不倫相手の連れ子。」
「そうなんや・・・」
「それからは病んでもうて・・中学卒業と同時に家出して大阪に出てきたんよ。ほんで色んなバイトしながらあっちこっち転々としてる。家族とは今も音信不通。もうなんしか実家が嫌で嫌で・・あの人たちには二度と会いたくないし関わりたくない。」
「実のお父さんとは会わへんの?」
「母と離婚して2年後に仕事中の事故で亡くなった。トラックの運転手やったんやけどね。お父さんの事は好きやったし離婚後も連絡してたけど、死んでもうてめっちゃ落ち込んだ。お父さん可哀そうやわ。あんなクズ女に裏切られて事故で死ぬやなんて・・・」
なんとも陰惨な身の上である。まあ、僕も似たような物だが。
「トシオさんの実家は?家族は?」
「生まれは堺。僕も親に裏切られたんよ。と言うか捨てられた。僕が8才の時に父が亡くなって母子家庭やったけど15才の中三ん時に母が突然失踪した。多分交際相手の所に行ったんやと思うけど一切連絡取れんくなって。で、そこから親戚中たらい回しにされて、結局はどこ行っても厄介者扱いされて居心地悪いから一人で生きようと決めた。兄弟も友達もおらんし、ほんまに僕はこの5年程ずっと孤独で一人ぼっちやねん。」
「私ら似た者同士やね。傷ついて生きてきた分、人の痛みが誰よりも解るんやと思う。トシオさん見てて思うけどめっちゃ優しい人やなと。それとね、トシオさんってお父さんにちょっと似てんねん・・・」
「ありがとう。今まで優しいなんて言われた事ないよ。アミちゃんだけやで、僕をそんな風に見てくれるんは。」
「アミって呼んで。ちゃん付けやなくてアミって呼んで・・・これからはトシオさんも私も孤独な一人ぼっちやない。二人で生きていこ。」
そう言いながらアミは僕の顔を覗き込んで唇を重ねてきた。僕は体中が熱くなって夢中でアミを抱きしめた。どれぐらい抱き合っていただろうか。いつの間にか外はすっかり陽が暮れていた。


fin



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