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忘れたくないものは、残そう

mixi20周年
なんて投稿を見つけたもんだから、「もしやまだ日記が残っているのか…?」とGoogleで「mixi」を検索。
メールアドレスは思い当たるものがあるものの、パスワードが思い出せず。再発行のため、メールアドレスを入力する。

mixiさんから、パスワード再発行のメール、ちゃんと届いた。

うわぁ〜。見れちゃうのかぁmixi。
このまま眠らせておいてもいいんだが…でも、ちょっとだけ、思い出したいことがあって。

パスワードを再発行した。

十数年ぶりに見るマイページ。
アイコンに使っていた写真が懐かしい……。
mixiネームで呼んでくれていたともだちは、いまどうしているんだろうなぁ。

自分の日記をさかのぼっていくと、そこには、悩んで迷って立ち止まっているへなちょこな自分がいた。「いまもあんまり変わってないかもなぁ…」と、苦笑い。

自分が残したことばに、当時住んでいた部屋の様子や、PCが並んだ職場の風景や、出会った人の顔が浮かんでくる。
ふだんは思い出さないことでも、思っていた以上に鮮明に絵が思い浮かぶくらい、けっこうしっかり記憶に残っていたことに驚いた。

月に5.6回ライブに行ったり、カラオケに行ったりしていた時期は、「この曲がかっこいい」「このライブが楽しい」ってことを、知ってほしくて日記を書いていたことを思い出した。「聞いて聞いて」って気持ちが、日記に溢れている。
「音楽は楽しい」を自分なりに爆発させていた時期だったなぁ。
MCで聞いたことばを必死に思い出して書いた日記や、ライブ中の体感を「うぉぉぉぉぉさいこーーー」と表現した日記が続いていた。今より文章がうまかったわけではないけど、誰かに遠慮することのない文章を書けていたかもしれない。

あぁ、そうだ、このバンドのライブ行ってたんだった〜、楽しかったなぁ〜と懐かしくなってYouTubeで楽曲を探して流しながら日記を読み進めた。やっぱりカッコいい曲だなぁと、つい聴き入ってしまう。

しばらく、YouTubeであれこれ検索してしまった。
懐かしさに浸るためにmixiを開いたんじゃなかったと、探し物を見つけに戻る。

もう、会うことができない人。だけど、確かに私が出会った人。
意味がありそうでない私の日記に、ことばを残していってくれた人。
私よりも少し人生の先を歩いていたその人がくれたことばを、拾いにきたんだ。

あの頃も、私はことばに支えられていた。

かけてくれたことばが、嬉しくてくすぐったくて。「なんでこの人、こんなにコメントを残してくれるんだろう。そんなに遊んだこともないのにな」と、相手との距離を詰めたいくせに斜にかまえるクセを全開にしながら、その人がコメントをくれることを楽しみにしていた。
もう、会わなくなって1,2年は経つのに。私の日記を気にかけて、ことばをかけてくれた人。

私は、人とつながって、生きていたんだなぁ。

そのつながりを忘れてしまっていたことに気づいて、落ち込んでしまいそうになる。日記にくれるコメントで繋がっていたその人とは、縁が切れてしまったことが寂しいのかもしれない。うん。寂しいんだよね。

「mixi20周年」のニュースを見て、ことばをもらったあの場所で、もう一度ことばを受け取りたくなってしまって、開いてしまったマイページ。
もう二度と見ないと思っていた日記と、そこに残った私以外の人のことば。

読み返すと恥ずかしいけど、日記を、ことばを残していた自分にはちょっと感謝している。あの頃の、空気を少し思い出せたから。あの時もらったことばが、今の私を勇気づけてくれたから。

言われて嫌だったことばとか、忘れたい光景って、なぜだか繰り返し思い出してしまって、記憶に定着させてしまうことが多い。そのせいか、ふと思い出すのは、綺麗に定着してしまった忘れたい記憶が多い。忘れたいのだから思い出すのをやめて、忘れてしまいたい。

言われて嬉しかったこと、忘れたくないと思った景色、大切な人たちとの出会いや会話は、なぜだかすっぽり抜け落ちてしまう。大切だと思ったはずなのに。大切だからと、一人でぎゅっと持っているだけでは、忘れてしまうのかもしれないなぁ。
忘れたくないものは、ことばで、残そう。そう思った。1年後、3年後、12年後の自分を楽しませてくれるかもしれないからね。

ありがとうございます。ロックンロールと生クリームとマンガと物語に使いながら、自分の中のことばを探っていきまます。