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上の子への罪悪感を癒やす 〜セルフヒプノ〜

私が所属しているコミュニティ《eichi》にて「怒られるのが怖い」事象についての音声配信があり、私の内側がザワついた気がしたので、セルフヒプノをしました。


※セルフヒプノ=自分で自分を癒やしにいくセラピー

※eichiのベーシックコースはいつでもご参加できます!

 


 

 

母になってから拗らせたパートナーシップ

10歳上の主人は、生まれて始めて「無条件の愛をくれる人」と思えた人で、私はとことん甘え続けていました。
しかし、私が母となり、職場復帰したのを機に距離ができ始めたのです。


気がついたのは、下の子を妊娠した時。妊娠でナーバスになっている私に主人は、上の子のときのように寄り添ってくれない。

「上の子がいるんだから、事情が違うだろ?」

と言われ、心の中に壁みたいなものができました。

 


確かに上の子は、非常にマイペース。私も上の子のことが心配で心配で、お腹の中に下の子がいるのに、いつも上の子を心配してました。陣痛が始まるまで。

 

上の子を可愛がれない罪悪感

下の子…息子が生まれた途端、世界が「息子中心」にひっくり返ってしまいました。

あんなに心配でしょうがなかった上の子が、下の子の安全を脅かす存在になってしまった。

上の子…娘にとっては、青天の霹靂だったはずです。


 

特に退院後1ヶ月が拒否感のピーク。

娘がかわいそうだとわかっているのに、感情はコントロールできない。娘を見てくれる主人と母に任せ、私は娘から逃げました。


息子の生後2ヶ月くらい経ってから、少しずつ元に戻そうと努力しました。
多分、周りの人からみたら十分娘思いの母に映っているのだけど、今でも下の子を優先してしまうところは変わってないかもしれません。

私は娘に大きな心の傷を作った、という罪悪感を常に持ってます。

潜在意識のメカニズムを知るようになってから特に。

 

 

罪悪感の根っこにあるものは

その罪悪感が、先日の「死にたい」と言っていた事件で一気にクローズアップされました。

 

 

以前も、ちゃんりえさんには

「私、ハグに抵抗があるんです。特に娘にしてあげられてない」

と話していました。

ちゃんりえさんは、

「いつか思い切りハグしてならなあかん日がくるわ」

と言いました。


 

それがこんな形で現れてくるとは思いもせず。

娘の生きたいという気持ちを信頼すること

=私が私の人生を信頼するすること

と言われ、わかったようなわからないような感じです。

 

娘に対する気持ちをなんとかしたくて、先月初めから、私は統合のワークやセルフヒプノを毎晩やるようになりました。

 

セルフヒプノって案外難しくて、誰かに導いてもらう(セラピストのセッションを受ける)方が100倍効率がいい。


でも、効率が悪くたって地味に続けてみると、日常に落とし込めてくるんですね。少しずつ。
これが自分で自分を抱きしめるインナーマリッジなのだと感じ始めています。




冒頭の「怒られるのが恐い」というのは、主人に対する思い込みだと思ってました。

 

 

話したいのに、子供が寝たあとだと

「(声が大きくて)うるさい!」 

と何度か言われ、そのうちに主人は「怒る人」として定着してしまった。


私は子供を気にせず、主人とのおしゃべりを楽しみたかったのに。

 


「怒ってないよ」

「ほら、また。声が怒ってる」

の繰り返しで、

主人も私にどのように声をかけたらいいのかわからなくなったことでしょう。

 


でも、潜在意識のメカニズムによれば、この感情の根っこは主人ではなく、もっと昔にあるはずなのです。



セルフヒプノで見つけた感情 

それを探りたかったけど、どのように自分に問いかけたら答えが出てくるのかがわからない。

自分への検索ワードを探すことを諦めた時、

 

 

1人は寂しいよ

 

 

いう声が心の奥底から現れました。

私は3歳で、弟が生まれたばかりだった。

 

 

私は1人で、当時住んでいた団地の部屋をウロウロしてました。部屋の間取りが鮮やかに思い出されていく。  

明るい昼間、居間に1人。

台所にいってみても1人。

狭い廊下に佇んで1人。

子供部屋で絵本を読みながら1人。


寝室では、生後間もない弟と母が昼寝をしてた。私は1人でおとなしく家の中で過ごすんだけど、何をしても面白くないし、手持ち無沙汰。


家の外にも出てみた。

1人で団地の公園に行ってみたけど、遊ぶ相手を見つけられず、ただ歩いた。

 

「…1人じゃ寂しい」 

 

3歳の私は空気を読んで、察して、さみしいのを我慢しなくちゃいけないと思ってた。


だから、娘が空気を読まずストレートに構ってもらおうとするのが許せなかったのかもしれない。


お姉ちゃんなら我慢しなさいよ」と。

 

 

冒頭の主人との関係も同じく。

子供が寝入っている…という状況を読まずに、おしゃべりしようとする私は怒られても仕方ないのです。

小さい子がいるんだから我慢しなさいよ」と。


 

私の潜在意識が作り出した自作自演劇場。

 

 

 

…気付いて愕然としました。





気付いたら半分以上解消されてる…というけど、まだ半分近く感情は残っているはずなのです。だって3歳からずっと私を縛っていた思い込みなんだもの。

 

《空気を読まず、甘えていいんだよ》

という前に、

「一人で我慢して寂しかったね」と小さな私を抱きしめて泣きました。

 

一晩じゃ足りない気がして、次の日も3歳の私に会いに行き、また泣きました。

まだまだ泣けるかもしれません。


自分事として、その感情を味わい切ることに専念しています。それがゆくゆく、娘への「ごめんね」という気持ちも癒やされていくような気がします。

今はまだわからないけど。

 

私の中に残してきた大事な感情と向かい合って、終わらせてあげようと思います。


絵は娘が描いて区展に選ばれた読書感想画。
『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』です(^^)

 

 《自分に還るヒプノセラピー》

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