ツイッターにて動画をあげて、消した

この前ツイッターに動画をあげた。
音声を自分で録音し、画像を貼り付けて動画にしたものだ。でも消しました。それは何故か?

消した動画はぜんぶで三つ。

まず一つが、ボズ・スキャッグスのジョジョという曲に私がリズムに合わせて、なんか唇を震わせて音を出す動画だ。6秒くらい。この動画は、私の中では「音楽枠」であった。とても拙い、楽器すら使わないコピーバンドである。

まあ、客観的には何も面白くはないかもしれない。意味も分からない。
それにしても、ボズ・スキャッグスの
ジョジョというタイトルは何なんだろうか。
ジョジョの奇妙な冒険はこれの影響を受けているのだろうか?

二つ目が、「君は完璧で究極のゲッターにツボるオタク」という動画だ。

これは面白いと思う。


「君は完璧で究極のゲッター」に対してオタク(私)が笑うだけの内容だ。
「誰もが目を奪われていく♪
君は完璧で究極の♪
ゲッターwww(←ここで爆笑)
なんでw本当はアイドルなのにw
全然違うwww」
と私がブツブツ言っているシュールなネタである。
「君は完璧で究極のゲッター」の持つ不可解な魅力を風刺した、
素晴らしい動画であった。
いいねが4つついた。
いいねくれた方ありがとうございます。

三つ目が「呪いのビデオを見て七日目の笑い上戸のオタク」という動画だ。

これは面白いと思う。

貞子がテレビから出てきたことに、ツボってしたまったオタクを表現した。
ホラーから一転、笑いへの転調は実に良かったと思う。
いいねが2つついた。
いいねくれた方ありがとうございます。

さて、何故そこまで満足している動画を私は消してしまったのか?

やはり恥ずかしかったからだ

一日くらいたってから消す決心に至った。
心の中の身体(?)が、拒絶するような…そんな感じだった。

「恥ずかしい。これを知人とかに見られたくない。」そう思った。

創作物をとりあえずは作り、発表したことは良かったと思う。実行力とアイデアも良かった。
その点については、ある種のナルシズムすら満たせた。

千葉雅也さんの『勉強の哲学』においてこんな言葉があった↓

「環境のコードに習慣的・中毒的に合わせてしまっている状態を、本書では、ひとことで「ノリ」と表すことにしましょう。
 ノリとは。環境のコードにノってしまっていることである。」

あえて言えば、私のノリが、これらの動画をツイートしておくことを許さなかった。
発表している形にしておきたくなかった。
無かったことにしておきたかった。

環境のコードの異なる時期であれば、(例えば無職期間とか)また
違った考えになっていたかもしれないが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?