63.おにぎりと赤いスカート

 Mお姉ちゃんと家に帰ると、父が言った。
「ママは死んだよ。」

部屋入ると布団が敷かれ、母が寝ていた。
母の頬に触ると、今まで感じたことのない異様な冷たさに驚いた。
それ以上、私は母にさわれなかった。
ただひたすら寝ている母の傍に座っていた。

悲しいとか悔しいとか、感情が何もない。
ただただ何の感情もないまま、母を見つめながら座っていた。

ママ、もう痛くない?

心の中で話しかけた。
静かなこの時間を、もう少しこのまま…

その様子を見ていたKおばさんが、
「お母さんの髪をといてあげなさい。」
と、櫛を渡してくれた。
私はただ黙って母の髪を櫛でといた。

「まさえちゃん、悪かったね。
まさか今日死んじゃうなんて思わなかったしね。」
と、Kおばさんが言った。

私は、ちょっと振り向いただけで、おばさんの顔も見なかった。

たったそれだけ⁉︎
もっと謝りなさいよ!!
あんなにお願いしたのに!!

と、心の中で叫んでいた。
でも、心とは反して出た言葉は

いいよ

と、ひとことだけ。
あとは何も言わなかった。

父がようやく話してくれた、母の病気のことを。

「ママはね、癌だったんだよ。
体中に癌があって、どこから最初に癌ができたのか、分からなかったって。
先生は、おそらく脊髄の癌だろうって。
最初に腰が痛いって言って〇〇医院にかかった時に、見つかっていたらこんなに苦しまなくて済んだって。
入院した時には、どうにもできなかったんだよ。」

パパはママが亡くなるのが早いことを知っていた。
だからおばさんたちを呼んだんだ。
知らなかったのは私だけ。
酷いよ。
知ってたら、もっとママとお話しできたかもしれないのに。
どうして私にだけ言ってくれなかったの?
みんな知ってたの。

わたしだけ知らなかった
何も知らなかった
わたしだけ

悔しかった。
みんなを恨みそうな自分がいた。
話してもらえなかったくらい、未熟な自分。
悔しかった。

それが親の愛情とは受け入れられなかった。
どうしていいかわからず、誰かにこの思いを話したかった。
母を宗教に誘ったIくんのお母さんに、電話をかけることにした。
みんながいるから、家からはかけられない。
私が中学生になっても、母は宗教を続けていた。

家のお向かいにあるレストランの公衆電話から、Iくんのお母さんに電話をかけた。

おばさん、お母さん、死んじゃったの。
私、どうしていいかわからないの

大声で泣きながら電話でそう言った。
Iくんのお母さんは、驚いていた様子だった。
私は誰かに慰めてもらいたくて、電話をかけたけど、予想に反して冷たく返された。

「そう。」

と言ったっきり、Iくんのお母さんは黙ってしまった。

わたし、お母さんが死んじゃうなんて思わなかったの。
わたしだけ何も知らなかったの

「ごめんね。
それは大変だったね。」

それ以上の言葉はなくて、お葬式にも来てくれなかった。
あの神様の薬とやらを届けにきたおばさん達も。

宗教って一体何なの⁉︎
あんなに親切そうにみんな声をかけてきたけど、ママがいなくなったら、みんな冷たい。

そう思って、それ以降連絡を取るのをやめた。

みんな、お葬式の準備でバタバタしている。
私は何をしたらいいのかわからない。
母の傍に座っていると、おばさんからおにぎりを一個、渡された。
「どこかで食べてきなさい。
邪魔だから。」
と、言われた。

私は、自分の部屋へは行かず、玄関の正面にある階段に座った。
母が寝ている近くで、一番邪魔にならない場所。
母の側にいたかった。

後に、その時の様子を、ピアノのA先生が話してくれた。

A先生は、母が亡くなったことを聞いてすぐ、お線香をあげにきてくださったらしい。
私は、A先生がいらしたことは覚えていない。

「吊りの赤いスカートを履いた(母が赤いチェックのウールの着物をスカートにしてくれた)女の子が、ひとり階段に座っておにぎりを食べている姿を見た時、あまりにも不憫で悲しくなった…
お葬式があるというのに、あなたに誰も構ってあげてなくて、赤いスカート履いていたのが忘れられないわ。
親戚のおばさんたちが笑いながら話しているのに、ひとり放って置かれて、一体この子を誰が守るんだろうって心配になったの。
でも、声をかけるのは簡単だけど、私はあなたの一生を責任もって見てあげることはできない。
中途半端な愛情をかけてしまったら、きっとあなたは傷つく。
それなら最初から愛情をかけてはいけない、そう思ったの。
辛かったわ。」

A先生は、母が亡くなって15年ほど経った時…
私が結婚する少し前…そう話してくれた。

私は当時(今も若干…)気が強くて、素直じゃなさすぎる、それが悩みだった。

でも、私はA先生の言葉で救われた。

「強くならないと、あなたは生きていけなかったから。
だから、あなたはそれでいいのよ。」

…続く……🍙🟥


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?