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表現のあいまいさが引き起こす勘違い

「なるほど、いよいよ動き出すんだ・・・」
年末に実家に帰ることが決まっていた私は、
ふるさと青森のwebニュースを見ていて、
話題の新病院建設地が決まったことを感じていました。

将来、新しくできる病院の場所はいったいどこになるのか。
青森県の県庁所在地である青森市には国立大学がないため、大学附属病院ありません。大規模な病院と言えば、県立病院と市民病院がありますが、老朽化や高度な医療整備、そして街づくりの観点からも新しい病院の設立が望まれていました。候補地選びに市民のみならず県民からも強い関心が寄せられ、できるだけ早くといった希望から報道合戦も過熱していました。

【決まっているのかいないのか】

『青森市 西市長 新病院候補地 青い森セントラルパークが適切』
タイトルはこう書かれていました。
私は意外に早く結論を出したものだと感じていました。
確かに高齢者にとっては、便利な場所に最新設備が整った施設があることは大きな安心材料です。
数字を見ても、青森市の総人口に占める65歳以上の割合は2020年に32.2%、2025年には35.2%、2040年には40%を大きく超えると予想されています。(青森市公開資料より)
人口の減少率も、青森市はワースト2位にランクされているため、
(2023年8月16日NHK NEWS WEBより)未来における快適な環境づくりは どの世代にとっても急務です。
病院の建設は早いにこしたことはないことから、市長のイメージが固まったのだと思い込みました。

私は予定通り年末に青森に戻り、最新情報として病院候補地について、話題にしました。しかし・・・反応が少しちがいました。
確かに話題にはなっているけど、決まっていないのでは?というのです。
実家の家族も、友人たちも同じような反応で、新聞やテレビも候補地決定に関しては報じていませんでした。

【上書きされた記事】


気のせいだったのか・・・私は再度ネット記事を検索してみました。しかし当該記事が見つけられません。確か“適切”と書かれていたような・・・
果たしてネット上にある記事はタイトルが変わっていました。

『青森市の西市長 新病院候補地について見解』

記事の中身を見ると候補地に対する市長の考え方が書かれており、
私が決まったのかなと感じた部分、「考えをにじませました。」との表現も削除されていました。
日時は12月26日 17時33分。
ただ、記事の最後に「12月28日に更新しました。」と書かれていました。

前の記事では「県内の経済団体が要望する青い森セントラルパークへの立地が適切だとの考えをにじませました」表現され、
タイトルは『青森市 西市長 新病院候補地 青い森セントラルパークが適切』でした。
雑誌やスポーツ紙のようにタイトルを大げさに書き、目を引く手法はあるのは認識しています。その場合は、表現されたコメントを根拠として引用するのが普通です。つまり「セントラルパークが適切」とコメントしたかどうかが重要になってきます。

【記事を書く背景は】

組織を代表してインタビューや記者会見に臨む際、メディア対応のスキルを練習するメディアトレーニングを、私は多くの経営者に提供しています。
「メディアは勝手に主観で記事を書き、言質を取ろうと誘導質問する」と
皆さんが言います。
そのような手法を取る記者や、タイトルをセンセーショナルにして人目を引こうとする記事があることは否めません。ただ、多くはしっかり調査を行い、あらゆる面から情報を積み上げて、新しい事実を発見して報道します。あるいは、仮説をたて、仮説を裏付けるべくさらに調べ、そして当事者のコメントや動かない根拠を突き止めて、事実を報道します。

今回の報道はどうなのか・・・
12月26日の市長会見がYouTubeに公開されています。市長は当該コメントを発したのか。映像を見てみました。
会見の冒頭で、市長はフラットな立場で会議を進めている旨を、
強調しています。

フラットな立場で今回の検討会議を始めていますので、その中から最も良い場所ベストと言える場所はないかもしれないですけども、最もいい場所というのは見つけだせるはずですので、それに向けて会議を進めていきたいと思っています。

青森市公式チャンネル

しかし、質疑応答では各社ともセントラルパークが有力であることを、
何とか市長の口から言わせたいという姿勢が鮮明になりました。
決まっているのかいないのか・・・
決まったことをイメージできる言葉はありません。
「セントラルパークが適切である」と断言もしていませんでした。
メディアがある意味期待する“失言”もなかったと思います。

どれぐらい時間がかかりそうかという想定をして、そこから選考条件にしていくことになると思いますし、遺跡のある、ないというのもひとつのリスクになりますし、
前から言われている通り、災害のリスクがどれぐらいあるか、もしくはそれがちゃんと制御できるのかどうかというところも条件になっていくと。

青森市公式チャンネル

各社とも、場所を決定する要素や判断の条件を聞き出そうとしますが、まだ遡上にあがっていないと感じる答えでした。
これまでと同様、特に進展しているように聞こえませんでした。

【あいまいな表現から読み解く力?】


日本語はあいまいな表現も多く、
はっきりさせないことを美徳とする文化もあります。
それゆえ文字で表現することは、英語よりも難しいかもしれません。

私は過去に株価を動かそうとして、
「○○の可能性をほのめかしました」と書いたことがあります。
言質をとれなかったので憶測で書いたのです。
この時は特に問題にされませんでしたが、
「可能性をほのめかす」とは、英語で表現するとどうなりますか?
と言われたことを思い出しました。

私は、テレビや新聞はどう表現しても、それを読んだ読者がよしあしを判断するものだ。書きっぱなしでも、読み解く力があれば大丈夫だ。
と思っていました。論調をはっきりさせることが、
読み応えにつながるのだと信じていた時期がありました。

しかし、ジャーナリズムはそのような単純なものではないでしょう。
伝える側にも責任があるのは当然です。
大切なのは、根拠のある事実であり、
事実の周りに存在している物語である。
それを人々の感情に訴えることが記者の力であり、
人々を扇動することではありません。

また、テレビやラジオの業界を律する法律として放送法があります。
第4条には、“事実に反しないこと、意見が対立している問題はできるだけ多くの角度から論点を明らかにすること”とあります。

これは放送ではないニューメディアであっても、守っていく義務があると思います。情報を伝える側は、伝統的な方法を尊重し、正しく報じる姿勢を見せなければ、ますます信頼は落ちていきます。
日々忘れないことが使命なのだと心に刻みたいものです。

日本語の独特のファジーさとそれにより引き起こされる誤解。
今回は日本語で表現することの難しさを感じる事例でした。 (了)

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