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回復しつつある兄貴、しかし嫌な予感が。

糖尿病を悪化させ透析を受けていた兄貴。感染症で意識不明、左足は壊死により切断するというピンチもあった。一時は人工呼吸器を付けられ蝋人形のような状態だったのに、テレビを見ることができる状態にまで回復し、奇跡の生還を遂げたのだった。


バカ、バカ、バカ

意識を回復した兄貴に、母が面会をした。
母は、心労のあまり体調を崩しており、東京駅から病院までの道中でも何度かの休憩を挟まなければならなかった。
やっとの思いで病院に着いたが、受付から病棟まで歩くことも困難で、付き添った私は車椅子を借りようかと思ったくらいだった。
病棟に着くとすぐに面会の準備がされて病室に案内されたが、こちらは、ふらふらに衰弱した母を連れて大変な思いで面会に来たというのに、呑気にテレビを見ている兄貴。心配をかけてすまなかったとか、迷惑をかけてごめんとか、そういう言葉も態度も何もない、そんな兄貴の態度に、私は、ああ、相変わらずの兄貴だ、と思わず安心した。ただ、母は無くなった左足を直視することができず、俯いて小さく「バカバカバカ」と呟いていた。

面会ができるのは・・・

面会の最中に医師が入室し、兄貴の前で治療経過の説明がされた。感染症の方は一応落ち着いたが急変の可能性もありうること、左足は壊死が進んでいれば大腿部付け根の辺りまで切ることも予想されたが、膝上での切断で済んだこと、投薬の一部は点滴から飲み薬での対応になっていることなど、とりあえずは窮地を脱した旨が告げられた。
救急搬送された当初は、一人暮らしを再開することはできないし、実家に戻っての生活も無理、そもそも退院できる可能性は非常に少ないし、実家近隣には対応可能な病院はない、とまで言われていたので、ICUから出ることはできないんじゃないかと思っていたが、足の切断手術が成功し容体が少し安定したことで、とりあえずは一般病棟に移る可能性が出てきた。
そもそも、コロナ禍の元で、医療機関は入院患者への面会を原則禁止としていて、兄貴が入院した病院でも同様だった。ただ、兄貴がいたのは、病院の敷地の奥の方にひっそりとある建物で、そこに入院している患者の家族は1回15分程度の面会が許されていた。つまりは、いつ何が起こるかわからない重篤な患者には面会の配慮がされていたということになる。
その病棟は、1階入口を入ると10人程度が座ることができる待合室があって、たいてい2〜3組の家族が鎮痛な面持ちでそこにいた。面会できる時間は短いが、医師からの説明を待っていたり、手術が終わるのを待っていたりするので、その待合室で終日を過ごすことになり、他の家族も同様だった。何組かの家族とはお互いに顔を覚えるほど長い時間を一緒に過ごしたが、事情が事情なので、「おたくはどうですか」なんて話にもならず、黙って時間が過ぎるのを待つばかりで、言葉を交わしたことはない。
面会ができるということは、それだけ重篤な状態ということだったのだが、入院している本人の様子が全くわからないというよりマシな気がしていた。兄貴も一般病棟に移ることになれば面会することもできなくなるので、回復の代償としては心配の方が大きかった。

持ち物から違和感

面会禁止に対する不安を看護師に伝えると、一般病棟に移った場合には携帯電話等による連絡ができるようになることを教えてもらった。もちろん、病棟内で携帯電話を使用する場所は限られているだろうから、兄貴がその場所まで移動できるかどうかは問題だったが、とりあえずは母が預かっていた兄貴のバッグの中にスマホと充電ケーブル、イヤホンなどが入っていたので、それを看護師に預けた。
兄貴は、コロンとしたパソコンが登場した頃からのapple信者で、いつも最新のiPhone、iPad、Mac PCを使っていた。いつだったか兄貴の家に行った時も、洋服とかには無頓着なのに、デスクの上には最新の、そしてかなり高額のappleのパソコンがあっりして、兄貴に倣ってapple信者になった私は、いつも羨望の眼差しをむけていた。(のちに、兄貴の冴えない服装は、ジョブズを真似していたらしいと知る。)
その兄貴のスマホが、最新のiPhone14ではない。バッグのなかにはiPadもないし、所持品にappleWatchもない。兄貴のスマホは、たぶんiPhoneだと思うのだけど、最近ではおよそ見かけないような形状で古さを感じさせるものだったのだった。機械物好きの兄貴が気に入って使い倒した物なのかな、と思うようにしたが、違和感は膨らむばかり。そして、スマホだけでは不便だろうから、せめてiPadを兄貴の家に取りに行ってあげると言ってみたが、スマホだけでいいという。
このとき、なんとも言えない嫌な予感がしたのだった。

予感は当たる

スマホを差し入れしてからしばらくして、兄貴は一般病棟に移った。そのため家族は面会ができなくなり、連絡手段はスマホのみとなった。ただ、一般病棟に移ったとはいえ、その頃はまだ起き上がることもできない状態だったと思うので、電話がかかってくることは期待していなかった。最近母が覚えたLINEを連絡手段とすることにしたが、それでもなかなか兄貴から返信は無い。容体悪化を心配した母が何度か病院に連絡したりしていたら、看護師から促されたのか、「リハビリを始めた」「車椅子に乗る練習をしている」など、短い言葉で、そしてちょっとだけ兄貴特有の甘ったるい言い方での返信が来るようになった。
また、その頃、病院から母への連絡の際に、兄貴が実家近隣の病院への転院を希望していると告げられた。兄貴本人が東京生活と決別することを決めたのであればそれでいいのだが、私だけでなく母も弟も、にわかには信じられなかった。
父が亡くなった時、母は兄貴に地元に帰ってきて欲しいと懇願したが、兄貴は東京暮らしを辞める気などこれっぽっちもなかったようだ。糖尿病になった時、悪化させて透析を受けることになった時も、地元には帰らないとキッパリと断ったらしい。糖尿病になったからといって、母の援助は必要としていなかったみたいだし、東京で受けられる医療・福祉によって一人でやっていけると思っていたのだろう。
だから、今回も、東京での生活を続けることを希望すると思ったのだが、兄貴は案外すんなりと地元の病院への転院を承諾した。
ここでもやはり違和感が。
この違和感や、嫌な予感の正体は、兄貴の自宅マンションに行ってみて判明した。23区内の主要駅にほど近いところにあるマンションは、派手なエントランスで管理人が常駐しており、兄貴が東京で「いい暮らし」をしていたことが窺われた。だけど、部屋のドアを開けた途端、母は言葉を失い、私は見てはいけないものを見てしまった気持ちになったのである。
今回は、ここまで。

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