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【わたしのジョブ・カード】8,娘の顔に見た地獄と大樹の若葉

声を掛けてもらって働くことを辞めました。
ようやく、自分で仕事を探し始めました。
新聞の折込で入っていた求人の中から、看板屋さんのアルバイトに行くことにしたのです。

面接の日、妻が仕事に行っており、保育園児の娘の面倒を見ながら
面接に行かなくてはならなくなりました。
といっても、さすがに面接に同席させるわけにはいきません。
仕方なく、ホームセンターのペット売り場に連れて行き、
ここでしばらく待っているように伝え、面接に向かいました。

面接が終わり、急いで娘のところへ向かいました。
ところが、ペット売り場に娘の姿はありません。
慌ててその辺を探してみると、少し離れた売り場で悲しそうな顔の娘がいました。
その顔を見た瞬間、あまりにも情けなくて涙が止まりませんでした。
泣きながら、コロッケを買い娘に渡しました。

娘の顔の表情から、地獄を見た気がしました。
この時の想いは、おそらく一生忘れることができない原点となっています。

無事に、看板屋さんでアルバイトができることになりました。
私なりの、職業訓練の始まりです。

これまでやったことがない、看板のためのカッティングシートを作るなど
貴重な体験ができました。
また、名刺やハンコの作成、ひさしぶりの接客なども楽しく働くことが出来ました。

約4か月間、そちらでお世話になりました。
とてもいい会社で、社員の話もいただいたのですが、条件が合わず結局そちらは辞めさせていただきました。

代わりに探したのは「派遣」という働き方。
看板屋さんで、自分のスキルが通用すると確認したため、DTPが使える「派遣」を探したのです。

寝ている時の夢か、はたまた白日夢か分かりませんが、頭の中に大きな木が現れ若葉で満たされるようなイメージが沸いたのです。
どんどん新しいものを入り込めるような感覚、何かが吹っ切れたような感覚でした。

まずは、一ヶ月限定、短期の派遣業務から働いてみました。
その後、紹介予定派遣を利用してみたのです。

紹介予定派遣は、正社員雇用を前提とした派遣の働き方。
お試しで勤務することが出来るため、雇用する側もされる側も両方メリットある働き方の一つです。

その時選んだのが、中堅のマンションデベロッパーでした。
大阪府内に複数マンションを分譲しており、そこの広告宣伝の仕事でした。

ところが、入社初日社長の元に連れて行かれ、こう尋ねられました。

「君はこの会社に入って、どんな味のトマトになるんや?」

私は、完全にフリーズしました。
この人、一体何を言っているんだ?と。
こんな質問を平気でする経営者は、危険だと今でも思っていますが、当時でもかなりヤバいと感じていました。

ちょうどその頃、妻が二人目を妊娠し悪阻がひどくなり入院したのです。
まだ小学1年の娘もおり、何度か早退や定時で帰りました。
もちろん、上司(女性)に伝えてです。
ところが、しばらく経ってからこの上司(女性)に言われました。

「あなたは、会社と家庭とどちらが大切なのですか?」
「その質問自体がナンセンスですが、その様に聞かれるとすれば家庭です」
と答えていました。

その後すぐ、派遣会社に連絡し継続不可能を伝えました。
経営者にもかなり疑問でしたが、ナンセンスな質問をする人と一緒に働ける気がしなかったのです。
今から思えば、妻のお腹の子が「その会社へ行くな」というメッセージを出していた様に思えてなりません。

ということで、またまた職がなくなりました。
しかし、ここはすぐに行動に移しました。この頃、何か不思議な力が宿っていた気がしています。

2つ仕事を見つけました。
1つは、キャンプメーカーの仕事。
こちらは、アパレルの経験が必要ということで見送られました。

そして、もう1つは次のような仕事でした。

「DTPのサポート業務。お客様へのレクチャーやイベントの企画。」

以前使っていたカラーコピー、X社系列の派遣会社でした。
派遣先は、まさしくX社の販売会社。

自分の人生に影響を与えてくれた、恩人の様な会社です。
なにより、自分がやってみたい業務内容でした。
とともに、この会社に恩返ししたいと思う気持ちもありました。

紹介派遣ではなく派遣社員での勤務で、かなり悩んだのですがチャレンジすることにしたのです。

派遣会社に申し込み、割と早い段階で面談をしてくれました。
後の上司になる方に妻が妊娠している事も伝え、配慮が必要ということを伝えると
「それは、当たり前のことでこちらでできることは準備するし、気を遣わないで言ってほしい。」と言われました。
心からホッとしました、ようやく、人間らしい職場に出会えたと思いました。

ところが、10日ほど経っても結果が来ません。
面談の感触も全く悪くなく、安心していたのにです。
しびれを切らして派遣会社に連絡をすると、担当の方もヤキモキしていたらしく、その電話で
「もしダメならば、私が責任を持って他を当たりますから、安心してください。」と。
この言葉にどれだけ救われたか。
人を支援する仕事の素晴らしさに、感動した瞬間でした。

今から思えば、この言葉が私の心に深く突き刺さり、今の仕事(キャリアコンサルタント)につながっていると言っても過言ではありません。

その後の彼の行動はすさまじく、わずか10分ぐらいの後電話がかかってきました。
結果は合格。
なぜ、連絡が遅くなったかというと、女性2人を想定していたが思わぬ形で男が来てしまい、どうするか悩んでいた。しかし、印刷業など女性が行きにくいところも多くあるため、結果いいのではないかということになった。とのことでした。

ということで、こちらで働くことになりました。
コネを使わず、自分の想いで選んだ仕事。

ようやく、負の連鎖が断ち切れました。
35歳の6月のことでした。


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