見出し画像

【ショートストーリー】雨にお願い


「走らない?」
彼女はそう言ってカバンを肩にかけた。
「でも、まだ雨が…。」
僕はそう言ってフロントガラスに打ち付ける雨を見上げる。確かに少し降り方が落ち着いてきたみたいだけど…。
会社の駐車場に車を停めた途端、滝のような雨が降ってきた。建物までそう離れていないのだが、外に出たらあっという間にずぶ濡れになってしまうだろう。社用車の中、僕と彼女は無言で雨を見つめていた。
彼女は今、何を思っているのだろう。さっきのやり取りで少しは元気になったみたいだけど。僕は彼女が心配だった。
さっき、出先である男性と会った。偶然に出会ったその男性は彼女の元カレだった。
「久しぶり。」
「久しぶり。」
和やかに始まった二人の会話。いつも通りの調子で話していたけど、彼女は時折苦しそうな顔をした。そう見えただけかもしれない。でも傍で見ていて胸が締め付けられそうになった。早く彼女をこの場から解放してあげたい。
「時間ですよ。そろそろ戻らないと。」
見かねた僕は無理矢理二人の会話に割り込んで、彼女を彼から引き離した。
「あ、そうね。じゃあ、行くから。」
「うん。じゃあまた。」
彼の挨拶に彼女は淋しそうに笑っていた。
車に戻り、駐車場から出た頃になって僕は猛烈な後悔に襲われた。余計なことをしてしまったかもしれない。車の中に重苦しい沈黙が漂う。落ち込みかけたその時だった。
「ありがとう…。」
正面を向いたままポツリと呟くように彼女は言った。横目で彼女の方を見ると泣き顔の一歩手前に踏みとどまっているように見えた。信号待ちの時、思い切って聞いた。
「大丈夫ですか?」
「えっ?」
「無理しなくてもいいですよ。」
「生意気言って。」
「これでも心配しているんですよ。」
「わかったわかった。ありがとう。」
彼女の口調が普段に近づいた気がした。少しは手助けができたのかな。なんだかちょっとうれしくなった。
「私の心配より、自分の事心配しなよ。」
「あ、切り返してきた。」
実は彼女には話していた。僕の叶えられない恋の事を。彼女は静かに聞いてくれた。馬鹿にするでもなく、説教するでもなく。そうか、僕達は同じ思いを抱えているんだ。彼女は別れた彼への未練を。僕は叶えてはいけない恋心を。どうにもならない思いを抱える同士なのかもしれない。
「このくらいなら行けるよ。」
空を見上げていた彼女は僕を見た。
「大丈夫。お先に!」
そう言って彼女は外へ飛び出した。
「あ、待ってください!」
僕も慌てて外へ飛び出した。雨が僕らをどんどん濡らしていく。
どうかどうかお願いします。二人の、ままならぬ思いをこの雨が浄化してくれますように。どちらか一人だけしか救われないのなら、彼女の事を救ってください。
僕は降る雨の方を見上げてそんな風に願っていた。


こちらに参加しています。

「走らない」もニュアンスが変わると色々な物語になりますね。一番形になったものを投稿しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?