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わけがわからない状態に自分も陥っている。

こんにちは。
2023年6月にこのnoteをオープンして、
ある意味、初投稿です。
書く覚悟はできたつもりでしたが、
その一文字入力するのにこの三カ月が必要だったみたいです。

自己紹介ページにあるよう、
ここでは、発達障がいを持つ息子を育てる中で、
読んだたくさんの本から100冊ご紹介していきます。

療育者優位な考え方々ではなく、
母として為になった言葉の数々を、
同じ荒道を進み悩んでいる方とシェアして繋がれて、
一人じゃないと思えて、
参考にもなってもらえたらと思っています。


それでは、初フレーズはこちら!
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「人の気持ちがわからない」子どもが私の前に
いるだけではなく、「人(その子)の気持ちが
わからない」私(教師)も、いつの間にかそこにいるのである。

#児童心理  2010年7月号 NO.916 より
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著者の角田豊さんは、
学校現場などで、身勝手な振る舞いをする子どもが注目されている現状と、関わりに戸惑いながらも関わろうとする教師の事、
学校や家庭でも良好な人間関係を作れず、
本人も保護者も教師含む、関わる人々が心を痛めている状況をまずは説明。

事を子供だけの問題と見てしまうと、その子に原因を求めることになりやすい。

そして、‼️ここが大事‼️
人の気持ちがわかる-------わからない
は、
私---------あなた
の関係性で起きている。

と、私の息子が3歳の頃、
こうはっきりとした言語の説明を目にし、
この一冊に引き込まれました。

関わる人々の苦労も合わせて踏まえながら、
そう書いていることに、一方的な感じもなく、
心にスッと入ってきたのは、いうまでもありません。

例として、こう続きます…
突飛な行動をして、他の子から反感をかってしまう。
担任はその子に指導するが、事態は好転しない。
こうした子どもたちは人の気持ちがわからないように見え、次第に「わからない」子どもになっていく。

これは、「その子の気持ちがわからない」教師を責めているのではなく、「理解できない」「わけがわからない」状態に自分も陥っていると気づく事が大切だと。

そして、このような状態は誰にでも起こりうる。
とも。

この本では、感情面・認知面・共感のプロセスについても触れられていますが、療育的方法を共有する事が目的ではないので、割愛しますが、

いつか、100冊の本を紹介し終える頃には、
読んでくださっいてる皆様に本をプレゼントしたいと思ってます。

さぁ、引き込まれた私は、
自分も陥っているであろう状況と状態を、
まさか会った事もない見知らぬ教授が、
本の中で、共感しているような錯覚さえしました。

そんな私にも、さらに深い理解をくれた
もう一つのフレーズがこちら!
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「さまざまな気持ちを養育者と共有できる」と体験して、共有しているその事を学習していくことにある。
#児童心理  2010年7月号 NO.916 より
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これを「間主観的な意識」言うのだそう。
難しい😓

わかりやすく説明があります。
間主観的な意識とは、
「私はあなたのこういう気持ちがわかるし、あなたも私のこういう気持ちをわかってくれる。そして、二人がわかり合っていることを、私もあなたもわかっている」と言う事。
だと

ぜひこのフレーズに引き寄せられた方には、全文読んで欲しいです。


ここからは、私たち親子の実例となります。

当時、3歳だった息子も、角田さんが例に例えられたように、みんなと同じ事ができず、理解しているのかしていないのかも、養育者にはわからない。という状況でした。

3歳と言うと、
保育園で一緒しているどんな子どもたちも、
まだまだ自分勝手で、自我を獲得してから一年前後くらいかな、上手に自己表現できる子もいれば、発達障がいがなくとも、下手くそで可愛らしい子もいて、様々です。
発達段階として、この辺りのことは修学前は必要な経験で、目を見張ることではまだないはずです。

そんな中で、
何が一番息子がみんなと違ったのか?と言うと、
すべき段取りに、ほぼ気持ちと行動が引っかかる。
これが、自分勝手な行動に見えました。

そして注意をされたり、あらゆる行動に手をかけられると、過保護と同様の状態になり、苦しくなって?逃れようとするから、すべき事に手がつけられない。と言う負のループでした。

角田さんのおっしゃる現場の例えとは少し違うメタ層だと思うのですが、
共感が伴わない状態が、同様にそして同時に派生していました。

誰も悪くなく、
共感が生まれにくい人間関係の中で、信頼でき心を許せる養育者のと関係も生まれにくい為、
息子から素直な行動はでにくく(苦笑)根気のいる数年、いや十数年を数えてしまいました。

余談ですが、
よく、このような反行動は、この子のしたい素直な行動なのよ。と言う方がいらっしゃいます。
当てはめるなら、かなり知的な面をともなうと私は思います。(あくまで私の感想です。)
全ての子どもたちに当てはまらないので、この言葉を聞いても、本気にしない方が良いと思われます。

みんなと同じ役割を果たして、達成した時、
やはり息子は嬉しそうでした。

例えば年長さん時、お遊戯会で聖劇に参加した時。
大勢の労働者の役をもらい、
先生方や息子の見本となる友達たちとの関係性の中でやり遂げました。
強調運動性障がい(幼少期はこの判定も出ていました。)の影響で、チカラの入れ具合の困難さもあり、
鍬を振り下ろす踊りは迫力満点。
ドキドキと言っても可愛いやつじゃない、
誰かを怪我させないか?とドキドキしながら、
観客席で止めたい気持ちを我慢していたのを覚えています。
でもね、先生方は全ての覚悟とこれまでの息子との関わりと集団力の中での仕上がり感と手ごたえがあって、それらを信じる気持ちは強く、お母さんは見てて。と言い切りました。
一緒に上手になっていくと、言って良いのでしょうか。
その猶予を全ての人が持てるのが理想です。

子育ては絶対に一人でやってはいけない。
あえて言います、どんな子育ても一人でやってはいけない。


また、卒園式。
立ち位置や作法は、場面毎に先生のマネをしながら、逃げることなく、その中のありの範囲のギリありでやり遂げました。
この表現、この感じわかりますか?
園の先生方はほとんどが感動でぼろぼろに泣いていました。

今、息子がそんなに力まなくても場面に合わせられるようになったのには、
日常的な場面はもちろん、このような非日常的な場面も、やらせたことの積み重ねでついたチカラだと心から思います。

うまくできるようになるには、たぶん定型発達のお子さんの50倍、もっと回数も期間も想定しておく必要があるかも知れません。
でも、うまくできる事を目標にするのは少し先になってから、
まずは合わせようと努力している場面を一緒に過ごす事、見守れるゆとりを持つこと。
繰り返し繰り返し時間がかかる事を、前向きに覚悟できるといいなと思います。

ゆっくりゆっくり、その根拠のないゆっくりに、そう思えない時は、本気で要注意ですよ!笑

そして、
その子の努力しようとした場面を拾い、言語化して、「だったよね!だったよね!!」と共感する事を、この本を読んだ事で、取り入れました。
前向きさだけはなく、失意や意地悪な気持ち、負の感情もです。
負の感情は扱いが難しくて、また別の機会に触れさせてください。

それまでは、
いかにできるようになるか?ばかりを模索し、
療育で教わったテクニックを、息子が何かをできるようになる事で、楽になる。と信じて、
心を理解しようとしたことはありません
でした。
療育を正しくインプットする事もとても大切だと思うます。
そしてあの頃は、自分自身が気を引き締めて、ちゃんとやらなきゃと、
クレームつけられる毎日に、努力する姿を見せる事でしか許されないと、信じていた時期でもありました。

これ、もう子育てじゃないですよね!
苦行です。

子育ては苦行ですか?と聞かれるマンガを読んだ事があります。
この本についても、また別の機会に!

次回は、
同じ本から、
「しつけの関係性」新井邦二郎さんのコラムから
ピックアップフレーズをお届けします。

長文お付き合いいただきありがとうございました。
最後まで読んでくれたあなたへ
今は辛いけど、状況は変化します。
あなたの心がラクになりますように
🩵

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