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「ほどよいって大事なんですね」-----ウィニコットの“good enough mother”から考える子育て

今回もhappy moraera 100 のNOTEに
お越しいただきありがとうございます。

3回に渡り「児童心理2010年7月 NO.916」より
元気をもらったフレーズをピックアップしています。

この本から紹介は今回がおしまい。

「ほどよい母」実態とは?
このNOTEを読んでくださっているあなたはどうな風に思われますか?

私はこのコラムに出会った時、
一人の女性の姿をイメージし、
そのお母さんの質とか行動とか
言ったら、子供を見つめる眼差しみたいなものをぼんやりと浮かべました。

さぁ、本では、
家内はもう限界です。」
「私って、母親失格なんでしょうか。」から
始まります。
周期産のうつ病で即日入院となったお母さんとそのご家庭の症例でした。

生後3ヶ月のお子さんとお母さんを離します。
ご主人は仕事、親戚や頼りになる親戚もおらず、乳児院で面倒を見てもらう事に。

主治医は、
「うつ病という病気にかかっただけで、お母さんのせいではない。」とお母さんに伝えます。
お母さんは、
小さい頃に母の愛を受けないと、心の病気になると何かの本で読みました。」と不安を話します。

主治医は改めて、こう話します。
「昔から子どもは授かりもので、母親ばかりで育てるものではない。みんなで育てるのが自然。
ご主人や乳児院、みんなで子育ての応援をしているから、心配しないで。と、

それから退院し、
一年が過ぎた頃には、薬もいらなくなり、一般外来へ通院。心理療法を三年続けたとか
そんな中で、お母さんからこんな言葉が出始め、その言葉が紹介されています。
「子どもは、不思議にすくすく育っています。」
「なんでも自分でしないといけないと思っていた。」

妊娠中や出産前後におこる気分障害、本当につらいですよね。

私にも経験があります。
ここからは実体験になります。

息子が初・自宅に帰宅?した夜に大事件がおきました。
退院したその日
息子にとって自宅初日の夜22:30頃のこと。
生後4日目の息子が、
低体温/身体蒼白/無反応/呼吸のみ
という状態になり、色々な策を施し、反応が戻ってくるまで約2時間半

この日から、
乳幼児突然死症候群の心配が高い一歳過ぎるまで、すやすや眠る様子にも様子見が必要で、息子の寝顔を可愛らしいと感じるよりも、突然死がシンクロして、緊張がずっと続きました。
そして、なんとなく感じていた息子の行動面の遅れも、一歳を過ぎてもっと気になり出し…

その頃、3行日記📔に息子の一日の出来事や無事を記してました。
この一冊が書き終えられない。なんてことがないように!と祈り、一歳の誕生日を迎えた時は、どれだけ嬉しかったことか!!
今でもあの日記は、大切な一冊です。

そして一歳半検診で言葉の遅れの指摘があり、2歳代に息子の発達障がいの疑いの診断がおり、3歳頃から療育が始まりました。
私は、当時SSRI(ルボックス)だったかな、服用できる最大量を飲んで不眠とストレス衝動を抑えました。

毎日眠れないまま朝が来ました。
眠れないって怖くて、なぜか孤独感だけが増すんですよ。
どこからともなく聞こえるヒソヒソ声は、
全て私の至らぬ点を言われてるとしか思えず、外出も困難、買い物さえ一苦労。

あの薬を飲むと、感情とか感じるチカラを、
とあるところからパツン遮断
壁を作れるんですよね。泣かないで済みます。

副作用もあり怠るさで動けず、
動けない悔しさで、負のループに、
そしてある日、オーバードーズ。
閉鎖病棟に入院。
全然幸せじゃなかったですね、あの頃。


結婚していましたが、この頃の私は
「一人で子育て」
「子育ての不安を抱える」
「産後の体調がなかなか戻らない」
「話し相手がいない」
「頼れる親戚も知り合いもいない」
「夫は仕事が忙しい」
「優等生気質」
「大変そうに見えない」
「ゆるむ時間がない」

って感じてまして、全然、ほどよい母親じゃありませんでした。

今、同じようにうつ病の診断をされたママさんいらっしゃいますか?
状況は違えど、孤独や閉塞感や苦悩…あげたらキリがない同じ気持ちたくさんありませんか?

当時、このコラムを読んだ時に、
こうなるべくしてなったのか
抱きしめましたね、児童心理の本📕を!

改めて、このコラムの醍醐味!
大切な文章を書き出します。
ぜひ一語一句、飛ばさず読んでください。

ウィニコットが用いた「ほどよい母親」(good enough mother)とは

「乳幼児が求めているものにそこそこ気付き、お世話する母親のことです。」
「母親という言葉を用いましたが、実際の母親である必要はありません。」
父親でも、祖父母、場合によっては赤の他人でも構いません。
広く養育者という意味で「母親」という言葉を使っているだけのことです。

なぜウィニコットは「母親」と表現したのか?
子どもの治療者だった彼は、ほどよくない母親(養育者)に日々出会っていた

きっとそれは私のような。
あなたのような。

だから逆説的にそう書いたのではないか?とコラムの筆者は言います。

ほどよい母親(養育者)に必要な環境
これを「ほどよい環境」とウィニコットは言いました。
「母親が子どもにほどよく関わるためには、あるいは親子関係がほどよくあるためには、周囲の援助が必要です。父親、祖父母、親戚、ご近所、地域共同体、行政、社会…自然環境。近くからでも遠くからでも母子を援助してくれる環境、これをほどよい環境と呼びます。」

人間に生まれた以上、すべての人に知ってほしいとさえ思い紹介しています。

コラムではこう続きます。
近現代では「抱える環境」が変容し、
母子は、ほどよく抱えられず、放り出されているように感じている。周囲がなんとかしなければいけない。

ささやかな環境づくりから、ほどよい母親として機能しやすくなること、それが大事だと思っている。
と続いています。

「抱える環境」の「抱える」とは、
その親子を包み込んでいる環境と言った方がイメージしやすいでしょうか

以前もNOTEで同じ言葉を書きました。
「子育ては絶対にひとりではしてはいけない」
心からそう願います。

ウマが合わないと感じる義両親でも、
仕事が忙しいパパでも、
わかってくれない実家の親でも、
頼りなさそうな兄妹でも、
楽しい時だけ一緒の友人でも、
挨拶するご近所さんでも、
保育園の先生でも、
LINEでしか会話しない誰かでも、

子育てのお願いなんてできないと思っても、
声をかけてみましょ
相談してみましょ

ひとりが一番良くない
その状況を回避することから始まると、そう思います。

長文お付き合いいただきありがとうございました。
最後まで読んでくれたあなたへ
今は辛いけど、状況は変化します。
あなたの心がラクになりますように🩵

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