#1) 231029sun 「野生人間」とは何か、解読を始める。

会社を1週間休んだ。
30代半ば、子供もいる、幼い言葉だがしっかりしないといけない年齢。
仕事もこれからが忙しくなる時期。

月曜日、腰が痛くて午後早退しそのまま1週間会社を休んだ。
腰痛の原因であろう疾患について受診するため病院にいき、整体にもいき、スーパー銭湯にもいき、よく寝た。実家にもいき、焼肉を食べた。
コンタクトレンズ一辺倒だったが眼鏡も新調した。
身体的なコンディションは整ってきた。三大欲求もしっかりある。

精神的に寝ることが出来ない、悲壮感ばかり、ということもない。
身だしなみが疎かになっているわけでもない。
けれど、もやもやしている。週明けから仕事に集中する自信もない。

妻や子供たちへの甲斐性のなさ、自分の幼さ、職場への申し訳なさ。
おじさんなのに。という感覚(常識的な焦り)はしっかりある。
それなのになぜか他人事。

この1週間、病院・予約のとれた整体、眼鏡店とあちこちいく中でいろんな人にあった。整体のためにスウェット・トレーナーの上下で行動していたため整体師には年齢不詳と言われ、35・36歳というと若いと言われた。

平日の日中に街をうろつくスウェットの男=学生・フリーター
このバイアスもあるのだろうが、中年の社会人・2人の子のいる父親がまとうべき顔つきではないのだろう。身にまとう責任感の欠如に気づかされた。

うつ病、ADHD、そんなことは昔から察知している。
察知しながら社会に溶け込み、斜に構えながら、周りが何とかしてくれることに味を占めながら、ずる賢さを悟られないように振舞いながら、世の中を俯瞰してみている気になって生きている。

1日1日と進んでいくが、半年、1年、5年、10年、20年、30年と
人生を振り返り自分という人間を分析していきたい。

なぜyasei-ningen(野生人間)なのか。紐解いていく。
野生爆弾の被害者を増やさないために。

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